十二話 ささやかな晩酌
カリンを神桜家の豪邸に送り届け、俺は雑居ビルの前に戻ってきた。
移動の車中では護衛たちが剣呑な雰囲気を醸し出していたが、幸いにもカリンはギスギスした空気を気に留めていなかった。いや、むしろ上機嫌だったと言える。
しかし考えてみれば当然ではある。
なにしろこれまでは単身で敵に囲まれていたような状態だ。カリンにとっては俺という味方が存在しているだけ上等だったのだろうと思う。
その不遇な境遇を思えば、俺が護衛から殺意を向けられた事など些細な問題だ。
帰りに近所のスーパーまで送ってもらった際には、『調子に乗っていられるのも今の内だ』と脅し文句まで送られたが、そんな些事は取るに足らない事なのだ。
ちなみに……裏切ることが分かっている連中を護衛から外すという手はあるが、それをやると敵側の次の出方が読めなくなるので現状を変えるつもりはない。
襲撃予定日が読めているという事は、現状を維持して時間を稼いでいる間に対策が練れるという事でもある。今のところは現状維持が無難という訳だ。
「――というわけで、しばらく学園の行き帰りに付き合う事になった。一週間後まで何も無いとは思うが、敵側が心変わりして計画を早めるかも知れないからな」
夜の食事を取りがてら、お嬢様の護衛を引き受けた旨をカラスに説明した。
本来なら軽々しく話すような内容ではないが、このカラスの守秘性は信頼しているので問題は無い。そもそも他人の前では人語を喋らないのだ。
このカラスは自身が希少な存在だと自覚している――そう、悪人に目をつけられて捕獲される危険性を自覚している。
動画投稿サイトで『喋るカラスに一同驚愕!』的なデビューをさせられる程度ならまだしも、研究機関に捕まってモルモット扱いを受ける可能性も充分にある。このカラスが高い知性を秘匿しているのは当然の事だろう。
「カカッ、護衛か。相棒には探偵よりもそっちの方が向いてそうだな。いっそ本当に転職するのも手だぜ?」
さらりと転職を勧めてくるカラス。
俺の適性を否定する失礼な発言に聞こえるところだが、カラスの真意はよく分かっているので腹を立てたりはしない。
なにしろ俺の目的は超能力を悪用する者を裁くことにある。
しかし、相手は多くの人命を奪っている危険人物。場合によっては戦闘になる可能性もあるし、俺が怪我を負ってしまう可能性もある。
だからこそカラスは、俺の身を心配して比較的安全な仕事への転職を勧めているのだ。……だが、俺は名探偵の道を諦めるつもりはない。
「俺は関係者を集めて名推理を披露するのが夢なんだよ。もちろん事前に犯人へ自首を促したりはしない。衆目の中で犯人を吊るし上げてこその名探偵だからな」
「相棒の名探偵像は歪んでやがるぜ……」
俺の壮大な夢を侮辱するカラス。
もちろん、カリンと同じく本気で侮蔑しているわけではない。むしろ発言内容とは裏腹に本気で心配してくれている事が分かる。
「それよりほら、カマボコを分けてやろう。わさび醤油で食べると一味違うぞ」
心配症のカラスにご馳走を振る舞ってしまう。
今夜は珍しく飲酒可能な日という事もあって、本日はツマミ向けの練り製品だ。
このカラスは揚げ物のような濃い食事を好んでいる傾向があるので、たまには低脂質な物も食べさせてやりたいのだ。
「カァーッ、そいつは邪道だぜ相棒。わさび醤油なんか使ったら風味が台無しだ」
食通のような事を言いながらカマボコを口に運ぶカラス。なんだかんだ言いながらも満足げにもぐもぐしているのは微笑ましい限りだ。
「相棒が酒を飲んでるってこたぁ、明日の新聞配達は休みらしいな?」
「ああ、明日は新聞の休刊日。今夜は晩酌を楽しめる貴重な日という訳だ」
月に一度の新聞休刊日。新聞配達員に与えられた唯一の定期休日だ。
バイクに乗って仕事をするわけなので普段はアルコール厳禁となっているが、休刊日の前日だけは気にすることなく酒が飲めるのだ。
「相棒は酒に弱いくせに好きだよな。……ただよぉ、酒が入ると身体的接触が増えるのは気を付けた方がいいぜ」
はて、こいつは何を言っているのか? と思ったら、俺の手が無意識の内にカラスを撫でている事に気が付いた。
普段から身奇麗にしているだけあって汚れのない綺麗な羽。
さらさらとした手触りも良いので触りたくなるのは仕方ない……が、無断でボディタッチをするのは確かに問題だった。
「オレ様はともかく、人間のメスに軽々しく触るのは止めとくこったな。相棒が犯人として吊るし上げられるのは見るに忍びないからなぁ」
忠言は素直に有り難いが、どうしてこのカラスは煽らずにはいられないのか。俺とて相手が人間の女性なら自制するというものだ。
「まったく、失礼な奴だな。そもそも俺は相手が嫌がるような事はしないぞ。――ほら、どうだ? ここがいいんだろ?」
「おい、やめろ。やめろぉぉぉ……」
小生意気なカラスの身体を丁寧に揉みほぐす。カラスは悲鳴を上げながらも悪感情を発していない――そう、俺には全てお見通しだ!
「セクハラだ! セクハラ探偵だ!」
カラスは人聞きの悪い叫びを上げてテーブルから飛び立った。
飛び去り際にバシッと俺の顔に羽を当て、軽やかな羽ばたきで棚の上に逃げる。
……うむ、いかんいかん。
肉体的には心地良さそうな気配だったが、愛玩動物のように扱った事でプライドを傷付けてしまったらしい。可愛がられるのは好きであり嫌いでもあるのだ。
そして賢いカラスは俺への反撃も巧妙だ。
俺を社会的に殺すつもりなのか「千道ビャクはセクハラ探偵ーッ!」などと誤解されかねない大声を上げて意趣返しをしている有様である。
しかし、このカラスは性別的にはメスに分類される。俺としても軽率な行動だったと反省せざるを得ないだろう。
明日も昼と夜に投稿予定。
次回、十三話〔伝えるべき本心〕