10:追憶を越えて2
はぁ、はぁ……
……はぁ、ふっ、ふぅ。
やっぱ、きつい。
街道と違って道なき道を進むのは骨が折れる。
藪漕ぎ、とか云うんだっけ?
背丈と同じか、もう少し高いくらいの笹や灌木、雑草を掻き分けながら進むのはきつい。
ああ、やっと。
やっと森に入れた。
こっちの方が全然楽だ。根っこに蹴躓かないように歩けばいいだけ。苔生しているから滑らないよう踏ん張る必要はあるけど、藪漕ぎよりは全然増し。何せ、手が使える。幹に手をかけ、バランスを保ちながら進めば、それ程苦じゃない。
それにしても薄暗い。
夜の闇程じゃないにしても、陽が射し込まないってのは、こんなにも視界を悪くするものなのか。
早速、親仁さんから渡された行燈が役に立つ。
多分、灯りがなかったら、何度も転んでこんなに簡単に進めなかったと思う。
旅には、体力が必要不可欠だけど、装備品も重要なんだと気付かせてくれた。
――あっ!
森の奥に灯りが見えた。
火を焚いている灯り。間違いない、人がいる。そこで誰かが野宿を、野営をしているって事だ。
見えた。
あの装束!
異国の、この辺りでは見た事もない不思議な衣装。ごく一部しか鎧わない、迚も戦士が身に付ける様な頑強な装備とは懸け離れた踊り子のような軽装。その琺瑯革の生地は金属とも硝子ともつかない娜やかで艶めかしい光沢を放つ。
間違いない、あの恰好はディーサイド――……
……――あれ?
白金髪――
マリアの髪は、もっと白かった。透ける様な銀髪、輝く様な白髪、幻想的な真綿色だった。
「――待っていたぞ」
「!?」
その声は、低めの声調。
振り向いたその顔は、確かに美しい。美しいのだけれど、なにか違和感を感じる。
あ、そうか――
白眼じゃない。
薄い、凄く色素の薄い琥珀色。でも、白くはない。控え目に云って、薄い金色。
それに、睫毛や眉毛にも色がある。根本的に、神秘さが足りない。
そうだ、アルビノじゃないんだ!
今、目にしている彼女には、色素、がある。
マリアとの違い!
でも、だからと云って、それがディーサイドじゃないとは云い切れない。
何故なら俺は、マリア以外のディーサイドを見た事がないのだから。
「――えーと……お姉ちゃんって、ディーサイド?」
「……そうだ」
「……」
「頼まれて君を迎えに行ったんだが一足違いだったようだ」
「――ああ、うん……誰に頼まれたの?」
「仲間に、だ」
「――その人の名前は?」
「……少年。我々ディーサイドは仲間を名では呼ばないんだ。身を危険に晒す事になりかねないからな」
「――そっか……」
こ、これは……
「そんな事よりこっちに来い。腹も空いてるだろ? 食事でも振る舞おう」
「――ああ、え~と……俺、腹減ってないんだ。来る途中で喰ったから……」
「そうか、ならこっちで休め。疲れてるだろ?」
「――い、いや、大丈夫だよ……宿に、宿に戻るって約束してあるから……」
「ン? なんだ、怯えてるのか? 無理もない。我々は怖れられているからな。だが、安心しろ。私は怖くない」
……ち、違う。
「――あっ、そうだ! あれ見せてよ、あれ!」
「ン? なんだ?」
「木登り! ほらっ、ディーサイドって木登り得意って云ってたから! だから……」
「……揶揄ってるのか?」
「……」
――逃げなきゃ……
「……違う」
「なに?」
「お前はディーサイドなんかじゃない!」
「――なんだと?」
「ディーサイドは自分からディーサイドなんて名乗らない! 自分は怖くない、なんて云わない!」
「――……そうなの、か?」
「そうだ!」
「なァ~んだ! だったら、てめぇ~、最初っからバレちまってた、ッてワケじゃねーか! めんどくせ~演技なんか、シなけりゃ良かったぜ!」
「!?」
メキィ、メキキッ――
顔が、躰が、四肢が、膨らんでる。
間違いない、見た事があるっ!
これは、こいつはっ……
――鬼衆だッ!!
その変貌が完全に終える前に、逃げなきゃ!
握っていた行燈を投げ付け、踵を返す。
後はもう、全力で逃げる!
日中だというにも関わらず薄暗い森の中を、唯々全力疾走。
掴まったら終わり……
……ッ!?
「逃がすかよォッ、このヴォゲェがァァァッ!」
そ、そんなっ!
躓きながら、転びそうにながらも100ヤードは逃げたというのに、もうそいつは先回りしてる!
速過ぎる……
迚も、とても俺の、人間の足では逃げ切れない。
――こ、殺されるッ!
「そこまでにしとけ、化物」
「グッ、グギギッ、到頭来やがったクァ~、ディィィ~~~サァーィド!」
こッ――
――この声ッ!
知ってる、この声を! その姿を! その白眼の眼差しを!
「マ、……マリアッ!」
――痛ッ!
鬼衆に髪を掴まれ、引き摺られる。
「遅かったじゃァ~ねェーか、ディーーサーーィド!」
「逃げ足だけは早かったからな、お前」
「へッ、吐かしやがるッ! どォ~してここグァ~分かった?」
「分からなかったさ――その少年がここに向かう迄は」
「な、なにィィィ~!?」
ギャリリッ――
マリアの右手に礫が握られ、軋ませている。
その礫を手首のスナップだけを利かせ頭上に放つと、上空を覆い尽くす木々の枝と葉からなる天蓋に複数の穴を穿つ。
漏れ射す陽光が水分過多な森の空気に触れ、帯状の筋を幾つも描く。
「なんのつもりだッ、ディーーサィドッ!」
「気付かなかったよ、こんな森の中に潜んでいたとは、いや、こんな森があったとは」
「なにィ~?」
「あの村から逃げ果せたお前が、比較的近くにあって多くの人々が住まうザハシュツルカに向かうであろう事は想定内。実際、夜の町に出入りするお前の姿も確認していた」
「――ならッ、なんでソん時、襲ってこなかッたんだァ~、てめぇ~はッ?」
「すばしこいお前を夜の町で狩るのは面倒だ。それに――」
「それにィ~?」
――グリリィッ!
マリアはその左手にも礫を握り締めている。
「お前の臭いは薄い。それだけに居場所を特定し辛い。恐らく、空腹なのだろう」
「――ほ~ぅ……」
「6フィートしかない貧弱な鬼衆でしかないお前は、それだけに小賢しい。すばしこさと逃げ足を活かし、それに加え、食餌を控えた。臭いを隠す為に」
「……だッたら、なぜ?」
「慎重過ぎるお前は、慎重過ぎるが故、ミスを犯した」
「……」
「――念の為の人質」
「!?」
「恐らく、わたしが沙漠から救い出した少年を町に連れて来たのを見ていたのだろう。浅はかなお前はそれを見て、少年を捕らえようと試みた――、結果」
「――……」
「潜伏先であるこの森をわたしに明示する事になった。お前は自らの策に溺れた」
右手同様、左手に握った礫も頭上に投げる。
木々の作り出した天然の天蓋が毀ち、更に陽光が射し込む、幾重にも。
「サっきからナニをしてるッ、ディーサィド!」
「分からないのか? この森の居心地が良過ぎて忘れているのか?」
「なンだとッ?」
「昼日中から薄暗いここで、今お前の姿はどうなってる?」
「――ハッ!?」
「陽の檻。變容態のお前は、木漏れ日降り注ぐこの檻からは逃れられない」
右手を肩越しに回し、背の大太刀の柄を握る。
「終わりだ、化物。念仏でも唱えろ」
「……ククッ、クヒッ、クヒヒ、クヒャッヒャッ!」
「――なにがおかしい」
「いやァ~、あンた、かしこぃはァ~! アタシの御頭じャ~、とてもじャ~ないグァ~追いつけないッ! でも、あンた、重要な事、見逃してルよォ~」
「――なんのことだ?」
鬼衆は俺の頸動脈にその鋭利な爪を這わし、僅かな切り傷をつける。
まずい――
兄ちゃんの時と云い、今回と云い、同じ迷惑をマリアに掛けさせちまってる。
――くそぅ!
「クヒヒッ、あンたの云う通り、念の為の人質グァ~、役に立ったかなァ~?」
「つまらん真似はよせ。わたしに人質は効かん」
「いいや、効く、効くンだよ、ソれグァ~!」
「……なぜ、そう思う?」
「クヒッ、勘!」
「!」
「あンたグァ~云ッた通り、アタシは鬼衆の中でも非力。だクァらァ~、賢しく動かにャ生き残れない。ト云ッても、あンたみてェ~に訓練さレた兵士でもない。頭脳戦なんか挑んだッて勝てりャ~しねェー! だカら頼るのサ、野性の勘に」
「……」
「てめェーらディーサィドとアタシら鬼衆の差はァ、生まレながらの化物クァ、途中から化物ニなッたかの違ィ! 元人間のあンたらと生粋の化物のアタシらじャ~、生存本能の強さグァ~違うッ」
「――……」
「まずッ、そのでッけェ~剣を捨てなッ! その剣はアタシらの躰、イやッ、血にとッて毒になル! だから、まずはソイツを捨てなッ」
「――捨てると思っているのか?」
「捨テるさッ! このグァキの命を救うのに他の選択肢はねェ~からなァ!」
「……」
くそっ!
こんな奴の思い通りになんかさせない!
「マリアッ! 剣を捨てちゃダメだぁぁぁーーーッッッ!」
「!? チッ、くぉのグァキィ~!」
ヒュン――
あっ!
――ザグン!
剣を……太刀を……投げ捨てた。
マリア……
「クヒッ! クヒャッ、クッキッキッキッキャーッ! このブァ~クァ! 本当に捨てやグァッたぜェ~~~! そォ~ら、グァキを返シてやンよ!」
体が浮く。
俺は鬼種に軽々と抱え上げられ、マリアに向かって投げ付けられる。
投げ付けたと同時に、鬼衆自身も突進。
地面とほぼ並行に投げ飛ばされた俺を、その儘追うかの様に突撃する鬼衆。
ほぼ一直線上にマリアと俺、鬼衆が重なり、各々の距離が縮まる。
そして、投げ付けた俺に追い縋る様に駆ける鬼衆が五指の爪を揃え、貫手を繰り出す。
ああ――あの怖ろしい爪に貫かれる!
そう思った瞬間、俺にかかっていた推力が掻き消える。
マリアが俺を受け止める――
――受け止めつつ、右肩を前に擦り込ませる様に左回転、体を入れ替える。
な、なにをっ!?
――グワシュッ!
俺を抱える様にして受け止めた彼女は、旋回する様に背を鬼衆に向け、その貫手を背中に受ける。
ブワッ!
鮮血が飛び散る。
鬼衆の凶爪はマリアの鎧と装束を砕き、背中から右胸を貫き、血の雨を降らす。
グハッ――
吐血したマリアが力なく微笑む――大丈夫か、と。
――マリア!
「マ、――マリ……マリアァァーーー!!!」
耳障りな鬼衆の嘲り笑う声が、深い森に谺する。




