一話 見逃さない悪意
冷え込みが緩やかになりつつある季節の境目。
暦の上では春という事になっているが、それでもまだ夜風は身体の芯に刺さる。
そんな寒風に包まれながらも、俺は寒さに負けることなく街道を走っていた。
この街に引っ越してから欠かしていない日課のランニング。夜中に走ることもあれば早朝に走ることもあるが、一日でも休んだらサボリ癖が付きそうなので欠かすことなく続けている。
黙々と道を走っていると、次第に目的地の公園が見えてきた。小さな森とも言える大規模な公園、この公園内を周回してから帰るのが俺の日課となっている。
――しかし、不意に俺は足を止めた。
それを見つけたのは偶然だ。
車通りの少ない街道。歩道の横を通り過ぎていく何台かの車。その中の一台の車が、俺の意識を強く引きつけていた。
それが視界に映ったのは一秒に満たない。
車道を通過していく黒塗りの高級車、その車内がほんの一瞬見えただけだ。
その車の後部座席には、天井に向かって伸びる子供の足が見えた。
もちろん、一見しただけで事件性を感じるようなものではない。子供がふざけて車内で暴れているだけという可能性もある――が、俺は片時も迷わなかった。
路傍の石を拾い上げ、躊躇うことなく遠ざかる車に投げつける――!
ドゴンッ、とリアガラスが砕ける音。その音が耳に届いた時には、既に地を蹴って走り出していた。ガラスが砕けても構わず走り去ることを懸念していたが、幸いにも高級車は走行を止めている。
状況を把握する為に停止したのだろうが……しかし、その判断は失敗だ。
車の側面に駆け寄ると、驚愕している運転手とサイドミラー越しに目が合う。
突然の展開に混乱している様子だが、落ち着いて考える時間など与えはしない。
運転手と目が合った直後には、後部座席のサイドガラスに拳を叩き込んでいた。
音を立てて割れるガラス。すかさずロックを解除してドアを開けると、果たしてそこには予想通りの光景があった。
金髪の小さな女の子。
十歳にも満たないような子供が、黒服の大人たちに組み伏せられていた。
「――小さな子供に何をしている」
自然と俺の声は低くなっていた。
常日頃から冷静な思考を失わないように意識しているつもりだが、こんな光景を前にして平静さを保つのは難しかった。
「……っ」
俺の威圧を受け、男たちは怯んでいた。
強盗のようにガラスを割って顔を見せた影響もあるだろうが、これは俺の外見も影響しているのだと思う。
一般平均より頭一つは高い体躯。
この国の人間にしては彫りの深い顔立ち。
おまけに目つきもよろしくない自覚がある。
それでなくとも初対面の人間には警戒される傾向があるが、今回はガラスを砕いての強引な訪問だ。不埒者たちが反射的に硬直するのも無理からぬところだろう。
そこで声を上げたのは、意外な人物だった。
「私は小さな子供じゃないわよ!」
その高い声の主は、絶体絶命の様相を呈していた女の子。大の大人に取り押さえられた状態でありながら、俺をキッと睨みつけて気丈に反論だ。
この局面で小さな事を気にしている場合ではないと思うが、元気が有り余っているのは良い傾向だと言えるだろう。
「あ、あんたの出る幕はないわ。とっととこの場から消え失せなさい!」
金髪幼女からの手厳しい言葉。
一般人であれば余計なお世話だったかと引きかねないほどの剣幕だ。
しかし、俺には分かる。幼女の辛辣な言葉には心が全く入っていない。
この幼女は自身が窮地に陥っているにも関わらず、健気にも俺を巻き込むまいとしている。……その事が、俺には手に取るように分かった。
「悪いが、それは聞けないな。俺は助けを求める声には応える主義なんだ」
「っ……た、助けなんか求めてないわよ!」
幼女は一瞬だけ泣きそうな顔になったが、すぐに強がるような声で言い返した。
この子の気高い矜恃は敬意に値するが、しかし俺に引く気はない。こちらはこちらで勝手にやらせてもらうとしよう。
本日は七話ほど投稿予定。
次回、二話〔押しつける正義〕
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