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第九十八話「すばらしく健全ですね」

 時は少し遡る。

 アルトレットに置かれたキア・クルミナ教の神殿は、領主の館や行政府などの重要施設の並ぶ町の中心にあった。

 ヤルダやハギルのものと比べるといささか見劣りする規模の小さな神殿だが、町自体の大きさを考慮するならばむしろ先の二つとも勝るとも劣らないほど重要視されていることが分かる。

 ララたちとと別れたロミは一人、白い神官服を纏って神殿へと足を運んでいた。

 十七段の大階段を登り、七本の太い柱をくぐり抜け、白い石材で作られた神秘の家に立ち入る。

 その途中、彼女は警備をしていた鎧姿の神殿騎士に呼び止められる。


「武装神官殿とお見受けする。名前と用件を伺ってもよろしいか?」


 ヘルムの下から発せられるくぐもった声に、ロミは一つ頷くと顔色を変えずに答えた。


「ロミ・レイン・リシリアです。武装神官として神殿の監査をするため、また個人的に星降りの間を使用させて頂きたく思い参りました」

「ろ、ロミ・レイン……!? であれば貴女がかの有名な赤き聖女の愛弟子にして史上最年少でレインの称号を得たあのロミ様ですか!?」


 驚愕と感激に喉を震わせ、神殿騎士は言う。

 ロミは苦笑しつつも、間違っているわけでは無いため頷いた。

 神殿騎士はお会いできて光栄ですと、震える手を差し出す。

 その手を握り返せば、騎士は感無量とばかりにヘルムの下で唇を噛みしめていた。


「申し訳ありません。すぐに神殿長に連絡を」

「ありがとうございます」


 神殿騎士はそう言うと、矢のように飛び去る。

 ロミは周囲を警備していた他の神殿騎士がにわかにざわついているのに気がついて、少し居心地悪そうに身をよじった。

 平民育ち、孤児院生まれの彼女が神官になれたのはまあ、決められた路線といえばそれまでだ。

 身よりも後ろ盾もない幼く無力な孤児のほとんどはキア・クルミナ教が保護している。

 そこで見習いとして修行を積み、成人になるまでを神殿に捧げる。

 その後はある程度の金を渡されてそれぞれの道を歩むことになる。

 傭兵になった者、所帯を持った者、店を開いた者。

 多くの道を示された中で、ロミはレイラに見留められて神殿に残った。

 修行と祈りの生活に明け暮れ、最高の師の元で才能を遺憾なく発揮した。


「いつからだろうな、ロミ様って呼ばれるようになったの」


 薄暗い神殿の広間の隅で立ち呆けながら、ふとそんなことを考える。

 武装神官の地位を魔法力で勝ち取ったときだろうか?

 レインの称号を得た時だろうか?

 それとも、レイラの弟子となったときにはもうすでに敬称付けて呼ばれていたのだろうか。

 あのときはただひたすら魔法を上手く使うことだけに脳を使っていたため、それらに気を回す余裕は無かった。

 気づけば遠くへ来たものだ。

 孤児院で男女の区別もなく駆け回っていた頃が遠い記憶となって思い返される。


「あの二人が私のことを知ったら……きっと笑うんでしょうね」


 銀髪と赤髪、二人の仲間を思い彼女はくすりとほほえんだ。


「おまたせしました! ロミ様」


 渋い声が耳に届き、ロミは急速に現実へと引き戻される。

 瞬時に居住まいを正して声の方へと振り向くと。白い髭を蓄えた老年の神官が立っていた。


「はじめまして、神殿長様。本日は突然の訪問にも関わらず対応していただきありがとうございます」

「そんな、貴女ほどの御方に様と呼ばれるような者ではありませんよ。神殿長とは名ばかりの暇な老骨です」

「あら、フゥリン師は水の聖魔法の優れた使い手とヤルダの神殿でも聞き及んでいます」

「それは嬉しい。とはいえ、そのように呼ばれていたのも今は昔。ここの所は腰や肘が痛んでしまいましてな」


 神殿長フゥリンは物腰柔らかなロミに固く緊張した表情を和らげた。

 彼女の誰に対しても敬意を払う博愛の精神は、あらゆる方面で利に働くことが多かった。


「それでは、早速本題に移らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「おっと、その前に。このような衆人環視で立ち話というのもあまりするものではありません。応接間を整えてありますので、そちらへ」


 フゥリン師の言うとおり、気がつけば彼女たちを遠巻きに見る人々が円を作っていた。

 神殿長直々に出迎える、見慣れない旅の神官ともなれば、神殿関係者だけでなく信者でさえも興味を持つのは当然と言えた。

 老いた神殿長は杖を突きながら奥へと進み、丁寧に整理整頓の施された応接室へとロミを案内した。

 革張りのソファと古い木のテーブルがあるだけのシンプルな内装である。

 とはいえシンプルな内装というのはキア・クルミナ教徒の多くが好む物であり、ロミが今まで訪れた神殿の応接間のほとんども似通ったものだった。


「すぐに飲み物をお持ちします」

「ありがとうございます。今日は日差しも強くて、実は喉も乾いていましたので」

「ははは。そうでしょう。アルトレットの風は塩が混じっていますからな。ほかよりも随分と乾いています」


 ロミの言葉にフゥリンは白い髭を震わせて笑う。

 すぐに下級神官の服を纏った少女が盆にカップを載せて入室してくる。

 静かに並べられたカップに入っているのは、コーヒーだった。


「コーヒーですか」

「ええ。少し珍しいですが、最近は信徒の間でも流行っておりましてな。最近私も嗜み始めたのですが、これがどうも癖になる」

「そ、そうでしたか……」

「おや、コーヒーは苦手でしたかな?」

「いえ、そんなことは、はい。ありがたく頂きます」


 早口にそういうと、ロミは一度生唾を飲み込む。

 ゆっくりと手を伸ばし、震えないように力みながら少しだけカップの縁に口をつける。


「んっ……。とっても、おいしいです」


 なぜ砂糖がないのだとか、なぜミルクがないのだとか、むしろミルクを下さいだとか、いろいろな感情が駆けめぐる。

 それらすべてを心の奥底に封印し、ロミは完璧な笑みで答えた。

 年老いた神殿長は満面の笑みを浮かべると、そうでしょうと頷く。

 コーヒーをブラックで飲める人などこの世界に何人いるというのだろう、とロミは心の中でため息をついた。

 そんな思いをごまかすように、ロミは口を開く。


「それでは、本題に」

「そうですな。過去一年分の出納簿、職員名簿、寄付献金の記録を用意しました」


 神殿長の合図で扉が開く。

 数人の神官が持ってきた紙の山は、アルトレットの神殿の記録である。

 武装神官の活動の一つである、各地の神殿の抜き打ち監査だ。

 ロミはコーヒーを下げて貰うとテーブルに紙の山を並べ、目つきを変える。

 先ほどまでの柔和な雰囲気は消え去り、鋭い眼光を飛ばす仕事人の表情となる。


「それでは……」


 神官服の懐から取り出したのは、ルーペと白手袋。

 彼女は手袋をはめると、山を切り崩し始めた。

 神殿のみならず、巨大組織というものは得てして腐りやすい。

 人の目の届かぬ末端は特に、腐敗の温床となる。

 キア・クルミナ教ではその防止策として各地を不定期に訪れる武装神官を監査役として使い、抜き打ち検査を行っていた。

 武装神官のほとんどは、訪れる神殿には縁もゆかりもない第三者である。

 そのため冷静に公平に資料を判断し、怪しいところがあれば容赦なく大神殿に報告する。

 そうなれば神聖国から本職の監査団が山のように派遣され隅々まで調査されるのだ。


「とはいえ、今までそのような不正を犯す神殿に出会ったことはありませんが……」


 すさまじいスピードで書類を片づけながら、ロミはつぶやく。

 このシステムが功をそうしているのか、はたまた神の信徒とは得てして善人ばかりなのか、本国の監査団を派遣するにまで至るような不正を犯す神殿を、ロミは知らなかった。

 精々が綺麗な村娘に絆された神官が夜逃げしただの、季節の祭事で飲み過ぎたのを誤魔化していただの、その程度の可愛らしい出来事ばかりである。


「――はい。一通り拝見いたしました」

「ど、どうでしたか……?」


 常人離れした速度で山を切り崩し、数時間ノンストップの作業で処理しつくしたロミが息をつく。

 神殿長はおそるおそると言った様子で彼女に問いかける。

 もし彼女の目に留まるような不正があったとすれば、彼の順風満帆な人生もそこで幕を降ろす。

 この瞬間だけは何回経験してもなれないと、フゥリンは動悸を激しくした。

 そんな緊張の面もちのフゥリンに、ロミはふっとほほえみかける。


「大丈夫です。すばらしく健全ですね」

「あっ、ありがとうございます!」


 ほっと胸をなで下ろすフゥリン。

 如何に自分でそう信じていても、判断を下す審判者に判を押されるのとは訳が違った。

 これにて緊張の数時間は終わる。

 また武装神官がふらりと訪れるその日まで、フゥリンは少しだけ胸を張って神殿長を務めることができる。


「それで、ここからは個人的な用件なのですが」


 脱力するフゥリンに、ロミがおもむろに声を掛ける。

 まだ終わりではないと気づいたフゥリンは慌てて背筋を伸ばす。


「あ、あくまで個人的なものなので、そこまで緊張なさらなくても大丈夫ですよ。その、こちらの神殿の星降りの間を使わせていただけませんでしょうか?」

「は、星降りの間ですか? それはもちろん、ロミ様の頼みとあれば」


 彼女の口から飛び出した言葉に、フゥリンは一瞬呆ける。

 星降りの間など、掃除以外の目的で開くことは極々希である。

 しかしそんなフゥリンの疑問も気づかず、ロミは深い笑みで感謝を述べていた。

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