百一八話 哲学的な別れ
感極まって言葉が出せないでいるサティーラ。実に微笑ましい光景ではあるが、このままでは埒が明かないので俺が口を挟むべきだろう。
「たまたまサティーラを販売店の外で見かけましてね。どうやらここに入り辛くて二の足を踏んでいたようですよ」
「アルゴット、ビャク!」
ふふ、喜んでくれたようで何よりだ。
この気さくなチャイクルさんが元王族とは信じ難いが、おそらくは現役の王子だった頃から変わらない態度だったのだろうと思う。
東南アジアの小国、ブルネイア。
サティーラの話によると、二十年前の緑化で国土の大半を失いながらも国家の体裁を保っていたが、十年前に近隣の国に吸収されるという形で消滅したそうだ。
そしてブルネイアの象徴である元王族は新しい国にとって邪魔になるという事で、チャイクルさんは国を出奔せざるを得なくなったとの話だ。
当時のチャイクルさんの年齢は十代半ば。
大人に足を踏み入れる年齢まで王子だったという事を考えれば、昔から権力者の一族らしからぬ人柄だった事は想像に難くない。そして二人が再会の言葉を交わす中、職場の仲間たちは目を丸くしてチャイクルさんを見ていた。
「チャイクルが喋ってるよ!?」
とんでもなく失礼な発言だったが、ロマルドの言いたい事は分からなくもない。
普段はナックルボーラーのように変化的な言葉を操るチャイクルさん。そのチャイクルさんが、サティーラとの会話では滑らかにスラスラと喋っているのだ。
彼の母国語なので当然と言えば当然なのだが、これまで難解な問題を解き続けてきた仲間たちが愕然としているのも無理はなかった。
「あ、ぁっ……ぅ」
その話し相手のサティーラは、極度の緊張からか言葉が喋れなくなっていた。
人見知りの子供のように相手と目を合わせられず、なんとか言葉を紡ごうとしながら失敗し続けているような様相だ。俺への強気な態度はどこへ行ったのか。
そこでロマルドが二人の会話に入る。
「チャイクル、国に残してきた恋人か? まったくスミに置けないね!」
ロマルドは不遜にもチャイクルさんの背中を叩いて冷やかしていた。
サティーラはチャイクルさんと同年代。そんな女性が職場を訪ねてきたので色恋沙汰かと面白がっているのだろう。
そんなロマルドのからかう声に、俯いていたサティーラが顔を上げる。
「――――殺すぞ貴様」
おっと、これは辛辣な反応だ……!
ロマルドの身体を射貫くような鋭い殺気。チャイクルさんと話している時は大人しい少女のようだったが、またたく間に暗殺者のような顔を取り戻している。些細な軽口も許せないとは困ったものだ。
「よすんだ、サティーラ。――チャイクルさんに迷惑を掛けるつもりか?」
「っ!」
俺の言葉で我に返ったらしく、サティーラは一瞬で血の気を無くした。
そして悪さをした子供のように恐る恐るチャイクルさんの顔色を窺う――が、チャイクルさんはニカッと笑みを浮かべていた。
そう、チャイクルさんは性善説の体現者なので暴力が無ければセーフなのだ。
「アハハハハハハ」
そして図太いロマルドは笑っていた。
ここの若手外国人グループは荒事に慣れているので殺気ぐらいではビクともしない。比較的まともなガブリフがビクッと驚いていたくらいのものだ。
ロマルドの陽気な笑い声にサティーラが気色ばむが、そこは視線で制しておく。
外国人グループが気にしていなくとも、二大派閥である主婦グループは引いていたので荒事はご法度だ。この販売店で暴力行為など断じて許されないのだ。
ともあれ、サティーラは怪我の功名で緊張が解けたらしく、チャイクルさんに母国語で何事かを話し始めた。……おそらくは今回の訪国の目的だろう。
プライベートな事なので内容は聞いていないが、これまで十年以上も接触していなかった元王子を訪ねるくらいなので大事なのだろうと思う。その考えを裏付けるように、珍しくもチャイクルさんの眩しい笑顔が光度を落としていた。
「……そうでしたか。チャイクルさんの父親が」
二人が話を終えたところで、販売店の面々も事のあらましを――チャイクルさんの父親が亡くなったという話を聞いた。
チャイクルさんの父親、つまり元国王だ。
その人物が亡くなったのは二週間以上も前で、既に葬儀も終わっているとの話だったので違和感を覚えたが、どうやらそれは故人の意向らしい。
なんでもランバード家は元王族という事で現行政府に警戒されているらしく、しかもチャイクルさんは旧国民に絶大な人気があったという話だ。
父親の葬儀にチャイクルさんが帰国するのでは? と期待していた人々が多かったので、国内に波風を立てかねないように訃報を遅らせたとの事だ。ほとぼりが冷めた頃を見計らって帰省させるという事なのだろう。
「――貴様が責任者か。殿下はこれから一カ月ほど帰国するが、異論は無いな?」
「は、はい。ないです……」
サティーラの高圧的な宣言に、新聞販売店の店長は二つ返事で了承した。
ちなみにこれはサティーラが高慢な性格というわけではなく、敬愛する主君を侮られたくないからこその態度だと分かる。
どのみち肉親の訃報となれば休職して文句を言われるはずもなかった。
チャイクルさんの担当する配達区域に関しては問題無い。一カ月間もの期間となると配達手当が出るので、既に職場の仲間たちで奪い合いになっている。もちろんチャイクルさんの出自に関しては誰も気にしていない。
そんなこんなで今日の配達を終え、チャイクルさんから別れの言葉を賜った。
「ビャク、マタ産マレル!」
「ええ、また一カ月後にお会いしましょう」
なにやら哲学的な言葉に笑顔で返しておく。
一カ月も会えなくなるのは残念だが、俺とチャイクルさんはメル友なので親交が途絶えるわけではない。言語の壁を超えるべく翻訳ツールを介しているので、むしろメールの方が円滑に意思疎通出来てしまうほどである。
「サティーラ、チャイクルさんを頼んだぞ。もしも俺の力が必要と判断したら、その時は遠慮なく連絡するんだ」
「フン、貴様如きの力を借りるまでもない」
相変わらず口が悪いサティーラだが、これでも当初よりは心を開いてくれている。おそらくは俺がチャイクルさんを尊敬する気持ちが伝わったからだろう。
まぁしかし、元国王の葬儀も終わって国内情勢も落ち着いたと聞く。
連絡役であり護衛役でもあるサティーラの力量は認めているので、チャイクルさんの身の安全は保障されていると言えるはずだ。
新聞販売店の方は人手不足によって配達時間の遅延などが問題になるだろうが、仲間たちも協力的なので一カ月くらいは乗り切れることだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、百一九話〔幼女の水泳訓練〕