百二話 野球的新聞配達
世界に大厄災の爪痕が残っていても依然として人類の勢力圏は大きい。
日中の街に響くのは絶え間ない喧騒。それは音で人類の縄張りを主張しているかのようだったが、日が落ちて夜が深くなれば一転して静寂が世界を支配していく。
しかし、中には夜が更けてから活動を開始する者たちも存在していた。
「それにしても、まさかガブリフに野球の経験があるとは思わなかったな。ピッチャーまで出来るとは大したものだ」
「……チッ、オレに下らない真似をさせやがって。あれのどこが野球だ」
ガブリフが悪態を吐いているのは、先日に開催された『町対抗の草野球大会』の事だ。優勝賞品が米一俵という事もあって、若者たちが真剣勝負を繰り広げる一大イベントだが、ガブリフも優勝賞品に釣られて参加してくれたのだ。
「まぁそう言うなガブリフ。町対抗と言いつつも参加者が足りていないからな。変則ルールの野球になるのも仕方ないだろう」
善意で賞品を提供してくれている主催者に文句は言えないが、町対抗という事に拘っているせいで全体的に人数が足りていないのが現状だ。
人数的に恵まれているチャイクル団でさえ総勢五人。初戦に戦った相手などは総勢二人という強気なメンバー構成だったのだ。
彼らはそれなりに野球の上手い連中ではあったが、凡打でランニングホームランになってしまうので罪悪感との戦いでもあった。
「――フフッ、でもガブリフが参加してくれたおかげで助かったよ。メンバー不足もそうだけど、あの草野球はピッチャーが交代制だからね」
そこで会話に入ってきたのはチャイクル団のアベレージヒッター、ルチャーノ。
何かとガブリフを気に掛けているのは、ルチャーノも元軍人という事で親近感を抱いているからだろう。ガブリフも心を開いているようなので微笑ましい限りだ。
「まったくルチャーノの言う通りだ。それでなくとも野球経験者が少ないのに『一回ごとにポジション変更』というルールがあるからな」
このルチャーノなどは変則ルールの典型的な犠牲者と言える。
ルチャーノの運動能力は決して低くないが、下投げでしかストライクに入らないという致命的な欠点を持つ。この男がマウンドに立つと必然的に滅多打ちなのだ。
「しかし際どい勝負ではあったが、久し振りにチャイクル団が優勝出来たから良かったな。六大会ぶり二十五度目の優勝だ」
「あれを甲子園みたいに言うのはやめろ」
おっと、意外にもガブリフは甲子園の存在を知っているらしい。
しかも甲子園に特別な思いを持っているのか、変則ルールだらけの草野球と同列に語られることが嫌そうな様子だ。町対抗の草野球も伝統のある大会なのだが。
「フフッ、ボクたちが勝てなかったのも仕方ないさ。あの卑劣な出雲町の連中は常にフルメンバーを揃えていたからね」
フルメンバーで野球をするだけで卑怯者にされるのはどうかと思うが、しかしルチャーノの気持ちも分からなくはない。
なにしろルチャーノはポンコツ投手。これまでに何度もコールド負けの立役者にされているので恨みも根深くなるというものだ。
「ガブリフが加入するまでは四人だったからな、流石に経験者揃いのフルメンバーが相手では厳しかった。まぁしかし、草野球で勝敗に拘ることもあるまい」
「勝敗に拘らないとは、らしくないね。第八十回大会の屈辱を忘れたのかい?」
第八十回大会……?
互いの共通認識のように言われてしまったが、俺には全く心当たりがない。しかしルチャーノは真剣な顔なので確認する事に抵抗を覚えてしまう。
「ああ、第八十回大会か……」
とりあえず思わせぶりに合わせておく。
頭脳派探偵として無知を晒すわけにはいかないので無難な対応だ。
これは街中で『久しぶり!』と知らない人間に声を掛けられた時の対応に似ている。相手が親しげなので『誰?』とも言い出せず、それらしい会話をしながら必死に記憶を探っているような心境である。
「第八十回大会で何があったんだ?」
よし、ガブリフの絶妙な質問だ。
俺とルチャーノが意味深に呟いていたので気になったのだろうが、痒いところを掻いてくれるガブリフには感謝しかない。
この販売店では珍しい常識的な反応がガブリフの強みと言えるだろう。
「……第八十回大会。あれは卑劣な外道集団、出雲町との試合だった」
ルチャーノは唇を噛み締めて語り始めた。
なにやら悔しげな様子ではあるが、俺の記憶を探っても屈辱を覚えるような出来事が起きた記憶はない。そもそも俺には第八十回大会の開催日すら分からない。
「今でも夢に観るよ。ボクが過去最悪の『二十失点』を喫した日の事を……!」
なっっ!?
ば、ばかな、これは完全にルチャーノの私怨ではないか……!
意味深に『第八十回大会の屈辱を忘れたのかい?』などと言われてしまったが、屈辱を受けたのは俺ではなくルチャーノだけだ!
「ま、まぁ気にするな。それでなくとも平均で七失点は喰らっているだろう?」
それでもルチャーノが本気で悔しそうだったので友人として慰めておく。
普段から大量得点を与えているので、二十失点くらいは大した問題でもないのだが、本人にとっては大きな違いがあるのだろう。
球拾いに徹していた守備陣の方が大変だったとしても口には出さないのだ。
「違うんだよビャク、そうじゃないんだ。あの出雲町との試合で、ボクは通算三百失点を達成してしまったんだよ!」
これはすごいな……ルチャーノの失点数は草野球離れしているが、あの草野球で自分の失点を数えていた事も凄まじい。
そしてこの失点王が誰よりも勝敗に拘っている事が不思議でならない。
しかし、ルチャーノが悔恨の念を抱えている事は事実。これ以上の慰めは俺の手に余るので、ここは恥を忍んでキャプテンに縋るしかない。
「――ルチャーノ、オニギリ!」
俺が助けを求める視線を向けた直後、キャプテンが即座に応えてくれた。
第八十回大会の屈辱に震えるルチャーノを慰めるかの如く、輝くような笑顔を向けてくれるチャイクルさん。これにはルチャーノも釣られて口元を上げている。
「なるほど、そういう事ですか。ガブリフが加入したからには、次の大会でもオニギリ――優勝賞品の米一俵が約束されているという事ですね」
とりあえず初心者のガブリフが困惑していたのでフォローしておく。
ガブリフは日が浅いのでチャイクルさんの発言が理解できないのも仕方ない。先人として自然な形で説明してしまうのは当然だろう。
「オニギリ、美味シカタ!」
ふ、ふむ……なるほどなるほど。
俺の解釈が微妙に間違っていたような気がしないでもないが、そんな事は些細な問題に過ぎない。大事なのは、俺たちの心が一つになっているという事だ。
この団結力をもってすれば次の大会でも優勝を果たせるはずだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、百三話〔集結した男たち〕