十四話 人間の傲慢
それからカリンは急に口数が少なくなった。
その様子は緊張しているようで嬉しそうでもあるので、おそらく俺の『友人宣言』に照れているのだろうと思う。
そんな中、場の空気を入れ替えるかの如く――不意に事務所の窓が開く。
「ッカァ、邪魔するぜ相棒」
ひょこっと窓から顔を出したのは漆黒の鳥。
普段より顔を見せる時間が早いが、この様子からするとカリンに興味を抱いて接触してみたくなったのだろう。基本的に好奇心旺盛なカラスなのだ。
俺がカリンの人柄を保証していた影響なのか、今日のカラスは知性を隠すことなく堂々としている。その理知的な瞳はカリンを見極めようとしているかのようだ。
「ちょ、ちょっと、カ、カラスが入ってきたわ! 喋ってるわ!!」
一方のカリンはパニックに陥っていた。
いずれはカラスの事を紹介するつもりではあったが、今回は想定外の来訪だ。予備知識が無ければカラスの特異性に驚くのも無理はない。
「カァッ、騒がしい嬢ちゃんだな。相棒から聞いてたより随分とお転婆らしい」
騒ぐ幼女を意に介さず、カラスはマイペースに流し台へ飛んでいく。
そして器用に蛇口を捻り、泡ハンドソープを使って丹念に爪を洗い始めた。このカラスは綺麗好きなので俺にとっては見慣れた光景だ。
「カ、カラスが喋りながらハンドソープを使ってるわ!?」
もちろんカリンにとっては未知の光景だ。
目に映る光景が信じ難いのか、カリンは目を丸くしてカラスを指差している。
「ふふ、驚いたかカリン? このカラスはな、外から帰った時にはうがいと手洗いを欠かさないんだ。これほど鳥インフルエンザ対策が完璧な鳥は珍しいだろう?」
カラスの衛生意識の高さを自慢してしまう。
これは俺が教えたのではなく勝手に真似するようになったのだが、ある意味では俺が衛生観念を伝えたとも言えるので誇らしいのだ。
「そこじゃないわよ! いえ、そこもだけど、そうじゃなくて……そうよ、あのカラスは明らかにおかしいでしょ!」
カリンは支離滅裂な事を言いつつ、最終的にカラスの異常性を声高に指摘した。
その声に応えたのはカラスだ。
「カカッ、何もおかしくなんかないぜ嬢ちゃん」
明らかにおかしいカラスが抜け抜けと言い放つ。
カラスは爪をタオルで拭いた後、翼を広げて飛び立ち――俺の肩に舞い降りた。
「オレ様はなぁ、この千道ビャクの唯一無二の相棒だ。そんじょそこらの鳥畜生と一緒にされるのは心外だぜ」
珍しくカラスが肩にとまったと思ったが、どうやら相棒感をアピールする目的があったようだ。そして心なしか普段より機嫌が良さそうな雰囲気がある。
もしかすると俺以外の人間とも話してみたいという欲求があったのも知れない。
「な、なんなのよ、あんたは……」
強気な言動のわりに臆病なカリンだけあって、奇怪なカラスに腰が引けている。
両者共に善良な性質なので相性は悪くないと見ていたが、さすがに初対面では警戒してしまうらしい。カラスの方はそんな幼女の反応を気にも留めず、いつになく上機嫌でぺらぺらと舌を回す。
「オレ様はなぁ、路上でくたばりかけてたところを相棒に助けられたんだよ。嬢ちゃんよ、治療費が高くて払えないって時に相棒がなんて言ったか分かるか? 相棒はこう言ったんだ――『金が足りないなら俺の腎臓を売る!』ってな」
「えぇぇっ! じ、腎臓を売っちゃったの!?」
跳び上がらんばかりに驚くカリン。
だがカリンが驚くのも当然だ。なにしろ――俺もそんな話は初めて聞いたのだ!
「おいこら、無垢な子供にデマカセを吹き込むんじゃない。そもそもそんな事を言ったところで動物病院を困らせるだけだろうが」
調子に乗って過去を捏造するカラスを叱責だ。
カリンが例によって「誰が子供よ!」と噛みつくのを聞き流しつつ、ホラ吹きカラスの堂々とした弁明を聞く。
「カカッ、オレ様にはちゃんと分かってるぜ。あの時の相棒なら、それくらいの事は平気で言い出してただろうよ」
こいつめ、俺の心の声を捏造してしまうとは恐ろしい奴だ……。
あまりにも堂々と『相棒はこう言ったんだ』などと言うものだから、思わず自分の記憶を疑ってしまったではないか。
「治療費が足りなくて借金をしたのは事実だが、わざわざ自分の腎臓を売ってまで金策したりはしない。お前は俺を買い被りすぎだ」
「いいや、相棒なら腎臓くらい迷わず売るぜ。オレ様にはそれが分かるんだよ」
あくまでも俺の腎臓を売ろうとするカラス。
俺の腎臓に恨みでもあるのか、頑なに俺を腎臓バイヤーにしようとしている。
そして俺とカラスが『売る!』『売らない!』などと商人のような言い争いをしていると――カリンが不満そうに呟く。
「……あんたたち仲良いのね」
この不機嫌そうな声音から察するに、新しい友達が別の友達とばかり話しているので疎外感を受けてしまったようだ。これはカリンを放置していた俺が悪かった。
しかし、俺が言葉を返す間もなくカラスが挑発するように笑う。
「カァッカッ、相棒はオレ様に夢中なんだよ。昨晩も身体を好き放題に弄ばれちまってなぁ、まったく大変だったぜ」
「えぇぇっ!? ……わ、私だって、昨日、変なトコ触られたもん!」
人聞きの悪い事を言うカラスに対し、カリンは謎の対抗意識を発露している。
カリンの言う『変なトコ触られた』というのは、脇の下に手を入れて高い高いをしてあげた時の事なのだろう。なぜこんな事で張り合ってしまうのか。
だが、これは俺の名誉に関わる問題だ。
何も知らない第三者が聞けば、俺はカラスと幼女にいかがわしい真似をしたトンデモ野郎という事になってしまう。ここは仲裁に入らねばなるまい。
「こらこら、俺の尊厳を損なうような言い争いは止めるんだ」
タチの悪い口喧嘩をする両者を止めに入る。
幼女とカラスの口喧嘩でありながら被害を受けるのは無関係な俺。この巧妙なネガティブキャンペーンを見過ごすわけにはいかない。
しばらく適当に宥めていると、無益な争いを悟ったのか両者に落ち着きが戻る。
「……そういえば、あんたの名前を聞いてなかったわね。この私が聞いてあげるから、あんたの名前を言ってみなさいよ」
金髪幼女による尊大な発言。
カラスの来訪前には緊張している様子が見られたが、ぎゃいぎゃい騒いでいたのが功を奏したのか余裕の窺える物言いだ。
「ッカァ、オレ様に名前なんざ無いぜ。ここはオレ様と相棒だけの世界だったからな。個体識別名を必要とした事なんざ無いんだよ」
そう、このカラスに名前は無い。
俺とカラスだけで会話するなら名前など無くとも支障は無いのだ。
「えぇぇ、信じらんない……。飼ってるなら名前くらい付けてやりなさいよ」
「いやいや、俺はこいつを飼っているわけではない。責任を持って飼っているペットならともかく、野生動物に勝手に名前を付けるのは失礼というものだろう」
まるで人でなしを見るかのような目で見られたので弁明しておく。
実際のところ、俺の弁明には正当性がある。野良猫などが場所によって別の名前で呼ばれる光景は珍しくないが、そんな光景を見かけると人間の傲慢さを感じずにはいられないのだ。
耳を澄ませば野良猫の心の声が聞こえてくるようだ――『ほぉら、タマちゃんおいで』『我が名はガブリエルである!』
「なんなのよその拘りは……。普通の野生動物ならともかく、意思疎通が出来る相手なんだから名前が無い方が不自然じゃないの」
なるほど……言われてみればそうか。
それにこれまでは俺とカラスだけの世界だったが、今はカリンも存在している。
いつものように『おい』と呼び掛けるだけでは紛らわしいかも知れない。
「その意見には一理ある。カラスよ、この機会に名前を決めてみたらどうだ?」
「……ッカァ。オレ様に名前を付ける者がいるとしたら、それは相棒だけだぜ」
ガラス玉のような瞳を俺に向けるカラス。
その澄んだ眼差しは、俺の名付けに期待しているかのように感じられる。……もしかすると、前々から俺に名前を付けてもらいたかったのだろうか?
こいつは傍若無人に見えて気を遣うところがあるので可能性はある。
カラスの期待に気付かなかったのは俺の失態だが、今は過去を後悔している場合ではない。ここはカラスの期待に応えるべき場面だろう。
「分かった、お前の命名は任せておけ。……そうだな、これまでは『お前』や『カラス』と呼んでいたから語感が近い方がいいだろうか」
「えぇぇぇ……カラスって呼んでたの? あんた、人の心が無いんじゃないの?」
さりげなく俺の心を傷付けるカリン。
しかし俺の心は頑健だ。心無い言葉は完全に無視して静かに沈思する。
「――ラス。『ラス』という名はどうだ?」
「ッカァ!」
良いのか悪いのかどっちだ!? と一瞬思ったが、カラスはすぐに「嬢ちゃん、オレ様の名はラスだ。よぉく覚えときな」と偉そうに大見得を切り出した。
この絶好調の態度から察するに、俺の名付けに大変満足してくれたようだ。
「ほんっと偉そうなカラスね……」
カリンは呆れた声を出しているが、偉そうな態度というならお互い様だ。
大体からしてこの幼女、『名前くらい付けてやりなさいよ』などと偉そうに言っていたくせに、これまで俺の事を『あんた』としか呼んでいない。
急に『ビャクお兄ちゃん!』と呼ばれても不気味なので改める必要性はないが、カリンから人非人扱いを受けたのは理不尽だと言わざるを得ない。
そんなモヤモヤした思いを抱いている間にも、幼女とカラスの話は弾んでいた。
「えっ!? あんたってメスだったの? じゃあ、もっと女の子らしい名前の方が良かったんじゃないの?」
「カァッ、相棒が付けてくれた名だからな。これに勝る名は存在しないぜ」
「あんたってイジらしいとこあるわね……」
カリンとラスはすっかり打ち解けているようだ。
カリンにとっては『神桜』の名を聞いても態度が変わらない相手。ラスにとっては自分の名付けの切っ掛けになった相手だ。
お互いに少なからず好感を持っているのか、以前からの知り合いであるような親しげな雰囲気が感じられる。俺の見立て通り性格的相性も良いようだ。
「オレ様なんて言ってるからオスだと思ってたわ。なんでそんな喋り方なのよ」
「そりゃぁ、相棒のパートナーとして弱い所はみせられないからな」
んん? これは思わぬ新事実だ。
ラスの発言からすると、俺の相棒として強い姿を見せる為に強気な言動をしていたという事になる。どうやら本当にこいつはイジらしいやつらしい。
「まったく……変な気を遣うんじゃない」
殊勝なカラスの頭を包み込むように撫でてやると、ラスは「やめろぉ」と言いつつも俺の手から逃げようとしない。
中々に可愛い奴ではあるが、しかし同時にその忠義心に不安も感じている。こいつは義理固いところがあるので、俺の為に無茶をしかねない危うさがあるのだ。
――おっと、いかん。
ふと気が付けば、カリンがジト目でこちらを見ている。ラスばかりを可愛がっていたので嫉妬してしまったに違いない。
これは俺の失敗だ。両者の共通の友人としては公平な対応をすべきだった。
「ちょっと、気安く触らないでよ!」
空いた手で頭を撫でてやると、カリンからも不服そうな声が返ってきた。
しかしラスと同様、文句を言いつつも俺の手から逃げ出す気配が見られない。
やはりカリンとラスはよく似ている。口が悪くて素直じゃないところは瓜二つだ。この似た者同士ならば今後も仲良くやっていけるはずだろう。
明日も昼と夜に投稿予定。
次回、十五話〔開かれたパーティー〕