十一話 独占する憎まれ役
俺はカリンを連れて階段を下りる。
お嬢様を一階まで送り届けがてら、さりげなく護衛と接触するという目論見だ。
「はぁっ、はぁっ……。なんで、このビルには、エレベーターが無いのよ」
そしてカリンは階段を下りる途中で息を切らしていた。嘆かわしい事に、四階から一階に下りるだけで体力の限界を感じているらしい。
事務所の来訪時には汗一つかいていなかったが、それは扉の前で息を整えていたからだったようだ。なにやら扉の前で人が佇んでいる気配がしていたのだ。……間違えて階段を上ってきた人間だと思っていたので来訪者とは思わなかったが。
「まったく、体力が無いにも程があるな。もう少し体を動かした方がいいぞ」
俺は虚弱なお嬢様に苦言を呈する。
カリンは探偵ではないのでフルマラソンを二時間で走るだけの体力は必要ないが、健康の為にも多少は体力をつけるべきだろう。
「……し、仕方ないわね。運動の為に、また、こ、ここに来てあげるわ」
探偵事務所への道程をトレッキングコース扱いしているのは気になるが、カリンが再訪を希望するというなら是非もない。こちらは温かく受け入れるだけだ。
「この雑居ビルは子供の教育に良くないんだがな……。まぁ、俺が事務所に居る時ならいつでも来るがいい。カリンの来訪を歓迎しよう」
折良くと言うべきか、これからしばらくは昼間の仕事を入れていない。この幼女には腹を割って話せる人間も少ないようなので環境面には眼を瞑るべきだろう。
「……なによ、また子供扱いして」
なにやら不満げにモゴモゴ言っているが、その顔には友達と遊ぶ約束を楽しみにしているような笑みが見える。相変わらず攻撃的なのは口だけのようだ。
そんなこんなで話しながら階段を下りている内に、一階へと到着した。
そして大地を踏み締めた直後、カリンは息も絶え絶えに階段へ座り込んだ。
この幼女の運動不足は本当に心配になるところだが、とりあえずカリンが休憩している間に護衛と接触しておくとしよう。単独の方がやりやすいので好都合だ。
俺は車に近付き、窓をコンコンと軽く叩く。
「ご苦労さん。あんたたちがカリンの護衛か。昨日の連中と同じような格好をしているが、あんたたちはあの犯罪者どもと同僚なのか?」
「……あのような連中と一緒にするな。うらぶれた探偵如きが、たまたまカリン様の危急を救ったくらいで図に乗るなよ」
車中で待機していた護衛に話し掛けると、どう贔屓目に見ても好意的とは思えない反応が返ってきた。あえて挑発的に話し掛けているので当然と言えば当然だ。
俺には負の感情が見えるが、相手がフラットな感情のままでは思考を読みにくいという問題がある。ソナーを当てて物体を探知するかの如く、相手の感情を動かす言葉をぶつけて反応を探っていくのが一番分かりやすいのだ。
他人を無闇に挑発するのは心が痛むが、カリンの安全の為なら多少泥を被るくらいはやむを得ない。うむ、仕方ない仕方ない。
「――なるほどな。それではせいぜい責任を持って護衛の責を果たしたまえ。はははっ、はーっはっはっ!」
「くっっ、神桜に取り入る害虫が……!」
一通り探りを入れたところで、爽やかに会話を切り上げた。相手の敵意が強かったので必要以上に挑発してしまったが、こればかりは仕方がない。
対人関係は鏡の如し。
相手が攻撃的な態度となると、自然とこちらの態度も厳しくなるというものだ。
本人たちは否定していたが――やはり先日の不埒者たちはお仲間だったらしく、護衛たちは俺への敵意を隠そうともしなかったのである。
ともあれ、これで大体の事は把握した。
ひと仕事終えて充実した気持ちで、階段に座っているカリンの元に戻る。
「ちょっとあんた、あの連中をからかうのは止めなさいよ。これから私は一緒に帰らなくちゃいけないんだから」
「面白半分でからかったわけではないぞ。あれは必要な事だったんだ」
「どこがよ。上機嫌に高笑いしてたじゃないの」
俺の秀逸な手法にケチをつける幼女。
まぁしかし、会話の最後に挑発する必要がなかったのは否定できないところだ。
「それはともかく、カリンの言う通りだった。――あの連中は全く信用できない」
「でしょ!? だから言ったじゃないの!」
俺の所感を率直に述べると、カリンは同意を得られた事が嬉しいのか勢い込む。
この様子なら、過剰に挑発してしまったのは『連中が不愉快だったから』という事も理解してくれるはずだろう。決して好き好んで挑発したわけではないのだ。
「すぐにカリンを裏切る意思は無いようだが、それも時間の問題だ」
先日の失敗で慎重になっているのか、一両日中にすぐ動くような気配は感じられなかった。だが、俺は悪意の兆候を見逃さない。
「一週間後。何の用かは知らないが、カリンは遠出をする予定があるんだろう? その機会に何か良からぬ計画を実行に移すつもりらしい」
ほとぼりが冷めるまで大人しくしていると思っていたが、予想以上に早い行動だ。あの連中の黒幕はよほどカリンの身柄を欲しているらしい。
俺の精細な予言を聞き、カリンの整った顔は不安に染まっていた。
元より信用できない連中だと分かってはいたはずだが、具体的な情報が出てきた事で身の危険が現実味を帯びてしまったようだ。
ここは俺が安心させてやるべきだろう。
「安心しろ。カリン、お前は俺が守ってやる」
「えっ……」
俺はカリンの置かれた状況を甘く見ていた。
いくらなんでも短期間に連続して襲われることは無いだろうと思っていたのだ。
しかし、現状は予想よりも遥かに悪かった。
「次に連中が動くのは一週間後のようだが油断はならない。今この時から、俺がカリンの護衛を請け負ってやろう」
「ほ、本当にいいの? だって、その……」
尊大な態度で護衛に誘っていたにも関わらず、俺が護衛を引き受ける旨を告げると語尾をモニョモニョさせている。
この幼女は善良な性質を持っているので、俺に無理をさせているのではないかと気が咎めているようだ。優しすぎるが故に無理を通せないのだろう。
「おっと、勘違いするなよ。カリンの護衛は永続的なものではない。代わりの護衛を見つけるまでの期間だけだ」
俺にはやるべき事があるが、それは目の前の幼女を見捨ててまで優先すべき事ではない。それに護衛と言っても、俺の仕事は学園の送り迎えに付き添うだけだ。
神桜家の邸宅には長く仕えている信用の置ける者しか居ないらしく、カリン本人も家の中と学園の中は安全だと言っていたのだ。
しばらくは通学以外での外出を控えるとも言っていたので、短い期間であれば護衛を引き受けても問題は無い。
「…………」
俺が護衛を引き受けたのが意外だったのか、カリンは急にしおらしくなって瞳を揺らしている。この幼女は覚悟を決めないと強気な態度が取れないらしい。
「もう外も暗くなり始めているから詳しい話は後日だ。――ほら、さっさと来い」
階段に座っている幼女を強引に立たせると、カリンは調子が戻ってきたように「なによ偉そうに」などと文句を言う。
それでも自分の味方が出来て安心したのか、その顔は嬉しそうに緩んでいた。
――――。
「今日から俺もカリンの護衛をする事になった。千道ビャクだ。よろしく頼むぞ」
俺は車中の護衛たちに礼儀正しく挨拶をする。
たとえ相手が潜在的な敵であっても、最低限の礼儀を忘れてはいけないのだ。
おそらく名乗るまでもなく俺の素性は調べられていると思うが、初対面の相手に自己紹介をするのは当然の事だ。
「何を言っている貴様。神桜家に……」
「――私が決めた事よ。何か文句あるの?」
礼儀知らずな護衛の一人が異議を申し立てようとすると、強気なカリンお嬢様が皆まで言わせず断ち切ってしまった。
居丈高な物言いだが、カリンからは侮蔑などの負の感情が見えない。つまりこれは、周囲の人間に隙を見せないようにしているが故の見せかけの高慢さだ。
「お言葉ですがカリン様、それは……」
そして護衛の方は、カリンとは対照的だ。
表向きの言葉遣いこそ丁寧なものだが、その内心では胸が悪くなるような敵意や不快感を秘めている。
ここは俺が動くべき場面だ。
カリンに憎しみを向けさせてはいけない。
俺が憎まれ役になって憎悪を一手に引き受けるべきだ。他人を煽るような真似は苦手だが、小さな子供を矢面に立たせるわけにはいかないのだ。
「おいおい、お嬢様の言葉が聞けないのか? それとも俺と一緒の車に乗るのが嫌なのか? だったらお前だけ電車で移動するといい。なぁに、寂しくなんかない。今は帰宅ラッシュの時間だから満員電車ですし詰めだ。いやはや、まったく羨ましいなぁ。はははっ、あーっはっはっはっ!」
「き、貴様ぁっ……!」
俺の挑発は予想以上の効果を生み出していた。
今や護衛たちの敵意は俺だけに集中している。まさに狙い通りの成果だ。
これから護衛たちと同じ車に乗るのは気が滅入るが、カリンに悪意を向けられるよりはマシなので致し方ないところだろう。
次回、十二話〔ささやかな晩酌〕