十六話 仮面を被る名探偵
「――カリンちゃん!」
ホールの隅で今後について話していると、不意にカリンの名が呼ばれた。
その声に、俺は驚きを覚えていた。カリンは目立つので多くの人間から視線を向けられていたが、これまでカリンに話し掛けてくる者はいなかったのだ。
カリンは神桜の人間であり、しかも強い言葉で他者を牽制してしまう癖がある。
同級生が誰も近寄ってこなかった事もあって、カリンは学友から距離を置かれているものと考えていたが……中には例外も存在していたらしい。
「そのドレス、すっごく似合ってるよ! 物語に出てくるお姫様みたい!」
目を輝かせてカリンを称賛する少女、純朴そうなメガネの少女だ。幼女的なカリンと同年代には見えないが、この場に居るという事は同級生の友人なのだろう。
少女の屈託のない表情を見る限り、神桜家の子供におべっかを使っているわけではなく本心からの言葉だと分かる。なんとなく安心する思いだ。
「そ、そんなの当然でしょ。……ユキの方も、そんなに悪くないわよ」
ストレートな言葉に戸惑いを見せつつ、相変わらず偉そうに上から返すカリン。
学園の友人にまでそんな態度なのかと心配になったが、メガネ少女は慣れているのか「ありがとうカリンちゃん」と大らかな笑顔だ。
気難しいカリンの友人をしているだけあって懐の深い子のようだ。
なんとなく微笑ましい気持ちで二人の様子を見守っていると――ふと、メガネ少女の背後に控える女性と目が合う。
他の同級生の護衛のような厳つい男ではなく、お嬢様の付き人といった様相の落ち着いた女性だ。この会場に大人の女性は珍しいので逆に目立っている。
俺と目が合ったので軽く会釈すると、相手の方も薄い笑みを浮かべて会釈を返した。……しかし、その愛想の良さとは裏腹に心中には警戒心が見えていた。
微妙な心境ではあるが、彼女は護衛の役割も担っているようなので当然の反応だろう。俺の心はこの程度で傷付いたりはしない。
「……あの人がカリンちゃんの言ってた探偵さん? カッコいい人だね」
少し気分を下降させていると、メガネ少女の囁き声が耳に届いた。俺はかなり耳が良いので内緒話も聞こえてしまうのだ。
だが、この状況はよろしくない。意図しての事ではないが、このままでは二人の会話を盗み聞きしているようなものなのだ。
「――ありがとうお嬢さん。君のような素敵な女の子に褒められるのは光栄だよ」
「えぇぇっ!?」
俺は正直者なので直接褒められたかのように会話に混じってしまう。この突然のカットインにはメガネ少女も仰天である。
もちろんメガネ少女に丁重な態度で接することは忘れていない。俺のせいでカリンに悪い印象を与えてはいけないので当然だ。
そのカリンも驚きで目を剥いているが、これも全てはカリンの為なのだ。
「ユキちゃん、だったね? 君の事はカリンからよく聞いてるよ。とても優しくて信用出来る友達だってね」
もちろんカリンからは何も聞いていない。
友人として話題に上っていないようでは傷付くかも知れないと配慮したのだ。
「カリンちゃんがそんな事を……」
「そ、そんな事、私は言ってないわよ!」
ユキが感激したような声を漏らすと、すかさずカリンが否定の声を上げた。
カリンは間違いなく真実を口にしているにも関わらず、なにやら照れ隠しで否定しているように見えてしまっている。
「あ、あんた、適当な事ばっかり言ってんじゃないわよっ! それになにが『ありがとうお嬢さん』よ! 私に対する態度と全然違うじゃないの!!」
おっと、いかん。
少々やり過ぎたのかカリンを怒らせてしまった。カリンの為に行動していたはずなのに怒らせてしまっては本末転倒だ。
激昂する幼女をまぁまぁと宥めつつ、改めてメガネっ娘に向き直る。
「悪いなユキ、さっきのは軽い冗談だ。だが全くの嘘というわけでもない。カリンが心を許している人間に悪人がいるはずもないからな」
カリンの発言を捏造してしまったので訂正しておくが、実際にカリンがユキを信用しているのは間違いない。俺の目から見ても好印象な子供なのだ。
そこでユキの付き人が口を挟む。
「――失礼。お嬢様を呼び捨てにするのは控えていただけませんか?」
おっと、思わぬ指摘が入ってしまった。
俺は呼び方には拘らない主義なので意識してなかったが、名家のお嬢様ともなれば付き人が過保護になるのも分からなくはない。
メガネっ娘は慌てた様子で「わ、私は別に……」とモゴモゴしているが、付き人は丁寧な口調ながらも鋭い眼光だ。しかもうちのお嬢様まで「そうよ! 図々しいわよあんたっ!」と付き人に加勢している。
まぁしかし、ここで余計な波風を立てるのは良くないので引いておくべきか。
「これは失礼した。改めて自己紹介をお願いしても構わないか? 俺は千道ビャクだ。カリンから聞いているようだが、本業は探偵をしている」
「わ、私は、真星ユキと言います。カリンちゃんとは小等部からのお友達です」
真星……?
俺の脳裏に少女の姓が引っ掛かった。
この学園は資産家の子供が集まる名門。
つまり、少女の親御さんも名の知れた人物である可能性が高い。資産家で真星の姓となると……まさか、そんな。
「真星とは、もしかして大手冷凍食品メーカーの真星なのか……?」
「は、はい、そうです。私の父は『マジ吉』の社長を務めています」
やっぱり……!
大手冷凍食品メーカーのマジ吉。冷凍食品好きなら知らぬ者はいない老舗。
そう、俺が毎日愛食している冷凍うどんも当然のようにマジ吉だ……!
「そうか、君はマジ吉のお嬢さんか!」
「そ、その呼び方はちょっと……」
まさかのマジ吉お嬢さんに興奮してしまった。
マジ吉には毎日のようにお世話になっている事から、恩人の娘さんに出会ったような喜びを覚えてしまったのだ。
しかしそれでも、俺の態度は少々非礼だったと言わざるを得ないだろう。
「ああ、すまない。決して君個人を尊重していないわけではない。君の人柄が尊敬すべきものである事は分かっている」
「い、いえ、そんな……」
相手は子供とは言え、個人の人格を無視して『誰々さんの娘』という型に嵌めてしまうのは失礼極まる話だった。
ましてやこの子は、カリンに認められるほどの少女。ユキは恥じらって謙遜しているが、この少女の人柄については俺も認めている。
安易にレッテルを貼るような真似は許されない事だろう。
「ちょっと、なにユキに色目使ってんのよ!」
俺とユキが和やかに話していると、カリンが言い掛かりをつけてきた。
どこをどうすれば色目を使うという発想が出てくるのか不思議でならないが、これが思春期特有の桃色思考というやつなのかも知れない。
「無茶苦茶な事を言うのは止めるんだ。俺にはこれっぽっちも疚しい感情はない。まぁ、真星さんには胃袋を掴まれているから逆らえないという気持ちはあるが」
「胃袋を掴まれてるって、ユキが誑し込んでるみたいな言い方は止めなさい!」
俺は真摯に無実を訴えたが、しかしカリンには道理が通じなかった。
実質的な意味で胃袋を掴まえられていると言っているのに、むしろカリンの方がユキを悪女に仕立てあげている有様である。
「ぅぅ……」
カリンが騒ぎ立てるせいでユキが恥ずかしげに俯いている。
何もしてないのに『魔性の女』のような扱いを受けているのだから無理もない。
なぜか付き人が俺を見る視線が険しくなっているが、ユキを辱めているのは俺ではなくカリンだ。いやはや、冤罪とは実に恐ろしいものである……。
明日も昼と夜に投稿予定。
次回、十七話〔ミラーリング効果〕