20:姉妹達〔シスターズ〕<後編>
「どういう事なの、マリア!」
「――……」
「何故! なぜ、仲間を、友達を、そんな事……」
俯き乍ら、マリアはその透き通った声で答える。
「半死半生の狂戦士。――わたし達はそう揶揄されている」
「……うん」
「人々はわたし達を忌み嫌い憶測で有る事無い事口々に語るが、半死半生の狂戦士、と評したそれだけは、概ね事実」
「えっ……」
「わたし達の躰には鬼衆の血肉が使われている。鬼衆という厄災に対抗する為に造り出された人工的な抑止力。その一つの解として導き出されたのが、わたし達半死半生の女戦士。謂わば、實驗體」
「実験……」
兄ちゃんから、いや、あれはもう兄ちゃんではなかったんだけど、ディーサイドの噂については聞いていた。
鬼衆を食べたり、その血を啜ったり、ディーサイドの噂には“嘘”がいっぱい混じっていた。
唯、聞く話々、その多くが眉唾で一概には信じられず、御伽噺の類。
ディーサイド本人のマリアが話してくれなきゃ、実感が乏しい。勿論、呆気となるけど。
「わたし達は、鬼衆の力を意図する事で制御している管制官の様なモノ。例えるなら、鬼衆の躰を人間の脳で強制的に支配している、そんな感じ」
「……ああ、」
「圧倒的な捕食者として君臨し続けた鬼衆共に対抗すべく造り出された殺戮機械。鬼衆の如き妖、魔性の類。故に、白眼の魔女と云う呼び名も粗方正しい。
わたし達は危険な兵器。剣であり、盾であり、具者。鬼衆を狩る為だけに存在する兇器。人類の叡智が生み出した呪われし爪牙」
「…………」
言葉に、マリアの話し振りに、凄味が。
無論、いつものように冷静沈着。でも、強い意志を感じる。
そう、旅立つ前の虚ろな眼差しは、今はもうない。
初めて会った時と同じ、強く鋭い眼差しを取り戻している。
「併し、鬼衆への対抗措置として造り出されたこの具者には、大きな誤算があった」
「……誤算?」
「……兇器は狂気を纏い、具者は愚者に堕ちる。そう、――半死半生の戦士は、軈て、鬼衆と化す」
「!!」
マリアは――
マリアは何を云ってるんだ!
ディーサイドが鬼衆になるなんて……
そんな大それた事、云っちゃダメだ!
「なに云ってんだよ、マリア! そんな、そんなデタラメ、云っちゃダメだ」
「出鱈目、か――確かに、わたし達も人々と大差ない暮らしをしていれば、凡そ人態の儘で居られよう。
だが、鬼衆共との戦いを通し、その力を解放すれば解放する程、わたし達の躰は鬼衆の本能に蝕まれて行く」
「なっ……」
「――肉体が鬼衆を受け入れるんじゃない。脳が、心が、意識が鬼衆に蝕まれる。人間たろうと欲する人の心と鬼衆としての本能、欲望に忠実たろうとする獣としての本性が犇めき合い、意識は混沌とし、軈て闇に取り込まれる」
「……」
「闇に病んだわたし達は、間もなく鬼衆となるだろう。その後の事は、説明する迄もない。お前も知っての通りだ」
「――そんな……」
間違ってる!
ディーサイドを送り込んでいる結社は一体、何を考えているんだ!
ディーサイドが鬼衆になるなんて、本末転倒じゃないか!
「おかしいじゃないか! 鬼衆を倒すディーサイドが鬼衆になっちゃうんじゃ、マリア達が生まれてきた意味がなくなっちゃうじゃないか! そんなの、おかしいよ!」
「――意味、か……結社はわたし達に、最低二匹の鬼衆を斃すよう、義務付けている。わたし達が一人で二匹の鬼衆を斃せば、仮にわたし達が鬼衆になっても、鬼衆そのものの総数は減る。わたし達が存在する意味は、それだけで十分」
「!」
「わたしは既に二匹以上の鬼衆を斃している。つまり、結社からすれば、わたしを造り出した意味は、十分、という訳だ」
「うっ……」
「――安心しろ、ヨータ。わたし達にも人並に生きようとする生存本能はある。結社がわたし達を造り出した意味は十分だが、わたし自身が唯、生きようと欲する生存本能や存在理由において、結社の義務付けは無関係、充分とは云えない。だから、わたしに問題はないし、わたしはまだ生き続ける」
……マリア、
どうして……
結社は――
マリアを造った結社って、なんなんだよ!
マリア達の存在って、なんなんだよ!
――くそっ!
「休息は済んだ。さあ、行くぞ」
「待ってよ、マリア! まだ、その……仲間を斬るって理由が――」
「――着いたら話す。今は、先を急ぐ」
「…………うん」
納得いかない。いや、納得できよう筈もない。
ディーサイドの、いや、結社の抱えている闇が、俺の知らない深い闇が、俺の視線を、思考を覆い隠す。
何かしなきゃ、何とかしなきゃいけない。
何ができるのか、何をしなきゃいけないのか、まるで分からない。
だけど、――
なんとかしなきゃ!
―――――
二度、月を見た。
もう、結構、歩いた。
恐らく、もうガンビア山地に入っている、その筈だ――
空気が澄んでいる。
清涼にも関わらず、日射しは強い。ちりちりと肌を差す太陽は眩しいけど、軽妙に頬を撫でる風がやけに心地良い。
凄く乾燥している。僅かな灌木が疎らに生えるだけの紅土。
岩がちな大地はもう、決して径とは云えない。とは云え、歩みを邪魔する叢草がない分、進み易い。
アップダウンは激しいけれど、そこ迄苦じゃない。多分、雲を抜ける度、顔を優しく包む霞が疲れを癒やしてくれているのだろう。乾燥が気にならないのも多分、このお蔭。
あれからマリアとは話していない。
俺には衝撃的過ぎて、あれ以上、深い話を聞く勇気がなかった。
それに着いたら話してくれる、と。
マリアは、約束を守る。そう云ってくれた。
俺は、それを信じてる。
だから――
――シュワシュワシュワ……
この音、いや、この声は、虫。
蝉?
シュワシュワシュク――
大分標高がある筈だし、背の高い木々も辺りには見当たらない。
それにも関わらず、聞こえる。せミの鳴き声が。
遠くから? ううん、意外と近くからなのかも?
――シュワシュクシク。
既に傾きオレンジ色に染まった夕陽のせいか、その忙しない蝉の声ですら物悲しく、何故か切なく感じる。
シュクシクシク――
なんだろう。
鳴き声と云うより、まるで、
――シクシクシク……
慟哭。泣いているかの様な。
「……――ヨータ」
「! えっ!? な、なに、マリア?」
不意にマリアに声を掛けられ、驚く。
それくらい、お互い話をしない儘、一心不乱に歩いてきた。
別に、強行軍という訳ではないけれど、無心で歩んできた。それだけに、ちょっとびっくり。
立ち止まった彼女は、小さな円形の金属を摘まんで肩越しに見せている。
何だろう?
――貨幣?
でも、真っ黒。見た事もない、何か。
「マリア……な、なんなの、それ」
「わたし達は、黒辱の硬貨、と呼んでいる」
「えっ?」
手渡されたその硬貨が何の金属で出来ているのかは、さっぱり分からない。
唯、漆黒の貨幣には金字の文様が刻まれている。
これは――
「――紋標。前に教えたろ」
「うん……ディーサイドを、戦士を各々指す標って」
「そうだ――」
マリアは大太刀をすらりと抜く。
その長大な剣の手許、柄の部分に嵌め込まれている装飾を外す。
――あっ!
同じ。
マリアの太刀の柄から外されたその装飾は、正しく貨幣。
全く同じ、黒い硬貨。
唯、――
文様が、刻まれた印章が、違う。
「わたしのは<白詰草の2>。それは<聖杯の6>」
「……ほ、ホントだ」
マリアとは違う標。
つまり、――
別のディーサイドのモノ。
ど、どう云う事!?
「――わたし達は、こわれる事を知っている」
「こ、壊れる……」
「心が、意識が、鬼衆のそれに飲み込まれそうになるその限界を、瞬間を、わたし達は悟る。壊れるであろう自分を知り、わたし達は最期に願う――」
「……ね、願う?」
「せめて、人の儘逝きたい、と――」
「あっ!」
「だから、託す。人の儘で逝かせてくれるであろう者に、最も信頼する者に、この硬貨を」
「…………」
追いつけない。
考えが、思考が、感情が、その何もかもが、追いつかない。
整理ができない、及ばない。
――いや、
分かるんだ。
意味は分かるんだ。
でも――
納得できない。したくない!
「どうして……――」
「――同期。彼女は、わたしとほぼ同じ時期、結社に連れてこられた」
「……」
「――辛かった。幼いわたしにとって、結社でのそれは辛く悲しい日々だった。でも、二人でいれば耐えられた」
「ふ、ふた……」
「半死半生となったわたし達は、その激痛に悶え苦しんだ。気が狂いそうな絶望の淵、それでも、二人で決めたサインを掲げ、お互いに抱き合い寄り添えば、浅い眠りにありつけた」
「――……」
「二人でなら、二人でいれば、どんな苦難にでも立ち向かえた――」
――ッ!
せ、蝉の声が鳴り止んでいる。
一瞬の静寂が辺りを包む。
刹那、――
岩場を、地面を踏み締める音、鎧う足許が擦れる微かな金属音。
――だ、誰ッ!
「――そうだろ?」
「……――」
「――アイナ」
――!
初めて――
初めて見る、マリア以外のディーサイド……アイナ。
矢張り、美しい。
マリアと、似た恰好。雰囲気迄も。
綺麗な、迚も綺麗な女性。
全身の色素が極端に薄い。
夕陽を背にした彼女の銀髪には、真っ赤な天使の輪が浮かび上がっているかのように見える。
儚げで、物憂げで、それでいて神々しい程、見目麗しい。
まるで、――
まるで、マリアの姉妹のよう……
でも、なんだろう。
――稀薄。
存在が、雰囲気が、ニュアンスが。
永遠に辿り着けない蜃気楼の町並の様な、燃え尽きようとしている蠟燭の炎の様な、命を賭した全力の声を上げて鳴き疲れた蝉の様な。
ああっ――
そうだ!
旅立つ前の、マリアの瞳。あの虚ろな眼差しに、似ている。いや、もっと沈んでいる。曇っている、美しい筈のその白眼が。
「待っていたわ、マリア……」
「――アイナ……」
交錯している、二人の間を。
目に見えない、耳で聞こえない、言葉ではない何か。
ひりひりと、でも、決して張り詰めている訳ではない空気感。
奇妙な緊張と緩和、その距離感。
なんだろう。分からない。
俺には決して分からない何かが、二人を包む。辺りを包み込む。
「――あの頃の儘」
「……――」
「何一つ変わらない。どこも變容しくはない」
「あなたは、――あなたも、あの時の儘なのかな……」
「! お、お前――」
「ごめんね――五感の、知覚のどれかを幾つか犠牲にしないと、もう保たないの……」
「――……」
「綺麗な姿を、綺麗な儘の私を、あなたに見せたくて――」
――ああ!
そうか。彼女の、アイナの白眼は曇ってなんかいないんだ。
光を、視力を失っているんだ。
見えていないんだ、仲間を、友を、マリアを。
「――何故?」
「……」
「優秀なお前がこんなに早く限界を迎える筈がない、そうだろ? ――何があった?」
「……――懐かしい声。ほっとする」
「――」
「昨日の事のように思い出す。二人で、あなたと一緒に二人で過ごした楽しい思い出――辛かったけど、あなたと過ごしたあの時が、私の人生で一番楽しかった……」
「――わたしも、だ……」
――辛い。
見た事も聞いた事もない、二人だけの、マリアとアイナだけの過去、その記憶。
なのに何故、こんなにも悲しいのだろう。
アイナが拳を悠揚と突き出す。
雄牛の角の如く擘指と季指を開くように突き立て、掲げる。
「――マリア!」
「……」
「探ってはいけない!」
「!」
「結社を、敎會を、七聖國を、死卿を、深淵を、鬼衆に服うその背後を、影を、闇を、力を、その真実を、探っては、疑っては、覗いてはいけない!」
「――ど、どういう……」
「待てなかった……」
「!?」
「――二人で、あなたと二人でなら、乗り越えられたかも知れないのに……」
「……――」
「私は弱いから――」
「アイナ! お前はわたしよりも遙かに優秀だ。その強さはわたしが認めてる」
「――違うの……私、心が、弱いの――だから、待ってられなかった……」
「――……」
「――だから、せめて……最期だけは待っていたかった、あなたを……」
「…………」
「――私が……人の心を……――人間であるうちに……私、――わた、し……わ、わだっ、わだだ、わだじを゛っ!」
ダ、ダメだ――
マリア!
彼女をっ、アイナを救わなきゃ!
「マリアッ! ダメだっ!」
「――……」
大太刀を握るマリアの両手。
――綺麗な手。
その両の拳に力が籠められているのが分かる。
「マリア! マリアーッ! 聞いて、俺の話をっ! 絶対に駄目、ダメなんだ! 彼女を、アイナを、斬っちゃダメなんだ!」
「五月蠅いぞ、このガキッ! マリアを困らすなっ!!」
「えっ!!?」
声!
嗄れ声がマリアの手許から。
マリアの左手、その甲。
美しい真っ白なその柔肌に、醜悪な癰が、黄色葡萄球菌に感染したかのような、まるで人の顔を思わせるような巨大な腫れ物ができている。
而も、僅か。わずか一瞬でその瘢痕自らが動き、擘指と示指の間から、しゅっと柄を握る掌の内側へと消える。
――今のは!?
「マ、マ゛リ゛ア゛ァァァ……」
綺麗だったアイナの顔。
青筋が走り、筋肉が強張り、表情を、否、顔面そのものが歪む。
唸り声にも似た低い発声を伴い泪を流す彼女は、まるで變容するかの様。
嗚呼――
――止めなければ!
どちらを?
マリアを?
アイナを?
一体、どっちを!
「――マ、マリアーーーッッッ!!!」
――ザグン!
マリアの姿が、ない。
鎧われた装備を、琺瑯革の装束を、肉を、骨を、体を、その全てを断ち斬る鈍い音。
その奥、アイナの背後その先で太刀を右へと薙いだ姿で静止するマリアを、その重厚で不快な音が追う。
真っ赤な鮮血が、夕陽のそれよりも赤く紅い血潮が、剥き出しの岩肌を朱に染め上げる。
太刀から血の垂れ幕が棚引き、マリアは静かに佇む。
夥しい血煙を上げ、前傾に倒れ込むアイナはか細い声で何かを口遊む。
そして、まるで微笑むようにして寂寞と果てた。
無念――
多分、俺はそんな表情を浮かべていたに違いない。
その様を目の当たりにし、俺は悲しくも悔しく、無力に打ち拉がれ、亦、涙していた。
止め処なく溢れるその涙の意味を、俺自身、未だ理解していない。
俺は、なんてちっぽけな存在なんだ……
――俺はどうしたら……
―――――
墓というには、あまりに粗末。
唯、彼女の遺体を埋め、盛土に彼女自身の大太刀を墓標代わりに突き立てる。
聞けばそれが、半死半生の戦士の正式な埋葬なのだ、とマリアは語った。
「――屠鬼の大太刀を墓標にするのには、意味があるんだ」
「……」
「わたし達のこれは“死”の真璽を意味する。太刀が描く十字は死を与える。この太刀の下で眠る者は永遠の死の祝福を得る。故に、如何なる呪いや魔術、妖の業を以て為ても、この土で眠る者を亡者として弄ぶ事はできない」
「…………」
返事ができない。
――嗚咽。
マリアの感情が、その決して表に出さない感情が伝わってくる。
だからもう、涙が止まらない。
彼女の分迄、俺が泣く。
「アイナは、――ほぼ同じ時期、結社に連れてこられたんだ。
――辛かった……幼いわたし達にとって、結社で過ごす日々は辛く悲しいものだった。けれど、二人でいれば耐えられたんだ」
「……」
「半死半生となり、その激痛に悶え苦しんでいても、二人だけのサインで遣り取りし、互いに寄り添えば、浅い眠りにありつけた」
「……――」
「わたしとアイナ、二人なら、二人でいれば、どんな苦難にでも立ち向かえた――」
「……うん」
「――そう、わたし達は、生涯において唯一無二の親友だった……」
親友なのに、どうして!
「……こんなに悲しいのに、こんなに悔しいのに、――マリアは闘い続けなきゃいけないの?」
「ああ、――結社の目論見とは無縁の、それこそがわたし達の存在証明……」
「――……そ、そんなこと……」
「アイナは最期にこう云ったんだ――大丈夫だよ、さぁ、って。……二人でなら、乗り越えられるから、と」
微笑んでみせたマリアの眼差しは、夜の帳を見据え、強く強く輝いていた。
胸元に置いた手許は、擘指と季指を双方開いた拳。アイナの見せた、あの仕草。
そのサインの意味は分からないけど、いずれ俺も……
――ありがとう。
わたしの分迄、泪してくれて。お蔭で、わたしが枕を濡らす事はもう、ない。
浅い眠りは覚めてしまったけれど、夢の続きは終わらない。
必ず――
必ず、わたしは。
だから――
せめて、笑い乍ら、
――さよなら。。。。




