百二四話 正しきレジャー精神
この場に全員が揃ったとなれば、太陽に灼かれ続ける理由はない。俺たちは浜辺に荷物を置き、透き通った海へと足を踏み入れる。
「なによビャク。なんで海に入るのにスマホなんか持ち込んでるのよ」
「ああ、これか。スキーの時と同じだ。雨音から撮影を頼まれていてな」
海に入った直後に胡乱げな視線を向けられたので説明しておく。今回の旅行では移動から食事に至るまで世話になりっぱなしだが、その罪悪感を軽減させるかのように『ルカさんの手綱とお嬢様の撮影をお願い致します』と頼まれているのだ。
部外者が専任護衛の手綱を握るという依頼はともかくとして、雨音がカリンのレジャー模様を見たいという気持ちはよく分かる。
あの黒幕系付き人はカリンが大好きなのだ。
もちろんスキーの時と違って水着姿の幼女を撮影するのは何かと問題だが、具体的にはユキから『通報案件で草生えます!』と言われかねないが……しかし、病床で退屈している雨音の事を考えれば多少の不名誉も致し方ない。
「ええっ、さ、撮影するの……?」
「ふっふっふっ、カリンが心配している事は分かるぞ。税関で子供の水着動画が見つかったら俺が逮捕されてしまう――そういう事だろう?」
「そんな事は心配してないわよっ!」
諸外国では児童的なコンテンツに大変厳しく、税関でスマホを調べられて逮捕されるというケースも珍しくない。幼女にしか見えないカリンの水着動画となれば、爆発物を所持しているに等しい危険度だと言えるだろう。
しかし、その心配は杞憂に過ぎない。
俺一人ならともかく撮影対象も同行しているし、なにより俺たちはプライベートジェットの乗客だ。経済的障壁の前では検閲などフリーパスである。
「そもそもカリンの動画を余人に見せたりはしない。何があっても、絶対にだ。万が一の時にはスマホを破壊するのも躊躇わないぞ」
「そ、そう……」
俺のプライバシー意識の高さを力説してやると、カリンは無粋な発言を恥じるかのように顔を赤らめた。こちらのプライバシー意識を理解してくれて何よりだ。
もちろん俺の発言に偽りは無い。
名探偵として個人情報の取り扱いに注意を払うのは当然であるし、それが妹分のものとなれば命懸けで死守せねばならないのだ。これでカリンの説得は成功したという事で、何かを言いたそうなユキにも説明責任を果たしておく。
「安心してくれユキ。動画撮影となれば一緒に映り込むだろうが、最終的には上手く編集してユキの存在を消し去ってみせるからな」
「不祥事を起こした有名人みたいですね……」
おっと、なぜかユキから不満の声だ。
これほど気を遣っているのに嫌そうな顔をされるとは不思議でならない。
トリミングや構図変更などで巧みに存在を抹消するという編集技術。視聴者である雨音が『一緒に行ったはずのユキさんが居ない?』と疑問に思わないくらいの神編集を披露するつもりだったのだが、ユキはテレビっ子なのか存在抹消編集に悪いイメージを持っているようだ。
「まぁ、要所要所で撮影するだけだから映り込みも少ないはずだ。――それより、ビーチバレーやスイカ割りの予定が詰まってるからサクサク進行していこう」
「遊びに来たはずなのに慌ただしいわね……」
適当なスケジュール管理をしていては、この日の為に用意されたスイカが無駄になってしまう可能性がある。それだけは断じて許されない。
無計画筆頭のルカなどは大海に向けて泳ぎ出しているが、俺たちだけでもイベントを一つずつクリアしていくべきだろう。
「――よし、カリン。そこで棒を砂に叩きつけて『シットッ!』の一言だ」
「私がそんな事やるわけないでしょ!」
俺たちは順調に撮影をこなしていた。
センセーショナルな映像を撮る為の演技指導は聞き入れてもらえないが、それもヤラセを許さない高潔な精神を持っているからだと思えば文句など言えない。
カリンがスイカ割りに失敗した直後、イベントの気配を嗅ぎつけて戻ってきたルカが「うおおおッ!」と粉々に粉砕してくれたので、俺たちは冷やされたスイカの残骸をシャクシャクと食べ始める。
「それにしても、この島そのものが神桜家の所有地とは凄まじいな……」
別荘やビーチどころか『島』を所有していると聞いた時は驚かされた。
別荘と滑走路くらいしか存在しない小さな島だが、一時のレジャーを楽しむ場所としては充分過ぎる場所だと言えるだろう。
「この島に名前はあるのか? なんなら『カリン島』と命名してやってもいいぞ」
「勝手に変な名前を付けるのは止めなさいっ!」
善意による名付けを一蹴してしまうカリン。カロリーの高いお菓子を思わせる名前が気に入らなかったのかも知れない。
そしてカリンはなんでもない事のように浮世離れした事を口にする。
「それに島を所有してるって話だったら、ユキの家だって幾つも持ってるわよ。ひと昔前には孤島の購入が流行ってたんだから」
孤島の購入が流行るというブルジョワ発言だが、言われてみると心当たりはあった。子供の頃にそんなニュースを目にした記憶がある。
「そういえばそんな話があったな。世界中の富裕層が孤島を買い漁っているとか」
事の発端は、二十年前に起きた『緑化』だ。
大国の中枢都市から始まった緑化。それは陸続きに国境を越えて爆発的に広がっていったので、緑化の影響を受けにくい孤島がセーフスポットとして人気を博したのだ。緑化後には世界中で土地や資源の奪い合いになっていたので尚更である。
「緑化被害の大きかった諸外国の富裕層が購入しているイメージがあったが、神桜家や真星家も孤島購入ブームに乗ってたんだな」
俺たちの国では大都市サイタマが丸々犠牲になったが、世界的に見れば被害が少なかったと言える。あの広大なサイタマ樹海でさえ、世界最小の樹海なのだ。
場所によっては複数の国を呑み込んだ樹海もあるほどなので想像を絶している。
「カァッ、最近になってまた孤島の相場が急騰してるからなぁ。嬢ちゃんたちの実家が早い段階で買ったのは正解だったろうよ」
なぜか孤島の相場に詳しいラス。その知識量の豊富さには嫉妬を禁じ得ないが、孤島の相場が高騰している要因には思い当たる節があった。
「……再緑化の噂か。ここ数年で樹海に変化が起きているとは聞くが」
近年になって樹海関係のデータに変化が起きているという話は周知の事実だ。
樹海の地表面温度の上昇、土壌の成分分析値の変化。二十年前の緑化に関しては何も分かっていないので、それらのデータの変化が再緑化の前兆なのかは分からないが、不安に駆られた富裕層が安全地帯を求めてしまうのは理解出来る。
「――よしっ、またスイカ割りやろうぜ!」
未来への不安で暗くなりかけたところで、ルカがスイカのお代わりを要求した。
しかし、今回ばかりはルカが正しいと言わざるを得ない。レジャーの最中に真面目な話をするとは無粋の極みだった。
「ふふ、スイカは沢山あるから安心するがいい。次は薙刀名人のユキの番だな。きっとユキなら一撃でスパッと六等分にしてくれるんだろうなぁ……」
「そ、そんな事できないです」
「ハードルを上げて困らせるのは止めなさい!」
うむ、やはり子供は元気が一番だ。将来的に再緑化が起きたとしても、樹海の特性――金属を狙うという特性に気を払えば命まで取られはしない。不確定な未来に気を揉むより、ルカのように純粋な気持ちで今を楽しむべきだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、百二五話〔輝かしき光〕