第九十九話「少し話しすぎましたね」
星降りの間は、基本的にはすべての神殿で設置されている標準的な設備の一つだ。
簡単に言えば外部から干渉されない密室で、主に大きな声では話せない機密性を有するような会談などで使用される。
しかし今回ロミは、その星降りの間をただ一人で使わせてほしいとフゥリンに頼んだ。
突飛な依頼ではあるが、高位の神官であるロミの頼みとあらばフゥリンでさえ無視することは難しく、特に困るようなこともないためすんなりと許しを得ることはできた。
「それでは、すぐに終わると思いますので」
怪訝な表情のフゥリンに見送られ、ロミは部屋の扉を閉ざす。
ランプなどの光源のない部屋は、扉を閉ざすことで完全なる闇となる。
しかし、それも束の間。
天井や四方の壁からぼんやりとした光の点が滲み出す。
星降りの名前を関する由来。
音を吸収し、光を放つ秘匿結界の構築された部屋なのだ。
「それでは、早速……」
ロミは小さくつぶやくと、部屋の真ん中で杖を垂直に立てる。
握り拳一つ分を空けた先端を握り、詠唱する。
「『神聖なる光の女神アルメリダの名の下、口の使徒ウスに希う。隠匿の道を開き彼の者の下へ導け。我欲するは不可侵の道、信頼の口。願い聞き入れ開き賜え』」
杖を中心に展開された魔法陣は彼女を包む。
星降りの間の秘匿結界の内部で更に外界から遮断する結界を構築し、彼女は二重の状態で孤立する。
その上で彼女は遠く離れたヤルダの神殿にいるはずの師匠へと道をつなぐ。
「きっと忙しいでしょうから、繋がるまでに時間が――」
「やあロミ、どうかした?」
「……随分と迅速な反応なようで、私は嬉しいです」
ワンコールもしないうちに繋がった師匠の陽気な言葉に、ロミは思わずうなだれる。
この時間であれば彼女は執務室で雑多な事務仕事を片づけているはずである。
ロミがコールを送ってから彼女が感知して結界を構築し返答するまでにはそれなりの時間がかかるはずなのだが、魔法の師でもある彼女は一瞬でそれをやってのける。
「そう? よくわからないけどロミはいっつも呆れたような声してるね」
「レイラ様、貴女のせいですからね?」
「ひどいなぁ。私はただ愛弟子からの愛の通信をできるだけ早く受け取るよう努力してるだけだよ」
「何が愛ですか!? 私はレシド様に特別信奉した覚えはありません」
「まあまあ、それより通信してきたってことは新しい町に着いたってことなんでしょう?」
思わず大きな声を出すロミを、レイラは軽く受け流す。
ロミは星降りの間を貸して貰えてよかったと胸をなで下ろす。
そうして彼女は一度呼吸を整えると、本題に入った。
「はい。ハギルからアルトレットへ。神殿の監査もつつがなく終わりました。特に問題はありません」
「そ。それは良かった。フゥリンの爺様は元気そう?」
「ええ。とても気さくな方でした」
「ああ見えて海を割るとまで言われた水魔法の使い手だから、人は見かけによらないよね」
ヤルダの神殿長としてフゥリンとも一定の交流はあるらしく、レイラは懐かしそうに言う。
たまに師匠の年齢が分からなくなるロミだったが、後が怖いためそんなことは絶対に口に出せない。
「それで、ララちゃんたちの様子は?」
「そちらも特に問題ありませんね」
「うむうむ。それは重畳ね」
ロミの報告に、レイラは満足そうに頷く。
彼女とてそれほど心配している訳ではないだろうが、それでも実際に上がる報告を聞くのと聞かないのとではやはり違うのだろう。
二人はいつものやりとりを終え、雑談にはいる。
「それはそうと、アルトレットなら海産物が有名じゃなかったっけ?」
「そうですね。私もいろいろと頂きました」
とってもおいしかったです! とロミが声を弾ませると、対照的にレイラは暗い声を出す。
「いいなぁ……。私もそっちにいって海で泳ぎたいわ」
「レイラ様はそちらでお仕事が山のようにあるんじゃないですか?」
「だからすべて放って行きたいのよぉ」
泣き言を漏らす師匠に、ロミは相変わらずだなぁと苦笑する。
ちなみに彼女はハギルの神殿から通話した際も、私も山登りがしたいと言ってぐずっていた。
「それは難しい相談ですね」
「分かってるから言ってるのよ」
そんな冷たくあしらわなくてもいいじゃない、とレイラは唇をとがらせる。
姿は見えないがそんな彼女をありありと想像できてしまって、ロミは思わず吹き出した。
「けど海かぁ、いいなぁ……。ロミも人魚の鱗の一枚くらい見つけてお土産に送って頂戴よ」
「人魚の鱗……ですか?」
レイラの口から飛び出した聞き慣れない言葉に、ロミは首を傾げる。
「あれ、知らない? 海底の清らかな水に住む種族、人魚の鱗はとっても薄くて青く透き通った宝石のような鱗らしいわよ」
「そもそも人魚って本当に存在する種族なんでしょうか?」
「さぁてね、私も実際に見たことはないけどいたら面白いわよね」
ロミの疑問を軽く飛ばし、レイラはくすくすと笑う。
掴み所のない彼女に、ロミは思わず口をへの字に曲げた。
「あ、そうだ。これはあんまり関係ないかもしれないんですが」
「どうしたの?」
ロミはアルトレットに向かう際に遭遇したウォーキングフィッシュの群についてレイラに伝える。
それは単なる土産話の一つだと思っていた彼女だが、レイラの反応は予想の外にあるものだった。
「妙ね。ウォーキングフィッシュがそんな大群になって練り歩くなんてこと聞いたこと無いわ」
「でも、シアさん――えっと現地で出会ったアルトレットの女性なんですが――彼女が言うには産卵期には希に見る光景だとか」
「確かに産卵期になるとアレは群を作るわ。けどその規模はちょっと異常」
「そ、それもそうですね」
一変して真剣味を帯びたレイラの口調に、ロミも居住まいを正す。
ただならぬ雰囲気を彼女は感じ始めていた。
「津波みたいなウォーキングフィッシュの大群……。ロミ、それはどの方角へ進んでいったの?」
「えっと、私たちの進路の丁度逆でしたから、ハギルの方へ」
「おかしいわね。ハギルの神殿からそんな報告は受けていないわ」
「となると、そこへ至るまでの途中で消えた?」
「そういうことになるわ。――一応調査隊を派遣してみるわ。何か分かったらこちらからペンダントで連絡する」
「は、はい分かりました。お手数お掛けしますが……」
虚空に向かって頭を下げるロミに、レイラは固い雰囲気を解いて笑う。
「そんなに緊張しなくてもいいわ。貴女はとりあえず、旅を楽しみなさい」
「はい。善処します」
「そういう硬い所なんだけど……。ま、いいわ。それじゃあそろそろ魔力もきつそうだし切るわよ」
「はい。お仕事頑張って下さいね」
「なんで貴女は最後にそういう――」
泣き出しそうなレイラの断末魔を最後に、ロミは通信を切断する。
途端に押し寄せる疲労感と虚脱感に、思わず彼女は手近にあったソファへと身を投げた。
「ふぅ――。少し話しすぎましたね」
専用の回線を構築して行われる通話の魔法は、使用し続けるだけでもかなりの魔力を消費する。
一般人なら数秒で接続が切れてしまうところを、彼女とレイラは優に十分以上もの時間話し続けていた。
普通ならば魔力を蓄えた魔石など専用の道具を用意して行う所を単身で行えてしまうあたりが、ロミが魔力タンクと呼ばれる所以である。
彼女はぐぐっと両手を伸ばし、強ばった体を和らげる。
ひとまず町に来てするべきことは終わった。
「あとは、旅を楽しまなければいけませんね」
レイラから通話があるまで、彼女は一時自由の身だ。
せっかくだから多忙な師の分まで楽しんでやろうと、ロミは若干黒い笑みを浮かべた。
「そうと決まれば、まずは今夜の宴ですね。フゥリン師におすすめのお酒を聞いてみましょう」
ロミは立ち上がると、軽い足取りで部屋を出た。




