公爵令嬢と謎の婚約者
月日は風のように過ぎ去り、父に婚約の話しを持ち出されてから、半年の時が経った。
雨の日の午後。
父との業務連絡を兼ねた恒例のお茶会は晴れた日に庭園で行われると決まっているので、今日は久しぶりに兄とゆっくり過ごす事が出来る。
「では、ここ2年誰もアルフォンス殿下に直接お会いした方はいないと?」
「そうなんだよ。殿下は今北の学院に留学中ということになっている。だから誰も殿下が王宮にいない事に疑問を挟まなかった。だが、ティア、君との婚約が整ったのに一度も殿下は帰ってきてはいない。これはいささか不自然だよね?」
「そうですわね。仮にも婚約式にまで顔を出さないなんて…」
3ヶ月前、私とアルフォンス殿下の婚約式が執り行われた。
だが、もう一方の主役であるアルフォンス殿下は研究が立て込んでいる事を理由に代理人を立てて式に臨んだのだ。
殿下の留学している北の学院はここから馬車でゆっくりでも2日ほどの距離だ。
決して帰って来れないきょりではない。
「そんなにこの結婚が気に入らないのでしょうか?自分の気持ちごときで政略結婚を嫌がる方とは思えないのですが。」
「いや、結婚自体は実は陛下より殿下が強く望んだものだという話だ。現在アルフォンス殿下には強力な後ろ盾がいないからね。…それもうちのクソ親父が裏で画策した結果ではあるんだけれど…たとえどんな裏があろうとも、アルノー家の名は殿下を守る強力な盾である事に変わりはないから、きっと婚約者が猿でも殿下はこの結婚を推し進めた筈だよ。」
「まぁ、お兄ちゃんたら!私猿などではありませんわよ!」
「あははは。ごめんごめん。ティアはキィキィ鳴くお猿さんではなくて、ふわふわの可愛いうさぎさんだね。」
ソウヤは笑いながら私の雪のように白い前髪をかきあげて額にそっと口づけをした。
「学院に入学すると滅多なことでは外出はおろか外部と容易に連絡を取る事は許されないから、なかなか殿下本人の様子が分からないんだ。」
兄の肩にもたれかかって心地よい体温を感じつつ私は考える。
アルフォンス殿下は王太子という立場にはあるが、その立場はいささか心もとない。
もともと一触即発だった王妃の祖国と我が国は、王妃が情報を祖国に流した事が原因で恐らくこの数年のうちに戦となる事がほぼ確実とみなされているからだ。
そのせいで王妃は現在白の塔に幽閉されており、いつ処刑台に送られても不思議ではない。
その息子であるアルフォンス殿下も密偵の疑いをかけられて、一時期嫌疑をかけられていたのだ。
しかし、殿下本人が自ら学院に入学したおかげでその疑いは晴らされた。
北の学院は今では失われた魔術を研究する唯一の機関であり、どの国にも属さない孤高のと自由を尊ぶ貴い場所なのだ。
二心あるものは学院には属せない。最初の宣誓で弾かれないということは、アルフォンス殿下は真に国を憂い、真摯に学ぶことを望んでいるということに他ならないのだ。
「でもね、ティア。ネズミが壁に穴をあけるように、どんなに強固に守られている場所でも、根気よく探せば誰も知らない穴を見つけることが出来るんだよ。」
「…お兄ちゃん、なにか知っているのね?」
「ふふ。学院は僕の母校でもあるからね。残念ながら、僕に魔術を操る才能はなかったからその概念と理論を学んだだけに過ぎない。でもティアのためになると思うことは全て学んできたつもりだよ?」
綿密な情報網を確立する事もその一つさ。
艶やかな笑みをその顔に浮かべる。
兄は10歳になり学院の入学資格を得るとすぐに宣誓を行い僅か半年で終了資格を得た。
これは歴代でも類を見ないほど早く、兄は神童の名を欲しいままにしていた。
研究機関からの誘いや、名家からの養子の話を軒並み蹴って私の側に居続けたのだ。
「ねぇ、教えて?お兄ちゃん。なにを知っているの?」
「教えてほしいかい?僕のティア?」
「もちろん。」
「いくら可愛い天使の頼みでも簡単には聞けないな。」
「私のおやつのマカロンをあげるわ」
「ティアが食べさせてくれるかい?」
「もちろん」
「それだけじゃ足りないな。君を愛する哀れな下僕に祝福のキスを恵んでくれるかい?そうすれば僕の口は羽よりも軽くなる事だろうね。」
「いいわよ。仕様のないお兄ちゃんの為に。」
私はそっと兄の右頬に触れるだけの口づけを贈る。
心底嬉しそうな兄は私の耳に顔を近づけて、聞こえるかどうかの声で
「アルフォンス殿下は、何らかの魔術実験の影響で、狂ってしまった。確かな筋の情報だよ。」
そう言った。