百三八話 成長していた妹分
自分の訪問を無条件で歓迎してくれる場所は貴重だ。圧倒的なまでの肯定で自信を取り戻し、温かい空気によって外界で冷えた心は解きほぐされる。
現代社会で健全性を保つ為には必要不可欠な場所。俺にとってのそんな場所は言うまでもない――そう、俺の育った孤児院だ。
「こらこら、身体によじ登るのは止めるんだ」
わーっと群がる子供の一人がよじよじと登り出したので注意する。
マウント富士ならぬマウント千道を制覇しようという心意気は認めるが、名探偵は容易くマウントを取られたりはしないのだ。
騒がしい子供たちを存分に甘やかし、一区切りついたところで建屋に向かう。
普段よりひと気の少ない孤児院。夏休みだけあって年長組の大半は遊びに出掛けているようだが、ふらりと顔を出したリビングで意外な顔を発見した。
「……ミスミ? なんだ、せっかくの夏休みなのに外へ出掛けてなかったのか」
ミスミはリビングで寛ぎながらスマホに集中していた。遊びに出掛けているかバイトに精を出しているか、そのどちらかだと思っていたので予想外だ。この年頃になると孤児院を窮屈に思ってしまう子供も少なくないのだ。
「ふふふ〜ん、何を言ってるんですかビャクさん。何を隠そう、今日はビャクさんが来ると聞いてたから孤児院に残ってたんですよ?」
「まったく、俺に気を遣ったところで何も出てこないぞ? せいぜいヨシヨシしながらチョコを食べさせてやるくらいのものだ」
「至れり尽くせりですーっ」
わいわい騒ぎながらもチョコを口に入れてエヘエヘしているミスミ。基本的に欲求に素直な子供なので年長者の本能で甘やかしてしまうのだ。
「しかし例のバイトは良かったのか? 夏休みだから学生には稼ぎ時だろう」
「ふふん、心配ご無用です。バイトは週に三日も働いてるから大丈夫ですよ。一週間の半分近く、しかも一日二時間も働いてるんですよ?」
ふむ、なるほど……。俺の感覚的には過酷な労働には思えないところだが、ミスミにとっては驚異的な労働条件なのだろう。
ここは褒めて伸ばす方針で「ミスミは偉いなぁ」と褒めそやしてやるのみだ。
ちなみにミスミのバイトは、以前に自分で見つけた軽作業で高収入の仕事だ。
誰にでも出来る仕事で高収入、という怪しげな謳い文句だったが、俺がこっそり調査してみると意外にも求人広告通りの内容だった。
ミスミの眼力が優れているのか運が良いのか、いずれにせよ好条件の仕事を見つけられた事は喜ばしい限りだ。そしてひとしきり勤労を褒めそやしてデヘデヘさせた後、微妙にさっきから気になっていた事を聞いてみる。
「ところで、スマホで観ていたのはアニメか? ミスミにしては珍しいな」
「このアニメですか? 学園の友達からオススメしてもらったんですよ」
ふむ、なるほどなるほど……。
これは二つの意味で歓迎すべき情報だ。
まず一つ目、学園にはミスミの友達が存在するという事実。ミスミはズレているので学園に馴染めない事を心配していたが、俺の心配は杞憂に過ぎなかったのだ。
そして二つ目。
それは他でもない、ミスミが友人の影響でまともになりつつあるという事だ。
口にするのも憚られる狂った映画を推していたミスミ。そのミスミが一般的なアニメを視聴しているのだから喜ばしい限りである。
「――あっ、そうだ! ちょっと聞いてくださいよビャクさん〜っ」
急に何かを思い出したのか、陳情を訴えるように縋り付いてきた。妹分が困っているなら助けなくては、と真面目に聞く――が、その訴えは意外なものだった。
「そのアニメを子供に観せようとしたら、副院長に厳しく怒られた……?」
人の良い院長先生を支える敏腕家の副院長。カリンの付き人である雨音に似たタイプの女性だ。打算的なところがあるので昔は苦手としていたが……しかし、子供にアニメを禁じるほど狭量な人間ではなかったはずだ。
「それは妙な話だな……ひょっとして、それは破廉恥な成人アニメなのか?」
「もーっ、違いますよー! そんなわけないじゃないですか、『スイスイとカンカンの大冒険』っていうハートフルなアニメですよ!」
もしやと思って聞いてみたが、ミスミでも子供に成人アニメを見せないだけの良識は持ち合わせていたようだ。そしてミスミはぷんぷんしながらスマホを操作し、目に焼き付けよとばかりに俺の眼前に動画を突きつける。
「どれどれ…………んん!?」
「ふっふっふっ。さしものビャクさんでもこの斬新な設定には驚いたようですね。これは『臓器』が主役のアニメなんですよ」
な、なんだこれは……。
スイスイとカンカンとは、まさかのすい臓と肝臓ではないか……!
しかもデフォルメされていないリアル臓器――そう、これはグロ動画だ!
「お、お前という奴は、こんなグロ動画を子供たちに見せようとしたのか……」
「もーっ、スイカンはグロ動画なんかじゃないですよー! これはれっきとした社会派のハートフルなアニメなんですからね」
くそっ、ほのぼのとしたタイトルに騙された。
なにがスイスイとカンカンだ、パンダみたいな名前を付けよってからに……。よくもこのビジュアルでファンシーな名前を名乗れたものだ。
「……いやはや、これは副院長のお手柄だったな。もう少しで純粋無垢な子供たちにトラウマが植え付けられるところだった」
「ビャクさんひどいですーっ!」
あくまでも被害者面をするトラウマスプレッダーのミスミ。学園の友人から紹介してもらったアニメという事で油断していたが、ミスミが気に入る作品がまともであるはずがなかった。ミスミの友人の人間性も危ぶまれるところである。
「ひどいのはミスミの方だろう。大体からして、これのどこがハートフルなアニメだ。リアルな心臓が出てくるだけだろうが」
びくびくと脈打つハートは出てくるようだが、そんなものをハートフルな作品と言えるはずがない。とんだハートフル詐欺である。
「いえいえ、これが本当にハートフルな内容なんですよ。統一派のスイスイと分裂派のカンカンは細胞的に対立していて……」
「やめろやめろ。触りを聞いているだけで頭がおかしくなりそうだ」
俺に妄言を遮られてムーッと不満そうなミスミ。ファンとして魅力を語りたい気持ちは分からないでもないが、細胞的に対立しているなどと意味不明のワードを並べられては堪らない。何から何まで意味が分からないのだ。
「そのアニメは学園で流行っているのか? ……いや、そんなはずはないか。好んで観ているのはミスミの友達とミスミだけ――そうだろう?」
「むむぅーっ」
図星を突かれてぐうの音も出ないようだ。
まぁしかし、これは悪い事ばかりでもない。ミスミとその友達は嗜好的に学園で孤立しかねないところだったが、狂った趣味を持つ同士として出会えたので孤立を免れたのだ。二人が出会えた事だけは素直に喜ばしい。
いずれはミスミの友人として紹介される機会があるかも知れないが、その時は保護者としてお礼がてら存分に甘やかしてやるとしよう。
明日も夜に投稿予定。
次回、百三九話〔暗躍する付き人〕