十九話 最後の三大派閥
「ちょっとあんた、急に高笑いとかするの止めなさいよね。周りから頭のおかしい人間だと思われてるわよ? 実際ちょっとおかしいトコあるけど」
こちらにパタパタと駆け寄るなり暴言を放つのは神桜家の娘さん。
なにやら名誉毀損も甚だしい勘違いをしているようなので、ここは俺の名誉の為に物申しておくべきだろう。
「カリンよ、人のせいにするのは良くないな。俺が周囲から距離を置かれているのは神桜家が恐れられているからだろう」
俺は子豚少年を叱りつけはしたが、他の学園生に怖がられる事はしていない。
正義の名探偵を狂人扱いするとは信じ難い暴挙。これは親しい友人のユキからも一言言ってもらうべきだろう。
「まったく、困ったものだ。カリンの言い草は酷いものだと思わないか?」
「そ、そうですね……」
俺から目を逸らしたまま答えるユキ。
やや不自然な反応だが、しかしユキの心情を思えば分からなくもない反応だ。
馴染みのない暴力行為を目にした影響もあるだろうし、今日の俺はユキに出会ってから多重人格ばりにキャラがブレブレなのだ。
気安くなったり丁重になったりで、どれが俺の本当の人格なのか分からなくて混乱しているのだろうと思う。ユキは対人経験が少なそうなので尚更だ。
「ちょっとユキ、こいつはすぐ調子に乗るんだから甘やかしちゃ駄目よ。……まったく、なにが『めぇぇぇんッ!』よ。柔道どころか剣道ですら無いじゃないの」
俺の名探偵チョップにケチを付けるカリン。
だが文句を言いつつも俺が無傷で勝利したのが嬉しいのだろう、その声音は機嫌が良さそうに弾んでいる。相変わらず微笑ましい子供だ。
しかし、俺たちが油断するのは早かった。
これで全て解決と思いきや、パーティーの騒乱はまだ幕を下ろしていなかった。
「――ハハッ、こいつはザマァねぇなぁ。あれだけ大口叩いといて神桜の護衛に手も足も出ないたぁよぉ!」
打ちひしがれる子豚少年を痛烈に嘲る声。
丸々と肥え太っている子豚少年と同じく、その少年もまた太っていた。
太っている子供は大体同じ顔に見えるという『人類皆兄弟の法則』があるが、その類に漏れず彼らの顔は酷似している。まさに子豚少年の兄弟のような少年だ。
子豚少年との唯一の違いはメガネを掛けているという点だが、しかし同じメガネっ子でもユキとは印象が大きく異なる。
肥大化した顔に食い込むメガネのフレーム。その姿はまるでハム――そう、紐の巻き付いたボンレスハムのような少年だ。
そしてハム少年は顔を歪めて笑う。
「ハハッ、雑魚は部屋の隅で丸まってろよ! オレの護衛なら神桜だって敵じゃねぇ。なにせオレの護衛は『海龍』だからなぁ!」
海龍――その単語を聞いた学園生たちは一斉にざわめいた。
この反応からすると、ホール内でピンと来ていないのは俺くらいのようだ。
俺は探偵として情操収集を欠かしていないが、しかしハム少年が口にした『海龍』という単語に思い当たる節はない。
海ヘビのような生物を護衛にしているのだろうか? と考えを巡らせていると、カリンが動揺しながらも説明してくれる。
「海龍は……そうね、言わば権力者御用達の戦闘集団よ。海龍の人間を護衛に雇うのは一種のステータスみたいになってるわ」
なるほど、そういう事か……。それなら俺が知らないのも無理はない。
一般庶民には知られていなくとも、カリンたちのような上流階級では有名な集団なのだろう。カリンの話によると神桜家も海龍の人間に関わりがあるらしい。
「でもおかしいわね、海龍の人間は簡単には雇えないはずなんだけど……」
カリンは整った顔を曇らせていた。顔に憂いを浮かべているだけでなく、小さな手で無意識のように俺のズボンを掴んでいる。
聞けばハム少年は三大派閥の一人。子豚少年の護衛と戦ったように、俺が海龍と戦うのではないかと心配しているようだ。
しかし……この状況下で三大派閥の最後の一人が出てくるとは思わなかった。
これまでは傍観に徹していたようだが、このタイミングで出てきたという事は他の護衛が消耗するのを待っていたのだろうか?
傍若無人そうな言動のわりに策士だな……と感心している中、ハム少年はホールのある場所に向けてどすどすと歩いていく。
「おい、海龍ッ! いつまで飯食ってんだよ。早く神桜の護衛と戦えよ!」
なぜか俺が戦うことが確定しているのはともかくとして、ハム少年が怒声を浴びせたのは意外な人物だった。パーティー会場で地味に目立っていた事もあって、その人物の存在自体は俺も把握していた。
なにしろこのパーティーは立食形式であるにも関わらず、一人だけ椅子に座って本格的に食事をしていたのだ。広大な庭園の方を向きながら庭を見ることなく、ガツガツと食欲旺盛に食べ続けていた異端の存在だ。
「――アタシはメシ食ってんだよ」
その少女は面倒そうに振り返り、何事も無かったかのように食事を再開した。
ハム少年に『海龍』と呼ばれて応えた少女――つまり、あの少女が海龍だ。
これは意外だと言わざるを得ない。
学園生が戦々恐々としていたから熟練の殺し屋のようなイメージがあったが、実際の海龍はまだ若い少女に過ぎないのだ。
少女の外見からすると学園生たちより少し上、おそらくは十代半ばくらい。
ノースリーブなタンクトップに加え、生足を惜しげもなく晒したホットパンツ。
露出の多いラフな格好だが、色気があると言うよりは健康的な印象を受ける。
パーティー参加者の中で一際浮いているとは思っていたが……さすがに有名な戦闘集団の一員とは思わなかった。
「ふっざけんなよッ! お前、さっきもそう言ってたじゃねぇか!」
ぞんざいに返して背中を向ける少女に、主であるハム少年が声を荒げた。
どうやらハム少年は護衛を温存していたのではなく、護衛が動かないから温存せざるを得なかっただけだったようだ。
思い通りにならない事が腹立たしいのか、ハム少年は茹でられたように顔を紅潮させている。得意満面で『オレの護衛は海龍だからなぁ!』とぶち上げていたのでメンツを潰された思いがあるのだろう。
怒りに燃えるハム少年は止まらない。
自由過ぎる少女を強引に振り向かせるように、剥き出しの肩に手をかける――
「――アタシに触んじゃねぇッ!!」
そしてハム少年は殴られた。
ハム少年のふくよかなボディに叩き込まれた裏拳。その異常な攻撃を目の当たりにして、俺は初めて『海龍』という名の持つ意味を知った。
一瞬で少女から膨れ上がった害意。
それが見えた瞬間には、既にハム少年のふくよかな身体は飛んでいた。
そう、飛んでいた。
決して軽いとは言えないであろうハム少年が、少女の細腕から放たれた裏拳に吹き飛ばされていた。フライングハムとなった少年のスピードは速い。ハム少年が全速力で走るよりも遥かに速い速度で滑空し――ドゴッ、と壁に叩きつけられた。
こ、これは、ハム少年が死んでしまったのではないだろうか……?
俺が反射的に心配した直後、遅れて状況を悟った学園生たちの悲鳴が上がった。
彼らに見えるのは恐怖。護衛の殴り合いを他人事で観戦していたはずだが、同級生が被害に遭ったことで暴力の恐ろしさが現実味を帯びたようだ。
俺は喧騒を無視してハム少年に駆け寄る。
…………よかった、これなら大丈夫だ。
豊満な肉体がクッションになったおかげか、ハム少年は思っていたよりも軽症だった。俺の見立てでは全治三カ月程度の怪我に過ぎない。
持つべきものは脂肪。ハム少年の脂肪が少なければ死亡していてもおかしくなかった。彼の脂肪に敬意を表して『ナイスファット!』の言葉を送りたい。
次回、二十話〔汚れなき瞳〕