公爵令嬢と陛下と???
薄いヴェールに包まれた我が婚約者、アルフォンス殿下に関する新たな動きがあったのは結婚式のわずか3日前。
私付きの女官となる予定の者たちと顔合わせの最中のことであった。
「国王陛下が私を?」
「はい。結婚式の前ではあるが、是非とも未来の義娘であるサリーティア様と親交を深めたいと仰せになっていらっしゃいます。式も間近で大変に忙しい中恐縮ではあるが、わずかばかりの時間を割いてはくれないだろうかと仰っておられました。」
あくまで公式なものではなく、王のプライベートのお茶会だと語る。
使者として現れた陛下付きの女官は慇懃な態度で述べた。
この国の最高権力者だ。
建前上、会うか会わないかの選択権はこちらにあるという女官の態度ではあるが、実質命令だろう。
「…承知いたしましたわ。折角の機会ですもの。喜んで伺わせて頂きます。」
私の出来る返事は結局のところこれしかない。
※
大仰ではなく、しかし、貴人対して失礼にならない程度に身支度を整え、先ほどの女官に先導されて顔が映るほどに磨き上げられた廊下を進む。
私が現在使用を許可されているのは後宮の最も外側にある女性用の客室の一つだ。
正式な婚姻を結んだ後には王太子妃の宮へ居を移すことになっているのでそれまで短い仮宿ではあるが、調度品といい、部屋に配置されたメイドたちといい、漂う香りといい、全て私好みにあわせられている。
正直このままここで暮らしてもよいと思うくらいだ。
後宮を過ぎ、複雑な回廊を抜けやがて王の私室が存在する奥宮へと辿り着く。
観音開きの扉を護衛の衛兵がゆっくりと開いた。
「アルノー公爵令嬢 サリーティア様のおなりでございます。」
先触れの女官が声を上げる。
私はドレスの両端を掴み深々と腰を折って頭を垂れる正式な淑女の礼をとって声をかけられるのを待つ。
「久しぶりだな。サリーティア。呼びつけて申し訳ない。婚礼準備の最中にさぞ迷惑だっただろう?」
ノワイゼン王国現国王 、エドワルド陛下は座っていたソファから立ち上がり穏やかな微笑みで私を出迎えた。肖像画でしか偲ぶ事が出来ない母と同じ薄い金髪と薄赤い瞳が確かな血縁を思わせる。
その口調は親しいものと対峙するような随分と砕けて親しみのこもったものだった。
普段は忘れがちではあるが、この方は私の母の兄。実の伯父でもあるのだ。
「とんでもございません。図らずも陛下に御目通り出来ることは臣下として何よりの喜びで御座います。」
「そんなに固くならずとも良い。そなたは我が妹の忘れ形見。外聞を憚らずに言えば我が子よりも可愛い姪だ。そんなところにいないでもっと側に来るが良い。」
「勿体無いお言葉でございます。」
いくら陛下に身内扱いをされようとも、こちらから調子に乗って親しげに接してはなりません。
マナーの教師でもあるメルダ夫人の声が脳内に響く。
臣下としての態度をかたくなに崩そうとしない私に、苦笑をうかべ
「よくよく教育が行き届いているようだ。これならば未来の王妃として心配はないな。…お前たち。呼ぶまで外していろ」
僅かに寂しさの滲んだ声で人払いをする。
そうして私と陛下は二人きりになった。
「さて、これでこの場所には私とサリーティアしかいない。座りなさい。」
陛下の正面にある座り心地の良さそうなソファを勧められて、ここで頑なに断ってはさすがにマナー以前の問題となるだろう。
もう一度頭を下げると優雅に見えるように腰を下ろした。
「突然呼び出して驚いただろう。婚礼の前にどうしても話しておかねばならないことがある。私はあまり遠回しな物言いは好かぬので単刀直入に言う。アルフォンスのことだ。」
やはり…
薄々は分かっていた。婚礼の直前まで姿を表さない王太子。
魔術の実験によって、狂ってしまった…
固唾をのんで陛下の次の言葉を待った。
「そなたも多少は聞き及んでおることだろう。一応対外的には研究が忙しいということにしてある。学院は不可侵領域であるため本当であるか確かめる術もない。ゆえに大概の連中はこれでごまかせてきた。しかし、これからはそうはいかぬ。」
「まさか花嫁をたった一人で祭壇に立たせるわけにもいかない。遠方にいるわけでも病を得ている…ある意味そうではあるのだが…わけでもない。だが、あのアルフォンスをどうしても人前に出すのは難しい。」
「結局のところ、サリーティア。そなたの協力が必要不可欠であるという結論に達したのだ。」
「サリーティア。その方どの程度まで把握している?」
探るような視線に居心地の悪さを感じながら慎重に言葉を選んだ。
「…たいしたことは存じ上げません。魔術実験の影響で、殿下が、その…」
「狂った、と?」
「…はい…」
陛下は深く息を吐く。
「百聞は一見にしかず。私の口で説明するよりも、直接見せた方が早いだろう。サリーティア。ついてまいれ。」
その時だ。
はい、と立ち上がりかけた私の耳に突然暴力的なまでの音が飛び込んできたのは。
ドーーーーン!!!
という何かが爆発したような爆音とともに、王の私室が煙で満たされなにも視界に映らなくなった。
「?!」
もうもうと白い煙…いや違う。霧だろうか?ドレスに僅かな水分が付着していた。
先ほどまで陛下と私の二人だけだった室内に、もう一人ぶんの影がある。
呆気にとられ思考が固まった私の上にさらに知らない声が降ってきた。
「お待ちください!まだ殿下の入室のお許しはでておりません!」
観音扉を派手に開いて飛び込んできた声は息を切らした若い女性のものであった。
「うるせぇ!こっちはもう飽き飽きしてんだよ。いつまで待たせるつもりだ!」
「ですから!何度もご説明したではありませんか!サリーティア様にはまず陛下からご説明いただき、ご理解を得てから…」
「けっ!なーにがご理解得てからだ!千の仮説をたてるよりも一の実験が効果的な場合だってあるだろうよ。お前らは頭が硬ぇんだよ。まずは行動。その方が早ぇよ。」
「そりゃ殿下はそうでしょうよ!考えるより感じろ!が座右の銘であられる殿下ならば!
ですがサリーティア様はか弱い令嬢であらせられます!今の殿下をご覧になってショックを受けて倒れられてしまったら如何なさいますか!」
「こんなんで倒れちまうような弱っちい女なら最初から候補にもあがんねぇだろうが。少なくとも“アルフォンス”はそんな女は望んでねぇよ。」
「ですから!それは殿下のお考えに過ぎません!こんな荒唐無稽な話、現物を見せられても直ぐには信じられないのですよ!大体なんですかこの有様は!ただの転移魔法なのにこの霧はなんなのですか!意味わかんない!」
「ただ転移しただけじゃつまんねーだろ?だからちょっとした演出をだな…」
「それ、必要ですか!?」
「あーあー。お前は特に頭が硬ぇからな。男の浪漫っつーものを理解しねぇ。」
「硬いとか柔らかいとか、そういう問題ではございません!殿下のなさっていることは非常識だと、申し上げているのです!」
「常識にとらわれてたんじゃ新しい学説は産まれねぇぜ?世の中は非常識な変人の非常識な行動が変えてきたんだ。お前もちょっとそのジョーシキとかいう重い帽子を脱いでみろよ?新しい世界が広がるから」
「あーもー!この屁理屈殿下!」
女性は頭を掻きむしって地団駄を踏んでいる。短く切られた黒い髪がぐしゃぐしゃだ。
唖然としてそのやり取りを眺めていた私は不意に現実に戻される。男がじっと私を見ていることに気がついたからだ。
「アルフォンスの婚約者ってのはあんたか?」
「え?あ、ハイ。」
「ふーん。」
腕を伸ばせばギリギリ触れられる距離に、その男は立っていた。
陛下によく似た薄い金髪とサファイアのように澄んだ青の瞳。
私より頭一つ高い体躯は細身ではあるが服の上からでも良く鍛えられていることがわかる。
ジロジロと上から下まで見られていてなんとも落ち着かない。
おそらく…いや、確実に目の前にいる男はアルフォンス殿下なのだろう。
容貌は陛下に似ているし、王妃様は青の瞳が美しい方であった。
「なぁ。その髪って脱色しているわけじゃないよな?目も。赤い目って俺初めて見たかも。」
「生まれつきです。父もこの色で…」
何の脈絡もなく、アルフォンス殿下?は私の白い髪を指差した。
「肌は白いけれど、やや黄みかかってるし、アルビノってわけじゃねーんだろ?ふわふわして綿菓子みたいだな。いや、目も赤いから…あんた、なんだかうさぎみてーだな。」
可愛いじゃん
ニヤリとまるで良い獲物を見つけたと言わんばかりの表情はとても楽しそうだ。
それとは対照的に私は蛇に睨まれたカエルだった。