ACT1-4 初めての電話 上
俺と鷹音さんの掃除の班が同じになったこと、図書室の掃除をしていたら朝谷さんがやってきたこと。
鷹音さんは俺と付き合うと言ってくれたが、彼女は俺のことを考えて、あえて事実と違うことを言ったのだと思ったこと。
――そんな俺の考えは、あくまで推測にすぎなかったこと。
流々姉は食べながらではなく、俺の目をじっと見ながら聞いている。最初は面白がっているようにも見えたが、途中からは向き合うのが照れくさくなるような表情に変わっていた。
「そんな目で見られると落ち着かないんだけど……」
「ううん、何ていうかね。弟がこんなに青春してるなんて、ちょっと前まではお姉ちゃん想像もつかなかったなって」
「青春って……流々姉もそんなに変わらないだろ」
「あ、女子校に通ってるお姉ちゃんにそゆこと言う? まあみんなコンパとかしてるみたいだけど、私は参加してないからね。なっくんに聞いてもらうのはいいけど、知らない人と一緒にカラオケなんて行ったら借りてきた猫になっちゃうから」
そんな冗談を言っているが、姉さんはどんな場にでも溶け込んでしまうコミュ強だ。一度家に友達が来ているときに呼ばれたが、姉の人気者ぶりに驚き、そしてさすがは自慢の姉さんだと思った――面と向かっては言えなかったことだが。
「カラオケに行かないからって、風呂場で歌うのはほどほどにな」
「お風呂だと声がいい感じに響くし、ゆっくり浸かれるから。なっくんもたまには歌ってみたら? 霧ちゃんのドラマの歌とか」
「っ……ゴホッ、ゴホッ」
「あ……ごめんね、冗談にしても意地悪だったね」
席を立たなくても――と言おうとしたが、姉さんは俺の後ろに周り、背中を擦ってくれる。
昔風邪を引いた時のことを思い出す。流々姉は母さんに伝染るからと言われても聞かずに、俺のことを看病してくれたことがあった。それもまた、小学生の頃のことだが。
思えば朝谷さんと付き合うことになったときも、姉さんにちょっとした変化を気取られて、洗いざらい白状させられた。それで応援してくれていたのに、たった一ヶ月でこれほど状況が変わったら、普通なら俺に問題があったんじゃないかと思うところだろう。
「……これからもクラス一緒なんだし、霧ちゃんともぎこちなくならないといいよね」
姉さんは俺の肩を揉んだあと、ぽんと肩に手を置いてから自分の席に戻る。
「霧ちゃんとは友達付き合いを続けてもいいって、鷹音さんも言ってくれたらいいね。あ、こういうのは女の子同士で話がついちゃうかもしれないか」
「こ、怖いことを……いや、怖いっていうのも違うけど……」
思わず戦々恐々としてしまう俺を、姉さんは再びにやにやと楽しそうに見ている。基本的には、俺をからかって楽しんでいるのが平常運転ということだ。
「なっくんはどうする? 霧ちゃんと鷹音さんが仲良くなっちゃったら」
「ど、どうするって……二人が気が合うなら、そういうこともあるかもしれないけど。今のところは……」
「一触即発って感じだったり? はぁ~、私もその場で見てたい。なっくんがハラハラしてるのを眺めてたい。お姉ちゃん授業参観に行っていい?」
「シスコンって噂が立つからやめてくれ」
実際に来たりはしないと分かっているが、牽制になりそうな言葉を選ぶ――しかし当の流々姉は、全く構わなさそうなのが困りどころだった。
「そのうち、私からも鷹音さんに挨拶したいな。うちの弟をよろしくお願いしますって、霧ちゃんには言えなかったから」
「……やっぱり面白がってないか?」
「ううん、そんなこと、ぜーんぜん」
とりあえず、電話をする時には部屋の外で聞かれてないか警戒することにしよう――もっとも、姉さんも冗談で言っているだけで、積極的に聞き耳を立てたりはしないだろうが。しないと思いたい。
◆◇◆
八時五十五分――課題は風呂に入る前に終わらせ、まだ読んでない漫画や文庫に手をつける気にはなれず、一応SNSを確認する。すると、高寺からメッセージが届いていた。
『九時からのありんのドラマやるじゃん? TLに今日が山場って流れてきたけど、キスシーンとかあったりすんのかな。俺ドキドキして見られないから見といてくれる?』
意外に小心者だな、と思いつつ、人のことは言えない――キスシーンという言葉を見ただけで心臓がキュッとなってしまう。
朝谷さんは女優なのだから、そういう場面があってもおかしくはない。準主演の彼女だが、主演の俳優のことを兄のように慕っているとか、そういう役どころだった。
――高寺のことを全く言えない。九時からのドラマは録画してあるが、今後落ち着いて見られるかどうかも分からない。
毎週の録画予約を消してしまおうかとも思ったが、フラれたからとそうするのも違う気がした。
視聴者としてテレビに映る朝谷さんを見て、それでも落ち着いていられるようになるべきだ――というのは、意地を張っているだけだろうか。
荻島からは後でゲームの対戦をしないかと連絡があったので、できたらログインすると連絡しておく。荻島は対戦動画の配信をしているそうでかなりのゲーマーだが、俺も一つだけなら荻島に付き合えるゲームがある。
返信をしているうちに、8時58分になる。時計を見るだけで緊張するというのも、いつ以来のことだろう。
そうこうしているうちに、59分に変わる。頭の中で一秒ずつをカウントダウンし始めて、待ち遠しく思い過ぎだろうと自分に呆れて、瞑想するように目を閉じる。
こんなに浮き足立っている自分が格好悪いと思うが、とりとめもない思考ばかりが巡る。どんな話をすればいいか、鷹音さんの都合が悪くなっていたりはしないかと色々なことを考えて――そして。
9時になる。それでも1秒、2秒と決心がつかない。9時になってすぐというのは迷惑がかかるというところまで考えて、5秒、いや10秒にしようと考えて、やっとメッセージアプリの通話ボタンにタッチする。
一度目の呼び出し音が鳴る。二度、三度――今は出られないだろうか、後でかけ直そうかと考えたところで。
『――はい、もしもし』
「あ……」
繋がった――繋がってしまった。いや、しまったじゃない。
『薙人さん……ですか?』
「あ、ああ。そう、俺……薙人です。鷹音さん、でいいんだよね」
『は、はい。電話だと、少し声の聞こえ方が違いますね』
鷹音さんはそう言うが、彼女の声も、何と言えばいいのか。
電話だから当たり前なのだが、耳元に囁かれる感じがする――何て口走ったら、さすがの鷹音さんも引いてしまいそうだ。
「えっと……九時になってからすぐかけたけど、大丈夫だったかな」
『はい、いつでも出られるように準備していました。薙人さんは、もう勉強は終わりましたか?』
「ちゃんと終わらせておいたよ。鷹音さんは?」
『それが……すみません、あまり手につかなくて。お電話が終わったら、しようかなと思っています』
「そ、そっか……」
電話がかかってくるのを待っていてくれたから、手につかなかったということだろうか――そんなことを言っても、自意識過剰に聞こえてしまいそうで。
「分からないところがあるときは、これからは教え合ったりもできるかな」
『は、はい……でも、いいんでしょうか。薙人さんはもう終わっているのに……』
「終わってるから教えられるっていうのもあるし。俺が今度終わってなかったら、そのときは鷹音さんに教えてもらおうかな」
『……こほん。そう言われて、気が引き締まりました。勉強に、これから張り合いが出そうです』
入学時点で学年一位の鷹音さんに教えてもらえるというのは心強い。しかし頼りきりでもなく、俺も今まで通りに勉強して、成績を維持しなくては。
「高校でついていけるか少し心配してたけど、今のところはまだ小手調べって感じなのかな」
『はい、今のところは。高校からはノートの整理の仕方を変えようと思っていて、少し試しています。タブレットでノートを取れると便利なんですが……』
「鷹音さん、タブレット持ってるんだ。俺も持ってるけど、電子書籍を見るくらいしか使えてないな」
『楽譜を表示したりもできるので、便利なんです。紙の楽譜に書きこむのと違って、何度でも書き直せますし』
「なるほど、そういう使い道もあるのか……鷹音さん、ピアノってどういう曲を弾くの?」
聞いてみると、鷹音さんは何か考えるように間を置く――そして。
『あ、あの……薙人さんが良ければですが。少し録音したものをかけてみましょうか』
「本当に? うわ、嬉しいな……ちょっと座り直すよ」
『くすっ……楽な姿勢で聞いてください、ゆったりした曲ですから。少し待っていてくださいね』
鷹音さんがスマホを置いた気配がする。そして、ピアノの音色が聞こえてくる。
どこかで聞いたことのあるような、クラシック曲。
始めは静かに、囁きかけるような優しいメロディラインから入っていく。
「この曲は……」
『月の光という曲です。有名な曲なので、聞き覚えがあるかもしれません』
「うん、どこかで聞いたことがある。でも、こういう形で聞くのは初めてだし……全然言葉が足りないけど、凄いな……」
『……良かった』
鷹音さんは安堵して、しばらく俺にピアノを聞かせてくれる。そのうち少しピアノの音量が下げられる――話の続きをしたいというように。
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