十八話 圧倒する守護者
ミラーリングの失敗に肩を落として本来の目的を忘れていると、それを思い出させるかのように子豚少年が不快そうな声を上げた。
「護衛の分際でオレに口出しする気かぁ? ――なぁ、神桜ぁ。こいつはお前の護衛なんだろ? オレの護衛とやらせようぜぇ?」
子豚少年はゴミを見るような目をこちらに向け、すぐにカリンへ視線を戻した。
これまでの行状もそうだが、護衛を奴隷か何かと勘違いしているような態度だ。
「ふん、馬鹿馬鹿しい。私はあんたたちみたいに趣味が悪くないのよ」
もちろんカリンは一顧だにしない。
護衛を玩具のように扱っている同級生に対して厳しい言葉だ。
発言力のある幼女の正論という事で周囲の子供は気まずそうにしているが、しかし子豚少年の勢いに陰りはなかった。
「ぐひゃひゃ、逃げるのかよ神桜ぁ! まぁお前は妾の子だからなぁ、神桜って言ってもロクな護衛を付けてもらえないんだから仕方ないかぁ!」
「くっ……」
子豚少年の挑発内容からすると、やはりカリンは本妻の子ではないようだ。
彼は大家の一人息子という立場らしいので、カリンに対して優越感を持っているような節がある。……家柄や出生で優劣を決めようなどとは馬鹿げた話だが。
しかし、これは黙っているわけにはいかない。
「お嬢様への侮辱は看過できませんね。――よろしい。それほど無様を晒したいのなら、私が相手をしてあげましょう」
「ちょ、ちょっと、ま……!」
カリンは慌てた様子で俺を引っ張る。
なにやら激しく動揺しているので普段以上に幼女感が著しい。これは俺が勝手に勝負を受けている事もあるのだろうが、俺の言葉遣いが別人のように豹変している事も大きいのだろう。
しかし俺が忠実な態度を見せるのは当然だ。
ユキのようにカリンと親しい人間の前なら猫を被る必要もないが、子豚少年は明らかにカリンを小馬鹿にしている。
そんなところに俺がカリンに気安い態度で接すれば、『神桜カリンは護衛に軽んじられている』と思われて、ますます見くびられてしまう事になるのだ。
カリンの学園生活の為にも、敵対者に対して隙を見せるわけにはいかない。必要とあらば悪趣味な見世物にも付き合ってみせよう。
「あんたが戦う必要はないわ。あんなやつの事は放って置きなさい」
だがカリンは勝負に消極的だ。
この様子からすると、俺が危険な目に遭うくらいなら自分が我慢した方が良いと思っているようだ。カリンらしい気遣いだが、しかしこの幼女は勘違いしている。
「勘違いするなカリン。俺はお前が馬鹿にされるのが気に食わないだけだ」
「っ……」
周囲に聞こえないように耳元で囁くと、カリンは小さな声を漏らして赤面した。
耳元に息がかかってくすぐったかったのか友人の言葉に照れているのか、いずれにせよ不快感は見受けられないので問題無いだろう。
ともあれ、俺の言葉は紛れもない本音だ。
この幼い友人が一方的に侮辱されているのは、不愉快で我慢ならないのだ。
「……な、なによ偉そうに。いつも私を馬鹿にしてるの、あんたじゃないの」
カリンはもじもじしながら悪態を吐く。
文句を言ってはいるが、その顔は嬉しそうに緩んでいるので怒っていないのは明らかだ。おそらく損得勘定抜きで味方をしてくれる友人の存在が嬉しいのだろう。
こそこそ話す俺とカリン。
そんな中、こちらの内緒話を断ち切るような勢いで大声が上がった。
「吹けば飛ぶようなモヤシ如きが、このオレの相手をしてやるだと? 神桜家の護衛だからって調子に乗るんじゃねぇッ!」
柔道男がいきり立って噛みついてきた。
最初に挑発してきたのは相手側なのだが、柔道男は俺の挑発に対して全力で食らいついている。おそらく煽り耐性が皆無なのだろう。
しかしカリンの名誉がかかっている以上、こちらも引くわけにはいかない。
「調子に乗っているのはそちらではありませんか? 神桜家の護衛を甘く見るとは身の程知らずにも程がありますよ。井の中の蛙とはこの事です」
「なんだと貴様ッ!!」
厳密に言えば俺は神桜家に雇われているわけではないが、カリンの護衛として同伴している以上は弱みを見せられない。あたかも神桜ファミリーの一員であるかのように振る舞うのみだ。
一触即発の空気に、場は騒然としていた。
柔道男は怒髪天を衝くように怒り狂っているし、主である子豚少年の方は「ぐひゃひゃ!」と下品に笑っている。
どうやら子豚少年は神桜家の護衛と戦う流れになっているのが嬉しくて堪らないらしい。自分の護衛が負ける事など夢にも思っていない様子だ。
カリンの方は止められる状況にない事を悟ったのか、不満そうでありながらも不安そうな顔をしている。基本的に優しい子供なので仕方ない。
「……怪我なんかしてもつまらないから、あんたは無理しなくていいわ」
カリンは俺がそれなり以上に戦えることを知っているはずだが、それでも不安が拭えないようだ。柔道男が対戦相手を圧倒していた事も影響しているのだろう。
まぁ実際のところ、俺とカリンにとっての本番はパーティーからの帰り道だ。こんな余興で怪我をするわけにはいかないし、この程度で怪我を負うつもりもない。
――――。
ホールの一画で俺と柔道男は向き合っていた。
俺たちの周囲を囲むのは、興奮した面持ちの学園生。俺にとっては面白いとは言えない見世物だが、学園生たちが高揚しているのは分からなくもない。
なにしろ見方次第では三大派閥の二人による『代理戦争』とも言える争いだ。
無責任な傍観者にとっては興味深い見世物になっているのだろうと思う。
学園生ギャラリーの例外は、味方サイドのカリンとユキくらいのものだ。
カリンは不安そうだが、ユキに至っては泣きそうな顔でおろおろしている。
柔道男はプロレスラーのようにがっしりした体型という事もあって、俺が大怪我をするのではないかと心配してくれているらしい。
そこで二人を安心させるべくニコッと柔らかい笑みを送ると、カリンは心配している顔を見られて恥ずかしかったのか慌てて横を向く。
ユキの方はなぜか銃で撃たれたように「うっ……」と呻いて下を向き――すかさず付き人が守るように間に入った。
付き人からの刺すような視線。そこにあるのは不審者を見るような警戒心だ。
俺が一体何をしたのかという思いはあるが、まだ敵意や害意にまで成長していないだけマシなのかも知れない。そう、ポジティブ精神を忘れてはいけないのだ。
「どこ見てやがるッ! 舐めやがって、俺は学生の頃に全国に出たんだぞッ!」
柔道男を前にして余所見をしていたせいか、ますます怒らせてしまったようだ。
もういい歳なのに学生時代の栄光を引き摺るのはどうかと思うが、しかしこの展開は悪くない。逆上している相手は与し易いので利用させてもらうとしよう。
「ほほう、そうですか。こう見えて私も柔道の心得があるんですよ。せっかくですから少し遊んであげましょうか?」
「オヒョォォッ!!!」
柔道男は怒りのあまり言語を失ってしまった。
聞きようによっては『オヒョォォッ、うれしーッ!』と喜びの声を上げているようにも聞こえるが、俺の目にはしっかりと憤怒の感情が見えてしまっている。
奇声を上げて突進してくる柔道男。理性を失っても技術は身体が覚えているらしく、俺の襟に向けて素早く手を伸ばす。
しかし、俺にはその動きが完全に見えていた。
愚直に迫る柔道男に対して――「めぇぇぇんッ!」と手刀を叩き込む!!
鈍い音がホールに響き、柔道男は白目を剥いてドスンと昏倒した。
名探偵チョップがカウンター気味に頭部へ直撃だ。いかに身体を鍛えていようとも完璧な一撃に耐え切れるはずもなかった。
数秒で終わった戦闘に、騒がしかったホールは静まり返っている。おそらく秒殺での決着に驚いて言葉が出ないのだろう。
そこで静寂を破ったのは子豚少年だ。
「き、汚いぞぉっ! お前、柔道で戦うんじゃなかったのかよぉっ!」
はて? この少年は何を言っているのだろう?
なぜわざわざご丁寧に相手の土俵で戦ってやらねばならないのか。
「これは異な事を。私は柔道の心得があるとは言いましたが、柔道で戦うとは一言も言ってませんよ? そのような言い掛かりは感心しませんね」
正々堂々と戦ったのに卑怯者扱いとは心外だ。
実際、柔道の経験があると言ったのも嘘ではない。俺は名探偵として様々な格闘技をかじっているが、その中の一つに柔道もあったのだ。
身体能力に恵まれている事もあってか、体験入門した道場では『本格的にやらないか?』と熱心に誘われたくらいなので適性もあったのだろうと思う。
それでも、俺には格闘家になるという選択肢は存在していなかった。
探偵としてやるべき事があるという理由もあるが、俺の目には相手の動きが見えてしまっている。俺の意思でもどうにもならないとは言え、真面目に格闘技をやっている人間に対してズルをしているような後ろめたさがあったのだ。
だからこそ、真面目な格闘家から試合を挑まれても基本的には断っている。
しかし、今回のような場合は別だ。
これは正式な試合ではなく、ただの喧嘩のようなものだ。子豚少年に責められるような疚しい事は微塵も存在しない。
「あ、あんな言い方したら柔道で戦うと思うだろっ! ズルいぞお前ぇっ!」
子豚少年はあくまでも敗北を認めない。
勝負に負けて悔しいのは分かるが、往生際が悪いと言わざるを得ないだろう。
だが、このままではいけない。
子豚少年のこの態度からすると、今後もカリンにちょっかいをかけかねない懸念がある。ここはカリンの為にも、そして子豚少年の為にも、心を鬼にして厳しく叱責してやらなくては。
「――笑止ッ! 命懸けの真剣勝負の場でも同じ事を言うつもりか? 見苦しい、見苦しいぞ貴様。素直に負けを認めろ。貴様如きが神桜家に歯向かうなどとは百年早いわっ! フハハ、フハハハハハ……!」
「ひぃぃっ…………」
人格が変わったような俺の一喝を受け、子豚少年は怯えて後退りしていた。
これまで感情を抑圧して丁重な態度を取っていた影響から、彼を叱責している最中に少しテンションが上がって殺気まで漏れてしまったのだ。
気が付けば悪役のようになっている感があるのは否めないが、これくらい厳しく言い渡しておいた方がカリンの学園生活も安泰というものだろう。
明日は朝と夜に投稿予定。
次回、十九話〔最後の三大派閥〕