渇欲の魔女
行き場を忘れた死者共の異常なる事象に、本来在るべき遺書を届ける尋常ならざる使者にして暗黒淵の史書を隠匿する司書。その素性、至って未詳。
この地方では見たこともない意匠の、一種異様な琺瑯革の衣装に身を包んだ女性。いや、化生か羅生か。まぁ、どちらでも一緒だ。
そんな魔性の彼女らの一生に興味があるのなら、共に見て行きましょう。
――It's showdown!!
――――――― 0 ―――――――
陰鐵より造られた太刀は致命的。憐れな屍等であれば掠り傷一つで終ろう。
知らぬ訳ではあるまい?
その知識がなくとも、息絶えるその時まで、本能が“これ”は危ないと、危険信号を全身に流しているはず。極度に水や日の光を恐れ、“それ”には寄り付きもしないだろ?
だと云うのに――
――向かってくる。
身体への危機に勝る本能、諍うことのできない衝動。それが――
――飢餓感。
空腹を満たすため?
そんな生易しいものじゃない。
崩壊を、躰の内から蝕まれ崩落するその感覚を、“なにか”で埋め合わせなければならない焦燥感。腐り散る肉を、溶ける内臓を、灼かれる組織を、湧き上がる恐怖感が狂気となって生体活動を促し、同じもので補おうとする情動に突き動かされる。
同物同治は哲学ではなく、紛れもなく“生存本能”だったのだ。
そう、そこだけは毒の血の支配を逃れる本質的な性。
生き存えようとする生命体としての意志が、毒の血としての種の存続をも上回る瞬間。
故に――
彼らにとって致命的な陰鐵の刃を握っているにも関わらず、わたしの肉を、骨を、臓腑を、そして何よりその血を欲し、襲い掛かってくる。
「いちっ!」
――ザシュッ!!
太刀を横薙ぎ、鋒で屍等の皮膚を裂く。
動物の革を切る感触とは微妙に違う。
鱗のしっかりした魚を刻む感じ。薄氷に刃を突き立てた感覚。謂わば、ザクッとした感触。
そう、肉を斬った時とはまるで違う手応え。
そして、確信する――こいつは紛れもなく、カバネラ、だと。
ボゥッ!――
火花が散り、炎を吹き、燃え上がる。
肉が? 皮が? 骨が?
違う、それらは類焼に過ぎない。
強烈な燃焼はそう、血、で起きている!
陰鐵に触れた毒の血は激しい酸化を伴い、熱と光を帯び、轟々と火炎を吹く。
カバネラの体中、隅々迄行き渡った毒の血は瞬く間に燃え上がり隈無く伝播、体内温度は一気に上昇、急激に圧力を増し、間髪を容れず――
――ボンッ!!
爆発霧散。
周囲の感染者達に、怯んだ様子は見られない。
もう手遅れなんだ、そこにいる者達は。
瀉血でどうにかなる段階ではない。完全な、カバネラ、だ。
分かり切っていたこと。それでも、願わざるを得ない。
だって、そうだろ?
助けられないのであれば、こうするしかないのだから……
「にっ! さんっ! しッ!」
――ザッ! ザスッ! ザンッ!
躱し薙ぐ。體を入れ替え斬る。振り向き様払う。
鋒から糸引く毒の血は宙を舞い散り、螢の如き火花を咲かせ、濁った輝きを放ち弾け飛ぶ。
やがて、血の持ち主達は炎に包まれ、悶絶、沼田打つ。
ボッ! ボフッ! ボンッ!
軽妙な爆発四散に、心ばかり重くなる。
「き、きさまッ! ディーサイドか!?」
そんな分かり切ったこと、今更訊ねるのか?
いや、訊ねた訳ではない、か。
――恐れ。
常に捕食者である筈の自分が、狩られる側として捕捉された事への焦り、怯え、恐れ。
恐らく、その“化物”にとって、初めて感じるであろう負の意識。生命の存続、いや、個体の維持、か?
四人もの感染者を作り出したその所作こそが、そう物語っている。
精々、怯えるがいい。
被害者達の恐怖心は、それどころではなかった筈!
「――そうだ、と云ったら?」
一瞬の沈黙、いや、覚悟を決めた間か?
「……くっ、くくくっ、華奢な体付きしやがって、この女がぁッ! 返り討ちにしてやんよ!」
バキッ、バキキッ!
皮膚が変色し、四肢が伸び、頭髪は抜け落ち、躰の様子が著しく変貌する。
――變容。
姿を現したな、化物。
さぁ、どこ迄変わる?
来い、異形態!
「ブァ~ハッハッハーッ! どうだッ! 驚いたか、ディーサイド!」
2メートルを優に超える巨軀に長い手足。異常に発達した筋肉は一見して人間のそれとは違う醜怪な造形を伴い、各処に変色した蟹足腫が拡がり、脈打つ血管は不自然に、不規則に、独立して蠢く。
捩れて肥大化した爪は硝子質に変化し、歪で巨大な犬歯が口許から覗く。大きく見開いた瞳は濁った黄色に輝き、猫のような垂直の瞳孔が開く。
――キシャーッ!
「――それだけか?」
「……だけ??」
「變容は、それで終わりか?」
「? ……なにを云ってやがるッ! ブチ殺してヤルッ!!」
短剣程はあろうかと思われる5本の爪が襲い掛かる。
迚も巨体から繰り出されるような速さではない。空気を引き裂く振動が伝わってくる程の圧。並の戦士であれば凡そこの一撃で頭部を砕かれ、絶命していたに違いない。
だが……
ドン!
「ぎゃヒッ!」
声にならない音節を発し、唐竹に割られた頭部。斬撃は疎らな頭髪を僅かに残した頭頂部から腹部に迄達し、夥しい鮮血を吹き上げる。
こいつら特有の色素の薄い桜色の血液は、急速な酸化で真っ赤に変色、グラデーション宛らの色調変化を見せつつドス黒い紫色を経て、微かな赤みを帯びた重油のような黒々とした色合いへと変色する。
屍等のような発火現象こそ伴わずとも、特有の鼻を突く焼け焦げた臭いがそいつらの活動限界をわたしに知らせる、終わったのだ、と。
他愛のない命の遣り取りが、併し、胸を焦がす。
この感覚、腹の底から、否、意識の遙か奥から感じる“なにか”。
恐らく――
わたしの限界も、
――近い。
―――――
――ない。
達成感も、正義感も、況してや存在感も。
手掛かりも、痕跡も、何より力が“無い”。
わたしがわたしで在り続ける存在理由を、わたし自身が証明出来ない。確固たる意志とその論拠はあれど、その全てを証明し得ない、し切れない。
何よりも、答えられない、説得できない、納得できない。
なにも、ない。
この時のわたしは、確かに強くはあったのだけれど、それ以上に脆かった――
――そう……
わたしは、弱くなる。
元より、決して強くはないのだけれど、それでも強くあろうと意地を張っていたし、何よりそれを欲し、望んでいた。そんな自分の意志こそが生きる糧だと信じて疑わず、そうあらんとあり続けた。
……にも関わらず。
弱さの向こうに強さを知るなんて。
ああ、神よ!
わたしは決して、おまえを赦さない!
それでも敢えて云わせて貰う。
ありがとう、と――