百三三話 正義の脅迫
「――アイツらをぶっ飛ばせばいいんだなっ!」
「いいわけあるか。とりあえずこれを飲め」
好戦的な野生児にペットボトルを渡しておく。ここまで走って身体が暖まったからなのか、子供たちがネガティブな感情を発しているからなのか、いきなり初対面の軍人を殴り飛ばそうとしているのは脅威という他なかった。
素直なルカが「んくんく……」とスポーツドリンクを飲んでいる中、俺はこれから取るべき手段を静かに考えていた。
小さな橋の途中で駐まっている装甲車。通行止めとなった橋の周りに形成されている待機車列。一見すると、装甲車が橋の途中で故障したかのように見える。実際に軍人たちは近隣住民にそのように説明しているとの事だ。
現在はレッカー車の到着を待っている状態という事になるが――しかし、事はそれほど単純ではないはずだ。ここは俺が率先して動くべきだろう。
「サティーラ、ちょっと付き合ってくれ。とりあえず二人で事情を聞きに行こう」
「これ、待たぬか。儂も行くに決まっておろう」
「……いえ、ナムさん。実はカリンが車酔いしてるらしいんです。申し訳ないですが、チャイクルさんと一緒に励ましてやってもらえませんか?」
「なんと、それはいかぬ……!」
もちろんこれは真っ赤な嘘である。
他人を疑わないランバード家の二人を騙すのは心苦しいが、今回の一件では善良な人々を遠ざけておきたいので致し方ない。
「カリン、大丈夫かっ!」
当然のように純真なルカも騙されていた。
突然の車酔いにさせられたカリンが恨みがましい目を向けてくるが、それでも俺の意図を察してくれているらしく文句は言わない。そんなカリンの頭をふわりと撫で、温かい同乗者たちに軽く手を振り、俺とサティーラは大地に降り立った。
「――サティーラ。あの装甲車はランバード家への嫌がらせだろうか?」
「おそらくな」
俺の単刀直入な質問に対し、サティーラの方も無駄なく答えた。
ランバード家の人々やカリンたちは善意を基準に考えるところがあるが、俺やサティーラは悪意を基準に考えるところがある。だから、すぐにそれが分かった。あの連中は……ランバード家に悪意を持っている、と。
その理由については思い当たる節がある。
我らがチャイクルさんは移民に近い出稼ぎ労働者だが、しかしランバード家が経済的に困窮しているから訪日したわけではない。
チャイクルさんの父親は市長として生活に困らないだけの報酬を得ていたし、ランバード家は元王族としてそれなり以上の資産を持っている。
本来であればチャイクルさんが出稼ぎ労働者となる必要性は全く無いのだ。
それでもチャイクルさんが母国を発つ事になったのは、彼が政争に巻き込まれないようにする為だ。シアポール連合王国には象徴としての王族が存在するが、なにかとスキャンダルが多いらしく国民の支持を得られていない――となれば、吸収合併したブルネイアの王族人気が高いことは面白いはずがない。
そのまま国内に留まっていると危険が及ぶ可能性もあったので、ナムさんたちはチャイクルさんを国外に出したという訳だ。
「先日の市場で騒ぎになっていた事もそうだが、八面玲瓏である殿下の国民人気は依然として高い。この国の政府は殿下の存在が疎ましいのだろう」
「ランバード家の土地に嫌がらせをしてチャイクルさんを追い出そうというわけか。暴力団による地上げのようなものだな」
今回の一件については最初から不可解な点が多かったが、装甲車の連中が発している悪意を目にした時点で事情は察せられた。現地の事情に詳しいサティーラも同意見なので疑う余地は無い。あの連中は、ランバード家の敵だ。
「ともあれ、その殺気を静めろサティーラ。国軍に手を出すわけにはいくまい」
「……フン、貴様に言われずとも分かっている」
サティーラの一族は昔から王家の敵を葬っていたような節があるが、この状況下で軍人に手を出してはランバード家に迷惑を掛けることになる。
ここは穏便な形で解決するのが必須だ。
もちろん、これは本来ならランバード家が対処する問題ではない。基本的には警察や軍に相談すべき案件であり、地主のナムさんに持ち込む問題ではないのだ。
ただ、この状況からすると国に相談したところで早期解決は見込めないだろうし……なにより、ランバード家の車が姿を見せてからは周囲に安堵の雰囲気が漂っている。ランバード家が人々から信頼されているとなれば、俺たちも関係者として期待に応えざるを得ないだろう。
「ここは俺が穏便に説得してみせよう。サティーラは通訳してくれるか?」
「貴様が説得だと……?」
サティーラは人間不信なので懐疑的だが、俺は他人の心が読めるので交渉事にはうってつけだ。ランバード家の名代に相応しい交渉術を披露してみせよう。
そもそも装甲車の連中が政府の意向を受けているにしても、正規の軍人である以上は無茶な真似はできない。巧妙に話を持っていけば容易に片付くはずだろう。
「やぁやぁ、お困りのようだな。装甲車が動かないなら俺たちが押してやるぞ?」
俺はにこやかに兵士たちに声を掛けた。
都合良く橋の上で装甲車が故障したとは全く思っていないが、ここは手順が肝要だ。スマートな問題解決の為には段階を踏んでいかねばならない。
しかし、サティーラの通訳の後に返ってきたのは無作法な返答だった。
「――ペッ!」
このシカ野郎……!
橋に唾を吐き捨てて提案を一蹴してしまう兵士、この無礼千万な態度には寛大な俺でも心穏やかではいられなかった。
善意に対して悪意で返すような輩は万死に値する……いやいや、落ち着くんだ。
これはおそらくサティーラが殺気立っているから感情的な反応が返ってきただけだ。この程度の事で我を失ってはいけない。
それに、これは好都合でもある。
装甲車の上でニヤニヤしている連中は腹立たしいが、この兵士たちの素行が悪ければ悪いほど俺たちの存在が正しく見えるのだ。
いざとなったら胸ポケットで撮影中のスマホを突きつけて『おやおや、この動画を晒されてもいいのかな?』と正義の脅迫をしてやれば万事解決である。
明日の投稿で第五部は終了となります。
次回、百三四話〔サイコパラドックス〕