百二九話 取り戻した自信
つつがなく市場観光を終えた俺たち一行。
最初こそ些細なトラブルもあったが、周囲から人が居なくなってからは平和なものだった。子供たちも買い食いという珍しい体験を楽しんでいたようなので何よりだ。そんな俺たちの次の目的地は、ある種の必然的結果によって決定していた。
「――いやぁ、チャイクルさんの実家を訪問するなんて楽しみですよ」
「私、ヤッテキタ!」
そう、俺たちはランバード家の屋敷に向かっていた。もちろん俺の個人的な希望によるものではない。チャイクルさんの生家を訪問したいという気持ちはないでもないが、これは止むに止まれぬ事情があっての事だ。
先の市場では貧血で倒れた男が露店にダイブしてしまった形だが、それに関しては俺たちにも少なからず責任があったと認めざるを得なかった。……となれば、頭を抱えていた露店商を放って置けるはずもない。俺たちが迷惑料がてら露店の商品を買い取ったのは当然の流れだと言えるだろう。
しかし、露店の商品は生モノが大半。
そんなものを持ち運びながら観光地を巡るのは非常識なので、ここはチャイクルさんの実家を訪問がてらお土産にしようという話になったのだ。
「それにしても、カリンの買い取り交渉は見事なものだった。難しい交渉だったはずなのに淀みなく話を纏めていたからな。まるで仲買人のような手際の良さだ」
カリンは対人関係に臆病なところがあるにも関わらず、初対面の大人である露店商を相手に堂々と話していた。露店商の方も気が弱かったのか異常に怯えていたところはあるが、それでもカリンの進歩は大したものだと言えるだろう。
「別に大した事はしてないわ。全商品の総額に色を付けて買い取っただけよ」
「全商品の総額……? あそこは商品も値段もバラバラに並べられていたはずだが……あの短時間でそこまで計算していたのか」
俺の目には適当な金額を支払ったようにしか見えなかったが、カリンの口ぶりからすると商品の総額を計算した上で色を付けていたようだ。
相変わらず常人離れしている幼女である。
「それにあれは買い取り交渉と言うより示談交渉よ。ビャクとルカが大暴れしたのに、私が代わりに謝ったんだから」
文句を言いながらも頬を緩めているカリン。
おそらく俺やルカに出来ないことをやり遂げたので達成感を覚えているのだろう。なぜか俺まで加害者にされているのは引っ掛かるが、俺が主犯格のように言われているのは引っ掛かるが、カリンが満足そうなので余計な口は挟まない。
しかし、それにしてもだ。
カリンが知らぬ間に成長していると思ったが、もしかすると過去にもルカは同じような事をやらかしているのではないだろうか?
なにしろカリンは妙に手慣れていた。あの手際からすると過去にも同様の補償対応をした経験があるとしか思えないのだ。ルカを護衛に推薦した身としては責任を感じてしまうが……まぁ、カリンが逞しく育っているので良しとしておこう。
――――。
ランバード家の屋敷。話によると現役の王族だった頃から住んでいる家らしいが、チャイクルさんの実家は周囲の家とは一線を画している家だった。
なにしろ王族的なイメージのある派手な宮殿ではなく、なぜか和風建築の屋敷だ。このシアポールの雰囲気には全く合っていない建物だと言えるだろう。
「ここがご実家ですか! 門の前で一緒に写真を撮っても構わないですか?」
「イイネ!」
しかし俺には屋敷の外観など些細な事だった。チャイクルさんの実家という圧倒的事実の前ではガワなど無意義。言うなれば聖地巡礼のようなものという事で、俺のテンションは否応なしに跳ね上がっていた。
「貴様ッ、殿下の肩に腕を回すな!」
肩を並べてパシャリとしていると怒声が飛んできたが、もちろん俺は全く気にしない。理不尽に殺気を飛ばされても腹を立てることなく「サティーラも一緒に撮りたいらしいですよ?」と気を利かせてしまうほどだ。
「わ、私のようなものが、殿下と並ぶなど……」
ぐずぐず遠慮しているサティーラの背中を押して並ばせる。口では固辞しながらも実際には全く抵抗することなく、二人仲良くパシャリだ。
ちなみにサティーラは住み込みで働いているとの事なので、これは自宅の前で撮影するという奇怪な行動でもあった。
聖地での記念撮影を終えた後、俺たちは殿下に案内されて屋敷の中へと入る。
通されたのは畳張りの部屋。お茶請けにフルーツ盛り合わせを提供してもらい、屋敷の奥に消えていったチャイクルさんを待っていると、この屋敷の主人であるチャイクルさんの祖父が案内されて顔を見せた。
「――ふぉっふぉっ、よう来たのぉビャク坊。向こうの暮らしはどうじゃ?」
それはまるで実家に帰ってきたかのような雰囲気だった。
にこにこと頬を緩めているチャイクルさんの祖父。当然のように『ビャク坊』と呼ばれている事もそうだが、とても初対面とは思えないほどの柔らかい空気感だ。
……というか、俺が初対面で子供扱いされているのは非常に珍しい。
俺は子供の頃から高身長で老け顔だったので、子供料金で電車に乗れば『ストップッ!』と駅員に呼び止められ、警察に職務質問を受けた時には『嘘を吐くなッ!』と怒鳴られていたのだ。そう思えば子供扱いされるのは素直に嬉しい。
「ええ、俺は元気にやっています。ナムディマスさんもお元気そうで何よりです」
「ナムディマスとは他人行儀じゃぞ。儂のことは気安く『ナム』と呼ぶといい」
ナムディマス=ランバード。
チャイクルさんの祖父であり、亡国ブルネイアの先々代の国王だと聞いている。
今となってはチャイクルさんの唯一の肉親という事らしいが、チャイクルさんの祖父だけあって王族らしからぬ飾り気のない人柄のようだ。
ちなみに……ナムさんは当然のように日本語を喋っているが、これはブルネイアの首都と日本の地方都市が【姉妹都市】の関係となっていた影響が大きいらしい。この屋敷が和風建築となっているのも文化的影響を受けての事のようだ。
サティーラが日本語堪能なのも納得がいくところだが、なぜか日本に十年住んでいる御方の言語が一番怪しいような……いや、これ以上考えてはいけない!
そんなアットホームな空気のおかげだろう、人見知りがちな子供たちもナムさんの前では物怖じしていない。俺の事務所に居るかのような感覚で雑談している。
「ビャクが敬語使ってるのは違和感あるわね……。誰にでも偉そうな態度なのに」
「私のおじいちゃんにも最初だけ敬語だったよ」
なにやら失礼な会話を交わしているカリンとユキ。ユキのクレイジーおじいちゃんに関しては相手側に非があったのだが、まるで俺が無礼者であるかのような言い草をされている。恐るべきはユキの印象操作と言えよう。
「ふおっふおっ、カリンとユキもルカのように果物を食べるといい。このカニステルなどどうじゃ? 食べれば食べるほど喉が渇いてしまう果物じゃぞ」
「お世辞にも美味しそうに聞こえる謳い文句じゃないわね……」
コミュニケーション強者であるナムさんは子供たちにも遠慮しない。
本気で言っているのか冗談で言っているのか判然としないが、マンゴーのような謎果物をニコニコしながら勧めている。しかしカリンの方も「なんとなくカボチャっぽいわね」と文句を言いながらも満更でも無さそうだ。
「ほれ、ラスにはランブータンをやろう。氷華ちゃんも遠慮はいらぬぞ」
「カァッ、ランブータンか。聞くところによれば味はライチと似てるらしいな」
うむ、大らかなナムさんはカラスが相手でも差別していないので一安心だ。
異国の文化的に『鳥畜生に食わせる果物はないわッ!』と嫌われる恐れもあったが、このナムさんが卑小な差別をするはずもなかったのだ。
なぜか氷華だけが『ちゃん付け』されているのは気になるが……チャイクルさんはどのように俺たちの事を伝えたのだろうか? そう思ってチャイクルさんの方に視線を向けると、以心伝心で疑問が伝わったのかニッコリと口を開く。
「――ビャク、モモダケ!」
えっっ!? テーブルにはフルーツの盛り合わせが鎮座しているのに、俺が食べることを許されているのは桃だけ……?
もしかしてチャイクルさんの不興を買ってしまったのか? ……いやいや、そんなはずがない。ここは冷静になって推理すべき場面だ。
彼の謎発言は二種類に大別される。
その二種類とは、言語系と語感系。今回の発言を言語系で考えると『ビャクはミカンだけ!』『ビャクはリンゴだけ!』などが候補に挙がるが、これらの発言には不自然感がある。おそらく今回は言語系ではないだろう。
となると、考えられるのは語感系。
ビャクは桃だけ、ももだけ、モモダケ、トモダチ――そう、友達だ!
「ええ、その通りです。俺とチャイクルさんは友達。もう付き合いも長いですから、親友と言っても過言ではない間柄ですね」
俺は名推理によって真実に辿り着いた。
まったく、チャイクルさんの優しさを疑ってしまうとは恥ずかしい。チャイクルさんがそんな無体な命令を下すはずがないのだ。
「モモダケ!」
チャイクルさんから差し出された桃にガブリと食らいつきつつ、俺は自分の名探偵ぶりに惚れ惚れしていた。最近はカリンやラスに名探偵のお株を奪われがちだったが、やはりチャイクルさんの実家を訪問したのは大正解だった。
しかし、俺だけが満足していてはいけない。
カリンやユキからすれば友達の友達の家という事で気後れしただろうが、子供たちにはランバード家訪問を後悔させないように楽しませてやるとしよう。
明日も夜に投稿予定。
次回、百三十話〔直すべき悪癖〕