百一七話 憧れとの再会
チャイクルさんが、元王族。
思わず懐疑的に聞き返してしまったが、心の片隅では納得する思いもあった。
常人とは一線を画した存在であるチャイクルさん。その彼が人の上に立つ存在だと聞けば、なんとはなしに納得出来るものがあるのだ。
「貴様ッ! 殿下の名を軽々しく口にするな!」
職場の同僚の名を口にしただけなのに怒鳴りつけられてしまった。ともあれ、この反応からして『殿下』がチャイクルさんである事は間違いないようだ。
「いやいや、チャイクルさんは仕事仲間であり友人でもあるからな。しかし、なぜサティーラはこんな場所で様子を窺っていたんだ?」
「……私は殿下のお仕事を妨げるつもりはない。今はお姿を拝見するだけで、日が昇ってから改めてお目通りを願うつもりだった」
憮然とした様子で語るサティーラ。
サティーラは本国からの使いで訪れたとの事だが、この国に到着した時間が遅かったので、明朝に相手先を訪問するつもりだったようだ。
「正式訪問の前に一目姿を見ようと出張ってきたら発見されたという事か。その気持ちは分からなくもないが、不慣れな土地で不審な行動は慎むことだな」
「よくも抜け抜けと……!」
人知れず偵察を成功させる自信があったのだろうが、予想外にも俺に見つかってしまったという訳だ。だからと言って俺を恨むのは筋違いである。
なにやら無駄に警戒させられてしまった形だが、これはお互いに素人ではない事が悪かった。俺からすれば暗殺者的な雰囲気のある女、向こうからすれば腕の立ちそうな異国風の男。そんな相手と遭遇すれば互いに警戒心を抱くのも当然だ。
「まぁそれはそれとして。せっかくだから販売店に顔を出すといい。知人が訪ねてきたとなればチャイクルさんも喜ぶだろうからな」
サティーラは殿下に個人的な好感を抱いている節があるので、これはチャイクルさんの為でありサティーラの為でもある提案だと言えるだろう。
しかし、俺の言葉にサティーラは顔を曇らせた。職場へのアポ無し訪問に抵抗を覚えているという様相ではない。サティーラに見えている感情は様々だが……それを見るまでもなく、俺には彼女の考えている事が分かった。
「販売店に顔を出すことは気が進まないようだな。自分のような人間がチャイクルさんの前に立つのは抵抗がある――そんな事を考えているのだろう?」
「っ……!」
サティーラは俺と似通ったところがある。相手の一挙一動を見極めようとする温度のない目。これまでの暗い半生を感じさせる警戒心の塊のような目。その闇を宿した目は、汚れたモノを見続けてきた俺の目によく似ている。
だからこそ、俺にはサティーラの思考が手に取るように分かった。
眩し過ぎるほどの善性を有しているチャイクルさん。自分が汚れているという自覚がある者は、汚れのない善人の近くに居るだけで大罪を犯しているような罪悪感に苛まれる。それ故に、確たる理由が無ければ近付く一歩を踏み出せない。……そんな彼女の感情は、俺には痛いほど分かった。
「殿下との接触は必要最低限にすべきだと考えているのだろう? だが、案ずるな。俺やお前如きの存在はチャイクルさんに悪影響を与えるに及ばない。――断言してやろう。彼は笑顔でお前の訪問を喜んでくれるはずだ、と」
「……知ったような口を」
サティーラの道は、かつての俺が通った道だ。
孤児院の院長先生やチャイクルさんのような善人に対して、汚れのない存在を穢してしまうのではないかと避けていた時期があったのだ。
もちろん、そんな事は杞憂に過ぎなかった。
大海が水滴を呑み込むように、俺の矮小な存在は巨大な存在に包み込まれただけだ。俺のような存在が影響を与えるなどとは分不相応な考えだったのだ。
「ほら、俺が案内するから追いてこい。もし拒否すればチャイクルさんに『サティーラが顔を見せずに帰った』と報告するからな」
「貴様ッ……!」
俺はくるりと背を向けて歩き出す。
サティーラのような相手は力技で押し切るのが正解だ。自分に言い訳をしながら躊躇するはずなので、俺が悪者になってでも強引に連れて行くべきなのだ。
重い足取りながらも後に続くサティーラ。
そして新聞販売店に顔を出すと、雑談していた仲間たちの視線が――チャイクルさんの視線が、サティーラに届いた。
「サティーラ!」
爽やかな笑みを浮かべるチャイクルさん。
最後に二人が別れたのは十年以上も昔という話だったが、そのブランクを全く感じさせない普段通りの輝かしい笑顔だ。流石に期待を裏切らない御仁である。
「っっ……」
一方のサティーラは、目を潤ませて言葉を失っていた。チャイクルさんが自分の事を覚えていたのが嬉しいのか、晴れやかな笑顔で迎えてくれたのが嬉しいのか、本人を前にして感極まってしまったようだ。……やはり、連れてきて正解だった。
明日も夜に投稿予定。
次回、百一八話〔哲学的な別れ〕