本格準備・1
……となれば、当然もう人間の世界に向かったことと思うだろう。
だがしかし! そうは易々とはなしが進まぬのが、ベイズクォリティ。
とまあ、ベイズのせいにするのもよくはないな。ただ単に、人間に扮するというのは思うほど容易なことではなかっただけだ。
とりあえず、実行に移すに際し、それまでに時間を見繕ってはいろいろと必要事項をベイズに叩き込まれた。
まずは容姿。まあ、これはなんら問題もない。なにしろ余は普段からひと型をとっているからな。
人間の姿というのは威厳こそないが、小回りは利く。無駄に大きくても邪魔だし動きにくいし細かな作業はできないしで、いいことがあまりないのだ。
この辺り、ベイズなど顕著だろう。あやつの真の姿は巨大な竜だからな。ペンのひとつも握れはせぬ。
魔王はそもそも、本来は決まった姿を持たぬ。肉体など膨大な魔力を内包する器でしかないからだ。ゆえに、余も含めた歴代魔王たちは適当に姿を作っていた。どう姿を変えたところで魔力量が変わるわけでもないので、ちいさきもの……そうさな、たとえば適当な昆虫にでも擬態したとて、魔力さえ外側に漏らせばそれだけで魔王のオーラは表せる。
というわけで、普段からひと型をとっている余は、ひとに擬態するために見目にこそ問題はなかろうと踏み、むしろ溢れ出る魔王としての魔力を抑えるほうが大事だと思っていた。
まあそうは言ったところで、それとて別段大きな問題にはなり得ない。なぜなら、余は普段から自身の魔力が過剰に漏れ出ないよう抑えておるからだ。余が余の魔力をダダ漏れさせていたら、この魔王城とて十全な機能を果たせなくなろう。
余の魔力をちょっと強めに当てられれば、なかなかな強者どもを集めたこの魔王城のものたちとて、失神は免れまい。雑魚ともなればこの魔力に当てられるだけで死に至ることとてあるくらいだ。
そうさな……、余の魔力に耐えきれるものは、この魔王城でもベイズくらいのものだろう。
歴代魔王によってはダダ漏れさせておるものも多かったようだが、その場合は基本的な魔王の居場所となる魔王の間に、抗魔の魔法を敷いておったらしい。
やれやれ。身内にまで自身の魔力を当ててどうするのか。その魔王どもは頭の足らんことこの上ないな。
おお、脱線したか。とにかく、そういったわけで余は普段から魔力を抑えておるので、それでよかろうと思ったのだが。
「駄目です。漏れすぎです。人間の中に紛れるには、もっと抑えていただかないと」
と、あっさりベイズにダメ出しを食らった。
く……、余にこうも真正面からダメ出しするなどと……と、そのようなことで悔しがる余ではない。なにせ余、この程度なら予測できてたし。それこそが〝特段大きな問題にはならない〟の〝特段〟の部分にかかるわけだ。
とはいえ、なんともまあ、人間とは本当に脆弱なものよ。ほとほと呆れるばかりだが、とにかくベイズから良しの判断が出るまで魔力を更に抑え込み続けることにした。
「まだ駄目か」
「まだ駄目です」
「まだか」
「まだです」
「……まだなのか」
「まだですね」
繰り返すこと数えきれぬほど。もうこれほぼ、というよりも全然魔力出ていないだろう、というほどまで抑えに抑えきってようやくベイズが頷いた。
「……まあ、このくらいですかね」
このくらいなのか。
これだけ抑えて及第点程度の評価。人間、脆弱すぎるだろう。
「あのときの勇者は余の魔力を抑えんでも平気だったのにな……」
「アレが特例中の特例でしょう。アレの仲間は魔王様の魔力に当てられたら即失神していた程度のレベルでしたよ」
そうなのか……。まあ、あのときは魔王城に損害が出ぬよう、余と勇者の死合う舞台を異空間へと切り離しておったからな。勇者の仲間たちが余の魔力に当てられることもなかったわけだが、ベイズがそう言うのならばその程度のものたちだったのだろう。
いっそ勇者が本当に人間だったのかが怪しくなってくるが、一応、あやつが人間であったことに違いはない。他者の本質や能力のすべてを見通せる能力を有す余がそう判断したのだ、間違いないな。
ふーむ。それにしても、あの勇者が特別だったにせよ、ほかの人間とここまで能力に格差が生じるものなのか。……まあ、そのあたりは、魔族間でも言えることか。そういうものなのだろう。
どうあれ、とにかくこれで見た目と魔力に関しては解決した。
ああいや、まだそのあたりに付随する問題も残っていたが。
「勇者を名乗るにあたって、争いごとは避けられないでしょう」
「そうだな。ふむ、しかし勇者とはなにをするものなのだ」
「え、それもわからず勇者になると仰っていたのですか?」
「いや、なにせ魔王打倒を目指すもの、の代名詞だと思っておったからな」
むしろそうだからこそ勇者の株を上げ、未来の勇者を増やし、余に挑む猛者が生まれることを願って余が勇者となることを決めたのだし。まあだからこそこうして問題が生じたのだが。
余の認識として、勇者の目的は魔王を倒すこと。すなわち、余を倒すことにほかならぬ。となれば問題などおのずと知れよう。
「余が余を倒すわけにはいかぬしなあ……」
それではただの自殺だ。意味がわからぬし、意味もなさすぎる。
そうぼやく余に、ベイズは目を細めて息を吐いた。
おいこら、上司の前で堂々と溜息を吐くでない。
「勇者の目的は魔王様の打倒ではありませんよ。それはあくまで手段です」
「なに!」
なんということだ。余を倒すことは手段に過ぎぬ、だと……っ。ずいぶんと舐めたはなしではないか。
「憤慨ごもっともではありますが、現状、魔王様にとっては都合がよろしいかと思われますが」
「む? ……ふむ、まあ、そうだな」
確かに。余が余を倒すわけにはいかぬ以上、勇者として動く目的が別にあるのは吉報だ。勇者といえど人間ごときが、倒せもせぬ余を倒すことを手段だなどとぬかす欺瞞についてはこの際置いておき、とりあえずその目的とやらを聞くとしよう。
「勇者とは、人間の世の平和を築くもののことを示します。その功績を示したものや、その能力を有するものを、自薦他薦問わずに勇者と呼ぶそうです」
「自ら名乗るもよし、他者に呼ばれるもよし、ということだろう。先々代は他者から勝手に勇者の称号を与えられたようだしな」
博愛の勇者。人間はもとより、魔族にも慈悲を与えるがゆえに、先々代は人間たちからそう呼ばれたらしい。まあ、真実としては魔王であるがゆえに魔族に慈悲を与えるのは当然であって、むしろ義理もなく温情を受けていたのは人間のほうなのだが、人間に扮していた以上見方は逆になって道理だろう。
とはいえ、なんとも魔王らしくはないふたつ名に違いはない。
「で? 平和を築く、というのが余を倒すことなのか?」
「そうですね。もっとも大きな功績とみなされるようですよ」
ふむ。なんとまあ、人間とは浅慮なものよ。余が倒されれば魔族が消滅するとでも思っておるのやもしれぬが、たとえ余が倒れようとも、そのときには次の魔王が生まれるだけだというのに。
魔王とはそういうもの。およそ輪廻の法則などに縛られず、当代魔王の崩御とともに、溢れ出る膨大な魔力を抑え込む器として次代が生み出される。そういう存在なのだ。
だから魔王とは常に唯一絶対であり、子や親さえも存在しない。まあ、それは人間が知るところにはないから、自分たちの都合のいい考えを刷り込んでいても仕方がないか。
よい。余は寛大ゆえ、その浅慮さは許そう。
しかし、先代はちょっと暴れてしまったが、基本的な現在の地盤は先々代が築いたものを維持してきている。つまりは、概ね魔族たちが人間に害をなすこともないということ。概ね、というところがミソではあるが、それはまあ目を瞑り、とにかくわざわざ余を倒すことを平和の指針とせずともよいだろうにというのが余の考えだ。
いや、それで困るのは余なのだが。
「先々代の魔王様のおかげでそこまで重要視されなくなってはいますが、それでも魔族が人間にとっての脅威であることには違いありませんからね。倒せるならば倒せたほうがいい、という考えでしょう」
おお……。なんと舐められたものか……。そんななにかのおまけみたいな感覚で捉えられているのか、余……。