百六話 疑わしい依頼人
探偵の仕事内容と言えば、一般的には素行調査や人探しのようなものが多い。
素行調査や人探し。それらの仕事では張り込みや尾行が必要となるので、探偵は周囲に溶け込みやすい凡庸な外見が望ましいとされている。
そう考えれば、俺は探偵業に不向きだと認めざるを得ないだろう。
雑踏に立つと頭が飛び出てしまう長身もそうだが、この国では珍しい中東系の顔立ちなので自然と人目を引いてしまうのだ。
だがそれでも、俺が志しているのは探偵ではなく名探偵。頭脳派探偵に隠密性は必要ないので、これまでは容姿がハンデとは思っていなかった。
しかし、今回ばかりは悩ましさを覚えている。
「これ以上近付くのは危険か……。出来れば会話を拾いたかったが、今回は依頼人の素性を確かめる事に専念するしかないな」
ミスミを調査していた連中。
彼らが探偵社の人間である事は暴いていた。
次に依頼人と会談する場所も見抜いていたので、依頼人を探るべく会談場所に出向いたわけだが……俺の顔を探偵社の人間に見られている事が問題だった。
「カァッ、相棒は人一倍目立つからなぁ」
俺の唯一の弱点を口にするラス。
その声が聞こえたのは、俺の上着の中だ。
天針家の一件で遠征した時以来のポジションだが、これで居心地が良いのかラスの声は明るいものだ。ちょっとした秘密基地のような感覚なのかも知れない。
「前回は堂々と情報収集出来たという事を考えれば、多少のデメリットは仕方ない。今日のところはラスに期待しておくとしよう」
「カァッ」
理想としては連中の会話が聞こえる場所で待機したかったが、前回はミスミと会話をしながら反応を探れるという絶好の環境を得ていたので贅沢は言えない。
今回は会談場所の喫茶店を遠目に見るだけで妥協するしかないだろう。
「――来たな。ラス、そこから見えるか?」
「カァッ」
探偵社の人間たちが座っているテーブルへと近付く女性。男たちの反応からしても、あれがミスミの調査を依頼した人物なのだろう。
四十代くらいの女性。
遠目で観察する限りでは、際立った特徴のない平々凡々な婦人だ。そして特徴のない人物だからこそ、俺は頭を悩ませていた。
「うぅむ……外見で判断出来ればと思ったが、これでは何とも言えないな。少なくとも悪意の強い人物ではないようだが」
一目見ただけで確信を持てるほどの特徴があれば良かったが、残念ながら外見でピンと来るようなものはなかった。
悪意は弱くとも生粋の善人というわけでもないので判断が難しいところだ。
「あれが巨乳の嬢ちゃんの母親……?」
ラスも懐から懐疑的な声を出した。
ここで言う『巨乳の嬢ちゃん』とは他でもない、俺の妹分であるミスミの事だ。
事前にラスにはミスミの写真を見せていたが、ミスミと依頼人は外見的特徴が似ていないので疑念を抱いているらしい――なにしろ、ミスミの調査を依頼した人物は『ミスミの母親』との事だったからだ。
複雑な事情があって娘と会えないので現況を調べてほしい、俺が探った限りでは探偵社はそのような依頼を受けている節があった。
ミスミは実の両親が失踪しており、その後に光人教団の幹部に引き取られたという経緯がある。光人教団の幹部がミスミを手に入れる為に両親を始末したものと考えていたが……今になって、ミスミの母親という存在が出てきたという訳だ。
「母親を自称している別人という可能性は充分にあるが、だからと言って安易に決めつけてはいかんぞ。これは慎重に対応すべき問題だからな」
明らかに依頼人の素性を疑っているラスに釘を刺しておく。
俺が会談場所に乗り込んで真偽を確かめれば早い話なのだが、このように観察に甘んじているのは家族間の問題である可能性が捨て切れないからだ。
もしも本当にミスミの母親だった場合、俺の軽挙な行動によって親子の関係に水を差してしまう可能性がある。それは決して許されない事なのだ。
「もちろん分かってるぜ相棒。後の事はオレ様に任せときな」
「無理はするなよ。依頼人の顔も撮っているし、他にやりようもあるからな」
今回の目的は依頼人の情報収集。
依頼人の顔を撮影する事、依頼人の住所を突き止める事、これくらいの内容なら相手を警戒させずに出来るのだ。
あの探偵社の連中のように調査対象に尻尾を掴まれるというリスクはあるが、そこは空から尾行するストーカーカラスの出番だ。
依頼人は車で待ち合わせ場所まで訪れているようだが、信号待ちがある都心部でラスの追跡から逃れられるはずがない。今回のところはラスに一任である。
本来なら自分でやりたいところだったが……俺のような目立つ人間が後をつけると、すぐに露見して追跡対象に恐怖感を与えかねないので致し方ない。
非常に不本意ではあるが、ここは適材適所という事で割り切るまでだ。無事にラスが帰還した暁には、その時には存分に褒めそやして労ってやりたいと思う。
明日も夜に投稿予定。
次回、百七話〔意識させない確認〕