二話 押しつける正義
助けると決めたからには逡巡などしない。
幼女との短いやり取りを終えた直後、俺は即座に行動へと移っていた。
「なにを……うぉぉっ!?」
後部座席の男の足を掴み、勢いよく引っこ抜くように放り出す。強制射出された男は歩道を越えて壁にぶつかり、そのまま気を失ったように身体の動きを止めた。
少々手荒な真似になったが、二人掛かりで子供を襲うような男に遠慮は無用だ。
俺は流れるように後部座席のもう一人にも手を伸ばす――
「チッ……来い!」
「きゃっ!?」
だが、もう一人の男は幼女を拘束したまま車内に身体を引いてしまった。
流石に二人目ともなると思い通りにはいかないらしい。幼女が盾になっている形なので乱暴な真似はできないところだ。
俺は内心で舌打ちをしつつ、残りの不埒者たちに理性的な提案をする。
「これだけ騒ぎになれば警察が駆けつけてくるのも時間の問題だ。子供を置いて大人しくこの場を引け。あそこで伸びている男と交換といこう」
理想としては相手が混乱している間に倒したいところだったが、車内の二人を手早く排除するのは位置的にも難しかった。
残っている敵は運転手が一人、幼女を囚えている男が一人。
戦って勝てないとは思わないが、ここで不埒者たちを無理に倒す必要はない。なによりも優先すべきは、幼女の身の安全だ。
俺の穏便な提案に対して、幼女を拘束している不埒者が忌々しそうに声を出す。
「チッ……すぐにその男を片付けろ。警察が来るまでにあいつを回収して、それから早急に乗り換え地点へ移動するぞ」
運転手の男に向けて高圧的な命令だ。状況的に撤退を判断しても良さそうなものだったが、まだこの男は諦めていないらしい。
幼女を捕まえている男の命令を受け、巨漢の男が運転席からのっそりと身体を出す。俺の背丈は高い方だが、運転手は背が高いだけでなく横幅も大きい。間近で見ると中々の威圧感だ。
「ッ、早く逃げなさいっ!」
俺と運転手の体格差を見て勝機が無いと思ったのか、金髪幼女が鋭く叫んだ。
こちらの身を案じてくれるのは嬉しいが、幼女の心配そうな顔を見るのは胸が痛む。ここは幼女を安心させておくべきだろう。
「幼女よ、心配は無用だ。俺は名探偵だからな」
そう、俺は名探偵。
名探偵ならば日常的に身体を鍛えているのは当然であり、格闘技にも一通りの心得があるのも当然だ。名推理を披露した後に逆上した犯人に襲われるかも知れないのだから、名探偵として最低限の武力は必須なのだ。
「だ、誰が幼女よっ!」
しかし幼女の心には響かなかったらしい。
俺としては『名探偵スゴイ!』的な反応が返ってくるのを期待していたが、年端もいかぬ幼女にはピンと来なかったのだろう。……だが、名探偵の名乗りには不埒者から反応があった。
「探偵だと……お前、本家に雇われた人間か?」
不審げな様子で呟く巨漢の男。
なんの事を言っているのかサッパリ分からないが、ここで素直に否定するのは名探偵らしくない気がする。ここで選択すべきは、思わせぶりな答えだ。
「そうだ、と言ったら?」
それらしい事を言って話を繋いでおけば、相手から情報を引き出せる上に時間稼ぎにもなるという寸法である。これぞ名探偵の真骨頂と言えよう。
「――戯言に耳を貸すな。警察が来る前に早く片付けろ」
巨漢の男が判断に迷って動きを止めている中、リーダー格らしい男が冷静な声で焚き付けた。片手で幼女を拘束しているという犯罪的な男だが、脳筋的な雰囲気がある巨漢の男よりは周りが見えているらしい。
なにしろ車道を行き交う車の多くはこちらを訝しげに見ながら通過している。
車のガラスが割れている上に、傍らには黒服の男が路上で寝ているという状況だ。通行人の注意を引くのも無理はない。
こちらに声を掛けてくる人間こそいないが、誰か一人くらいは警察に通報しているという可能性はある。連中にとって時間経過はマイナスでしかないだろう。
「へい、兄貴。こんな痩せっぽちはすぐに畳んでやりやすよ」
リーダー格の男に指針を示されたからだろう、巨漢の男は迷いが晴れたように嗜虐的な笑みを浮かべている。
俺が黒服の男を軽々と放り投げたのは見ているはずだが、不埒者三人の中で最も体格に恵まれているだけあって自信過剰のようだ。実際のところ、体重差が戦闘において重要な要素であるのは間違いない。
だが、何事にも例外は存在する。
俺の身体能力は外見以上に高いが、こちらの手札はそれだけではない。
何を隠そう、俺は余人の持っていない『特殊な能力』も持っているのだ。
「吹き飛べやァッ!」
巨漢の男の体重を乗せた一撃。
どすこい、と聞こえてきそうな猛烈な張り手。直撃すれば鍛えている俺でも無事には済まないはずだが、しかし来ることが分かっていれば対処は容易い――そう、俺には相手の攻撃が分かっていた。
「よっ、と」
突き出された腕の内側へ入り込むように躱す。そして伸ばされた腕を掴んで捻り、腕の関節にヒュッと掌底を放つ。
「ぐっあぁぁぁ!?」
許されざる方向に衝撃が走り、男の右腕はボキッと鈍い音を立てて折れた。
だが、俺はこの程度で攻勢を緩めたりしない。巨漢の男がうずくまった直後には、人よりも長い足を高々と上げていた。
「ぎぁッッッ!?」
男の左肩を捉える踵落とし。これで男の両腕を奪ったという形になる。
もちろんこれはやり過ぎではない。この男は不埒者たちの中で最も手強そうな相手だったので、確実に戦闘力を奪っておく必要があったのだ。
これで男の戦意は完全に消えた。俺にはそれが目に見えて分かる。
比喩などではなく、実際にそれが見えている。
――そう、俺には感情が形として見えるのだ。
悪臭を可視化しているかのように、人間の身体からドス黒い気体が滲み出ているのが俺には見える。喜びのようなプラスの感情は見えないが、悪意や害意といったマイナスの感情については見たくなくとも目に入ってしまうのだ。
最初に幼女の危機を察したのも、この負の感情が見える能力のおかげだ。
通り過ぎる車から見えた子供の足、その傍らから邪悪な悪意が見えていれば異常を察知出来るのも当然という訳だ。
そしてこの能力は戦闘にも使える。
巨漢の男が攻撃する直前に発していた害意。それが目に見えていれば、次にどんな攻撃が飛んでくるのかも手に取るように分かるのだ。
相手の攻撃が読めているのだから、俺が負ける道理などあるはずもなかった。
次回、三話〔愚者の見えざる手〕