空からの来訪者_00
ピチョン────
ピチョーン────
どこからか水滴が水面を叩く音が聞こえ、少女は目を開ける。
目を開けても暗闇しか見えない場所だと知るが、耳には水滴が落ちる音が響き聞こえるだけだった。何をするでもなく暫くの間、暗闇の中に響く水滴の音を立たずんで聞いていたが、少女は自分が立っていると気がついた。立っている事を認識してからは、水滴は自分の足元から聞こえてるように感じた。足元を見るために視線を下に向ける。しかし……。
(真っ暗……?)
腰より下をみても、暗闇にのまれて闇以外は見ることができない。それでも先程まで響くような音が、ぐっと近くで聞こはじめる。
絶えず聞こえる音が何なのかを知りたい少女は、しゃがみ込むために足を動かした。膝を曲げたつもりだったのに何も変わらない。それよりも下に垂らしていた腕の方がぴくりと動く。そっと肘を曲げ両手をみるように腕を上げた。
闇しか見えない足元にじっと視線を下ろし続ける。灯りなど見当たらないが、ふしぎと暗闇の中からでできた両の手のひらを視界に捉えた。その瞬間に息をのむ。
(……っ……!)
持ち上げた手のひらを見ると真っ赤な水滴が垂れている。指を伝って水面に垂れていた赤い水滴は、今度は肘から垂れていった。自分の指が怪我をしてるわけでもなく何処から湧いてくるのかわからず、ただ、その赤い手を見つめる。水滴が赤だと気づいた時、鼻をつく臭いがつんとする。
(この臭い……ぁぁ……!!)
少女にとって毎日浴びた臭い。
少女にとって当たり前の赤。
当たり前の錆び臭い知った臭いのはずだった。そうだと気付きながら、少女は赤に染まる手で頬をかきむしるかのように自らに爪をたてた。少女の顔にも赤いそれがこびりつく。
────その刹那
暗闇だった空間は足元から照らされるように明瞭となる。徐々に広がる赤に染まる空間。数多の腕が水面から生え、少女を手招きするかのように蠢く。足元の水面から生える腕は少女を掴み底へと引きずり込む。引きずり込む腕の力にはっと我にかえり、水の中を覗きこんだ先と視線があう。
「──────!」
少女は声がでない悲鳴をあげた。自らの消えない過去の記憶を呪うように、爪をたてた指に更に力を込めながら。
西の空を見上げればまだ星が瞬いてる。しかし、東の空には夕色がまじり始め間もなく夜があけるだろう。
かつて少女だった女性はいつもの時間に目を覚ます。変わらず起きたが、幾度となく視るその夢は彼女の目覚めを少し憂鬱にする。
仰向けのままベッドに横たえる体を動かすことなく、両目の上にあった右腕をそっとあげ、目を開ける。
「…………ん」
ぼやける視界をそのままに、右手を目の前に運ぶ。霞む視界には自身の手のひらが見える。ぎゅっと力を込めては握り、力を緩めては手を開く、そんな動作を1・2度繰返した。手のひらと甲を確認するようにひらりと手首を捻る。次第に霞んだ視界も鮮明にみえはじめた。
「大丈夫……」
自分に言い聞かせるようにぽつりと一言だけもらす。目を開けたまま、持ち上げていた手を再度おでこの上にこつんとおとす。ちらりとカーテンが閉まる窓辺を覗けば、まだ朝日が昇りきる前のうっすらとした明るさが伺えた。横を向き体を縮ませたあと、猫のように手足をぐぅーっと伸ばす。小鳥が夜明けと共に鳴きだし、一日の始まりを優しく彼女へと告げる。
ここは惑星オルシェにあるフレストニア王国。更に詳しくいうならば、その中の南方領土フレミルック、そこの首都よりも更に離れ幾つもの町を経由した場所に位置した山林だ。一番近くの町は早い辻馬車で一刻半ほどかかる。そんな辺鄙な場所だが、職人が作業するには丁度良い環境でもあり、丸太で作られた家屋が一軒だけポツンと建てられている。
「ふぁ……」
鮮やかな群青色の瞳に涙をため、手で口を軽く覆いあくびをかみ殺しながら自室から居間に出てきた女性は、この家の住人の一人であるルティカ・フォード。珊瑚朱色の少し癖のある髪は胸元まで伸びており、さっと背中へと払う。彼女の朝は早く、夜明けと共に起きるのが日課だ。一日の仕度と鍛練を済ませ、いつもは仕事場へと向かう。
「ルカ姉、おはよ!」
「おはよう、チロ」
「今日は眠そうだね?先にお茶いれとくね!」
「ありがとう。お願いするわ」
もうひとりの住人であるチエロ・ライトニングは一足先に起きており、珍しく眠気を振り切ってないルティカへと目覚めに効く、香りのよいお茶を淹れる。チエロはお茶をテーブルへと差し出しながら尋ねる。
「鍛治場の片付けもう終わったの?今日終わらせるっていってなかったっけ、はい」
「ありがとー。昨日、炉の火を落としたから、冷めきる前に点検と掃除しよーって、やったらとまらなくなっちゃったわ」
「温度の調整はいつも魔法でやってるのに、せっかちだなぁ」
「他にも今日やりたいことがあるんですよ」
ルティカはイスに座るとカップを、きゅっと両手で包むようにつかむ。そのまま顔の前まで持ち上げ、鼻いっぱいに香りを楽しみ、ゆっくりと口をつける。
「う~ん、和む~」
「あれ、和んじゃう?スッキリする薬茶のつもりだったのに」
ルティカの反応が思い描いてたものと違い、向かいに腰かけるチエロは、はてと思いながら一緒にお茶をすする。
「これ、桜華おうかの茶よね?香りはいいけど、気付けよりも安らぎとか安眠の効果が高いのよ」
「そうだっけ?うーん、お茶はまだまだわっかんないなぁ」
「ふふ、初めての時より淹れ方は上達したし、味はとっても美味しいわよ?それに」
最後の一口をくいっと飲み干し、チエロへと優しく言葉の続きを伝え、
「今朝は、桜華のお茶の方が私には合ってたから……ありがとね」
「よかった~どういたしまして!」
チエロはにかっと満面の笑顔でこたえた。ルティカはその笑顔をみて微笑み返す。