十話 許されざる悪
俺は能力を披露した後、カリンを焦らせることなく白湯を飲んでいた。
しばらくゆっくりしていると、ようやく決心がついたのかカリンが口を開く。
「……そうね。私にもよく分からないものが見えるわ。あんたは『負の感情』が見えると言ってたけど、その理屈で言えば私に見えるのは『正の感情』ね」
「正の感情? 内心で喜んでいるのが目に見えたりするのか?」
「そうよ。幸福や安堵、あとは…………その、せ、性欲とか」
カリンは真っ赤な顔で俯く。
それはまるで、俺が幼女に恥ずかしい言葉を言わせて辱めたかのようだった。
「そ、そうか。今はいいかも知れないが、カリンが大人になったら大変そうだな」
今は可愛らしい幼女に過ぎないが、将来的にカリンが見目麗しい美女になる可能性は高い。そうなれば世の男性から性的な目を向けられる事も多いはずなので、見たくもないものを見ている同士としても同情するばかりだ。
「今だってよくないわよ……。昨日あんたがやっつけた男の一人は……その、そういう目を向けてきたんだから」
ロ、ロリコンか……。
まさかこんな幼女に性的な視線を向ける輩が混じっていたとは……。
信じられないと言うより、信じたくもない話だ。世も末とはこの事である。
「それは恐ろしいな……。そんなに小さいのに、カリンも苦労してるんだな」
「私は小さくないわよっ!」
いや、どう見ても小さい。しかしそれを口に出すと更に怒りを買いそうな気がしたので、俺は何事も無かったかのように話を進める。
「ともかく、カリンの事情はよく分かった。出来る限り協力したいとは思うが、やはり俺が護衛に付くのは難しいと言わざるを得ない」
「っ……」
カリンの性質には個人的に好感を持っているし、なによりこの幼女は初めて出会った俺の同類だ。困っているなら力になってやりたいとは思うが……しかし、俺は俺にしかできない事を為さねばならない。
「俺には探偵としてやるべき事があるから寄り道はできない。その代わりと言ってはなんだが、俺の目で信頼出来る護衛を探すのに協力しよう」
「……あんたがやるべき事ってなによ」
ふくれっ面で拗ねた声を出す幼女。
まぁたしかに、誘いを断るなら理由の詳細を説明するのが筋というものだろう。余人に言い触らしたい事ではないが、元よりカリンに隠し立てするつもりはない。
「ちょうどカリンが来る前に調べていた事だ。――これを知ってるか?」
俺はパソコンを操作してカリンに見せた。
その画面には、少し前まで俺が開いていた動画が表示されている。
「ふん、これは『ジャンプ』の動画ね。知ってるに決まってるじゃないの」
カリンは鼻を鳴らして憎まれ口を叩いた。
動画投稿サイトに投稿されている動画のタイトル――『ジャンプ』。
この動画は個人作製のものではなく監視カメラの固定映像というシンプルなものだが、その再生回数は他の追随を許さないほどに高い。
その内容はタイトル通り、歩道を歩いている人間が『ジャンプする』というものだ。急に歩行者が空高く跳び上がり――そのまま墜落死する。
初めてこの動画が投稿された際には、各方面で大きな議論を呼んだ。
監視カメラの映像を加工しただけだと主張する者や、何らかのトリックだと主張する者がいたが、しかしその声はすぐに止まった。
その理由は他でもない――同じ事例が全国各地で発生するようになったからだ。
一件や二件ならともかく全国で百件を超える件数となれば、この動画の信憑性に懐疑的だった者でも認めざるを得なくなったという訳だ。
「さすがにカリンも知っていたか。テレビのニュースでも頻繁に取り上げられてるから当然と言えば当然なんだが」
お嬢様だけに世間から隔絶した世界に生きているイメージがあったが、社会問題化している異常現象なので知っていて当然という事なのだろう。
ちなみに、このような超常現象と言える現象は『ジャンプ』だけではない。
近年では『ボム』や『アシッド』など、常識を覆すような現象が次々と発生している――そして、俺はその要因に見当が付いていた。
「俺はこれらの事件を、悪意を持った人間の仕業だと考えている。一連の凶行を止めることが、俺のやるべき事だ」
これこそが俺が探偵を志した最大の理由だ。ドラマや小説に出てくるような探偵に憧れたという理由もあるが、それは動機の一つでしかない。
「それは、その……あんたが似たような力を持ってるからなの?」
やはりカリンは気付いていたか……。
先日カリンを救出する際に念動力を使ったが、不埒者が不自然な言動を取った事が印象に残っていたのだろう。
この幼女は外見に反して聡明だ。
先日の一件での不自然な現象。そしてその当事者である俺が超常現象に固執しているとなれば、カリンが俺の能力に勘付いても不思議ではない。
「その通りだカリン。俺は物に触れずとも動かすことが可能だ。念動力、サイコキネシスなどと呼ばれる能力だな」
元よりカリンに隠し事をするつもりはないので素直に認めた。大っぴらにするわけにはいかないが、俺はこの幼女を信用の置ける人間だと判断しているのだ。
「やっぱりそんな能力を持ってたのね…………で、でも、勘違いしないで。私があんたを護衛に誘ったのは、その事とは関係ないんだから!」
超能力を当てにして声を掛けたと思われるのが嫌なのだろう、カリンは声を大にして叫んだ。もちろん、俺が誤解などするはずもない。
「ああ、カリンが打算的な人間じゃないのは分かっている。他の誰よりもな」
「……わ、わかればいいのよ」
微笑ましい思いでカリンを肯定すると、照れ屋な幼女は赤面して目を逸らした。
俺には正の感情は見えないが、カリンが嬉しそうな気配を発している事は分かる。自分の人間性を信じてもらえたのが嬉しいのだろう。
「ともかく、俺は超常の力を悪用する人間を見過すわけにはいかない」
初めてジャンプ動画を見た時、俺は戦慄した。
その内容がショッキングなものだったからではない。この超常現象は『俺のような能力者が起こした事件だ』と直感したからだ。
「超常の力で犯した犯罪を裁く法はない――だから、俺が勝手に裁かせてもらう。超常の力を悪用するような輩は不愉快だからな」
数々の異常事件が発生する度に、俺はやり場のない憤りを覚えた。
他人が持たない特別な力を悪用する。それは、この上なく卑怯な事だからだ。
俺の言い分に納得したのか、不承不承といった様子で口を噤んだカリン。
まぁしかし、これで俺とカリンの関係が途絶えるわけでもない。何かあったらいつでも相談に乗るという事で、カリンと連絡先を交換しておく。
「いつでも連絡して構わん。カリンが困っていたらすぐに駆けつけてやろう」
「そ、そんな事は当然よ。……なんだったら、用が無くても退屈凌ぎに時々メールを送ってあげてもいいわよ?」
偉そうな事を言いながらも、不安そうに下を向いて目を合わせないカリン。
目は口ほどに物を言うという言葉があるが、カリンの場合は言葉よりも態度を見た方が分かりやすいと言えるだろう。もちろん、俺がカリンを拒むはずもない。
「気軽にメールを送っても構わないぞ。常に返信出来るとは限らないがな」
女子中学生がメル友という点には犯罪的なものを感じなくもないが、俺とカリンは似通った能力を持つ貴重な同士だ。
同じ想いを共感出来る数少ない人間なら良き友人になれるはずだろう。
「ああ、それから……俺の方で護衛の当ては探しておくつもりだが、その前に今の護衛と少し話をしておきたい」
カリンは護衛を信用できないと判断しているようだが、実際にどの程度信用できないのか俺の目で確認しておかなくてはならない。
つい先日、カリンの元護衛による誘拐未遂事件は失敗に終わった。
先の事件には黒幕が存在する可能性が高いにしても、さすがに昨日の今日で同じ手段を取るとは思えない――が、万が一という事もある。
代わりの護衛を見つけるまでに今の護衛が暴挙に及んだら取り返しがつかない。カリンの安全確保の為に護衛の悪意を探っておくのは必須だろう。
予定より少し早いですが本日分は終了です。
明日は昼と夜に投稿予定。
次回、十一話〔独占する憎まれ役〕




