始動のために・3
「それに、あなたは望むところでしょうが、一般の、特に力を持たぬ魔族たちにとっては、人間が力をつけ魔族と本格的に敵対しだせば脅威となり得ます。現状であれば失われなかった魔族の命を、あろうことか魔王様が危険に晒すのですよ。そのあたり、ちゃんとわかって仰ってますか」
「え、それ、なにか問題なのか」
ベイズの新たな諫言に、正直、余はきょとんとする。
「魔族は基本弱肉強食。弱ければ淘汰されるのは、なにも人間が相手である場合のみではないし、人間ごときにやられるのであればそれまでのものだろう。なんなら、魔族であるならばそのような軟弱な精神ではなく、余と同様の考えであってしかるべきではないのか」
別に須らく好戦的であれ、などというつもりはない。先々代の魔王であってもそうだが、非好戦的であろうと余は構わぬ。ただし、それに胡坐をかいて平和主義であるというのになぜ自分たちが殺されねばならぬか、などと宣うことは許せぬな。自らの主張を通したいのであれば、それとて相応の実力を要す。
与えられた平穏にのみ浸り、主張だけ声高に押し通そうとする魔族など、もはや魔族とは呼べぬわ。
「……確かに。本来の魔族の在りかたは魔王様の仰る通りですが……」
「だろう? 先々代の意向を汲み、余も存外温和で温厚であるからと、昨今の魔族にも腑抜けが多くなったとは思っておった」
「そうですね……。平和的にあろうとするものが増えたことは事実です」
「それが悪いとは言わぬ。余もそのように統べておる面もあるからな。ただし、それと他者になめられてよいのとでははなしが違うと思わぬか。人間に襲われぬよう事なかれで通せばよいなどとは魔族の名折れ。率先して人間に害をなすことを許容してはおらぬが、襲われたら返り討ちにくらいして当然であろう」
むしろそれくらいできずして、なにが魔族か。
確かに先々代の意向としては、平和主義の事なかれ主義で、双方なにもなければそれがベスト的なものが強い。が、余は先々代の意向を汲めど、先々代ではないのだ。先々代の支持者も一定以上存在することは事実だが、先々代の考えは魔族として決して正しくないこともまた事実。不満を持つものも少なくないこととて事実なのだ。
まあ余としても、別に人間との全面戦争を推奨するわけでも推し進めようとしているわけでもない。
ただ、そう。
余は、余に挑むもの、挑めるものと戦いたいのだ。
すべてはその一点にこそつき、そして譲れぬ。
「しかしベイズの懸念もわからぬわけではない。余は魔王。余の眷属たる魔族を守る義務はある。ゆえに、だ。ある程度、できる範囲で、必要ぶんはきちんと守る働きはしよう」
「……ある程度、できる範囲、必要ぶんの働き、ですか」
「うむ。手と目の届く範囲というヤツよな。さっきも言ったが、魔族なのだから自分の身くらい自分で守ることが前提だろう」
魔族は弱肉強食。つまりは強き余が自分の力を用いて自分の望むよう動くことはなんら不思議でもない。力あるものが力なきもののためにその力を振るう、などと偽善じみたきれいごとを素で掲げたのは先々代の魔王くらいのものだと思う。そこまでの主義なんぞ、余は真っ平だ。
とはいえ、余は充分すぎるほどに、身勝手なことなどしてこなかったのだがな。
ふ。存外温和で温厚なだけではなく、忍耐強くもあるのだ。
「……はあ。ここで私がどれだけ駄目と言おうと、どうせ勝手に飛び出していかれるでしょう?」
「なんだ、ベイズ。わかっておるではないか」
「……ええ、もう、どうしてこう育ってしまったんでしょうね……」
私の育てかたが悪かったのでしょうか、などとどこか遠くを見ながらつぶやかれた。
いやいや、その方は間違っておらなんだろう。なにしろ余はそれでも先々代の流れを汲み、存外温和で温厚に育ったのだからな。
ふむ、余も大概よき魔王よ。
「全力で身勝手に動かれてしまえば、だれも止めることなどできませんからね。どうであれ、魔王様ですから、実力だけは有り余っていますし」
「ベイズ、その方、全力で正面から毒を吐くのはそろそろやめぬか?」
「おや。いつ私が全力を出しましたか?」
にっこり。それはそれはいい笑顔を向けられた。
く、ベイズめ。それは確かに余の育ての親的存在はベイズに相違ないが、それでも余は魔王であるぞ。上司なのだぞ。余、敬われたことまったく記憶にないのだが。
「とにかく、仕方ありませんね。いいですか、魔王業はきちんと行っていただきますよ」
「うむ」
「わずかなりとも手を抜くことは許しませんよ」
「うむ」
「執務は二倍にしますからね」
「うむ。……む?」
うん? 流れが余に傾いてきたと思ったのだが、なにやら最後に妙なことをぶっこんでこなかったか?
「待て待て、最後のはなしは違うだろう」
「あ、もう言質取りましたので。助かります。なにしろ本来魔王様の側近とあらば、二名はいるはずなのですが、ウィルムグロウ様の代になってからはずっと私ひとりきりでしたから」
「いやいや、それは相応の実力者が現れぬことが原因であって、余のせいではなかろう」
「ええ、もちろんそのとおりです。魔王様の側近ですからね、だれでもなれるというものではありません。私の選定にさえ引っかかるものがいない現状にこそ原因があるのは重々承知しておりますとも」
そうだろう。
魔族は長命ゆえ、場合によっては何代かの魔王の側近を続けて務めるものもおる。先々代の側近もその先代から務め、さらにその次代までと三代続けたものもおったが、残念ながらそれは余が生まれるよりも以前で途切れてしまった。
ベイズは余よりも長く生きており、余が生まれたてほやほやの状態のときから傍に仕えておるのだが、ゆえにというべきか、ベイズより以前の魔王の側近についても知っており、魔王の側近という肩書に関してやたらハードルを高くしているように思う。こやつの目に叶うもの、というのが魔王の側近としての第一条件なのだが、そんなわけでまずそこを潜り抜けてくるものがおらぬのが現状だ。
つまり、単純に考えて、現状、ベイズは本来の側近の仕事を二倍こなしていることになる。それは余とてかわいそうだなとか、大変そうだな、と思いはするぞ。するけど。
それ、ベイズのせいではないか。
と、思ってもくちにしない。ベイズによって悉くふるい落とされていることは事実だが、そうされるほど実力が伴っておらぬものたちだらけであることもまた事実であるから……というのは建前で、せっかくベイズが余の提案を受け入れる方向になっておるのに、水を差す愚かな真似はしたくないというのが本音だ。
まあ、執務を倍にされたところで、余ならこなせてしまえることも事実なのだがな。なにしろ余は有能だから。魔王ゆえに。デスクワークはきらいなだけで、できないわけではないのだ。
きらいだから、率先してベイズの手伝いもしなかったというのに。くそう。
「わかった。わかった、やればよいのだろう、やれば。……ここぞとばかりに足元を見おって」
「なにか文句でもおありですか?」
「いや、なにも」
余に挑める猛者を願う。それは確かにいちばん大事だが、余の側近を務められる程度の実力者が現れることも切に願うことにした。
いやもう本当に、魔族ももっとがんばれ!
「ではさっそく余は勇者となってこよう」
「駄目です」
「え」
ちょ、はなしが違うぞ。
またも間髪入れずに棄却してきたベイズにさきほどよりもより目を見開いて視線を向ける。どういうことだ、余の執務を二倍に増やすだけ増やして、余の考えは通さぬ算段か。
そう抗議しかけたが、どうやらそうではないらしい。
「とりあえず、いま入っている謁見の予定だけすべてきちんとこなしてください。その後の予定は調整しますから」
「……世知辛いな」
むう、でもまあ仕方あるまい。なにせ余は魔王だからな。魔王業が本業であること、努々忘れたりはせぬよう、きちんと魔王としての仕事をせねばなるまい。
というわけで、余が人間に扮し勇者を名乗ることができるようになるまで、それからひと月かかったのだった。