第九十七話「物だけはたくさんあったしね」
「それじゃ、オルレアとケルレアの蜂蜜酒が一本ずつね。ついでにクラッカーも一袋おまけしてあげるわ」
「わーい! ありがとうミルト。二つとも大切に頂くわ」
自分の背丈以上の高さのある紙袋の中に商品を納め、ミルトはシアから代金を受け取った。
そんな親切な妖精のことが気に入ったのか、シアはにこにこと満面の笑みを浮かべている。
「わー、結局ケルレアの蜂蜜酒買っちゃったんだ」
「別にあたしたちが飲む訳じゃないさ。オルレアの蜂蜜酒なら飲みやすいらしいしな」
途中から完全に置いて行かれたララとイールは、なおも楽しそうに話を続ける二人を見ながらそんな言葉を交わした。
「それじゃ、気に入ってくれたらまたよろしくね」
「ええ。とっても勉強になったわ」
手を振るミルトに見送られ、ララたちはまた通りに戻る。
薄ぼんやりとした店内から太陽の光が燦々と降り注ぐ外に出ると、目の奥が焼けるようだった。
思わず目を細め、手で影を作りながらララは二人を振り返った。
イールもまぶしそうに目を細め、シアに至ってはぎゅっと目を閉じている。
「ひ、光の差が私を殺す!」
「さすがにそこまでではなくない!?」
紙袋をぎゅっと握って訴えるシア。
彼女はあまり直射日光が得意ではないようだった。
ララとイールがだんだんと光に慣れても、彼女だけは中々その場から動けずにいた。
「うーん、ちょっとどこか休める場所ないかしら。シアが中々つらそうだし、そろそろ歩きっぱなしで足も疲れてきたし」
「そうだな。どっかにカフェみたいなところがあればいいんだが」
力なく唸るシアを横目に、ララとイールは話し合う。
広い市場だが、その中にカフェのような店は見あたらない。
「シア、そろそろ慣れてきた? どこかで休憩したいんだけど」
「ううう、目が痛い……。このあたりで休憩するなら、いい場所があるわよ」
ぱちぱちと目を瞬かせながらも多少は慣れてきたのか、シアは軒先から光の下へと出ながら言う。
彼女の先導で、ララたちはミルトの蜂蜜店から移動した。
ピークをすぎたのか、人通りも多少大人しくなっている。
客引きの声もインターバルを置いているのか、先ほどよりも控えめだ。
「夕方になるとまた混むからね、今はちょうどその間の時間よ」
歩きながら、シアがそう説明する。
夕方からは日差しも弱くなり、日光に弱い種族も出歩けるようになる。
また仕事終わりの人々も今夜の夕餉の為の食材を買い求めてやってくる。
「そいえば、私だけ何にも買ってないなぁ」
イールが持つ干物とシアの持つ蜂蜜酒を見ながら、ふとララが言う。
その時その時の流れで二人が代金を払って買っていたため、ララは未だに財布の口を開いてすらいなかった。
「ま、市場は広いんだしそのうちいいものが見つかるだろ」
「そうそう。焦って買って、後々もっといいのが見つかるなんて悲しいことにならないようにね」
「うん。でもちゃんと回りのお店にも注意して歩かないと」
ララは歩きながらキョロキョロと視線をせわしなく動かす。
器用なことをするもんだ、とイールは呆れたような感心したような苦笑を浮かべた。
「ほら、着いたわよ。私おすすめの喫茶店、青の涙よ」
シアが立ち止まったのは市場を貫く大通りからそれて細い枝のように延びる路地を少し進んだ先だった。
人通りはさらにまばらになり、静かな雰囲気が漂う落ち着いた場所になる。
青の涙は暗い色合いの木材で作られた小さな喫茶店だった。
「こんにちはー」
朗らかに声を放ちながら、シアは慣れた様子で店内へと続くガラス窓のはまったドアを押し開ける。
来客を知らせるベルがチリリと鳴り、店の奥のカウンターから低いバリトンの声がする。
「いらっしゃい。シアが人を連れてくるなんて珍しいな」
「私だってそれなりに友好関係は広いのよ? ここには一人で来るのが好きなだけ」
シアはここの常連らしく、カップを拭いている制服姿のマスターと言葉を交わす。
白いシャツに黒いベストという紳士然とした壮年の男は、口にわずかばかりの髭を蓄え、細い目でシアの見慣れぬ同伴者を見ていた。
「こんにちは。私はララで、こっちはイール。旅をしてるの」
「旅か。いいね。旅人に悪い奴はそんなにいない。俺はコートン。青の涙のマスターだ」
コートンはそういうと口角を上げて笑った。
「それで、注文は?」
「コーヒーをお願い。砂糖一つとミルクたっぷりね」
「はいはい。いつもの奴だな。二人はどうする?」
「私もコーヒー。ブラックでいいわ」
「あたしもコーヒーで。砂糖三つとミルクで頼む」
ララたちの注文に頷き、コートンは静かにコーヒーを淹れ始める。
その間に、ララたちは店内を見渡して空いている席を探す。
とはいってもそれほど繁盛している店ではないのか、数人がまばらに座ってカップを傾けている以外は閑散とした店内である。
その中でも壁際の四人席を見つけ、三人はそこに腰を落ち着ける。
「ここはシアがよく来るところなの?」
「よくっていうか、ちょっと落ち着きたいときとかはここに来てるわ」
「確かに、ここなら喧噪からちょっと離れて静かに過ごせるものね」
市場の大通りから離れたこの場所ならば人々の騒がしい声も客引きの威勢のいい声も届かない。
ここなら煩わしいこともすべて忘れて、静かに読書などをしてゆったりと過ごすこともできそうだ。
「はい、お待たせ。コーヒー三つだ」
コートンが銀の盆にカップを乗せて持ってくる。
ミルクの混ざった薄いブラウンのカップをシアとイールが、黒いカップをララが受け取る。
シアはカップを傾ける二人を見て面白そうに笑った。
「どうしたの? いきなり」
困惑顔でララが尋ねると、彼女は首を振っていった。
「イールとララ、二人のカップがあべこべだなって思って」
「あー、確かにぱっと見た印象だとそうかも」
彼女の言葉に改めて自分とイールを見直し、ララは納得する。
確かに――不本意ではあるのだが――見た目小柄で幼い自分の方が砂糖とミルクの入ったコーヒーを飲むのが自然だろう。
「でも私、前は毎日ブラック飲んでたのよね」
「毎日!? すごいお金持ちだったのね」
ララの何気ない言葉に、シアは驚いた様子だった。
たまの一杯くらいならばそれほど悩まずに飲める程度の相場のコーヒーも、毎日となるとそれなりに痛い出費になる。
こともなげにそんなことを言うララが信じられなかった。
「ああいや、私の住んでたところだとコーヒーって安かったのよ。ここよりも……そうね、五分の一くらいかな」
メニューに書かれた価格を確認しつつ、ララが言う。
シアとイールは目を見開いた。
「すっごく安いわね!? コーヒーの産地でももう少ししそうなものだけど」
「あー、まあ、物だけはたくさんあったしね」
ボタン一つで種から無数の豆が一時間もせずに収穫できるようなシステムさえ備えていたララの故郷なら、あらゆる物質はもはや飽和状態にあった。
金はさらに娯楽を追求するためにこそ必要な道具であり、そういった物は大体タダ同然の価格で買えた。
「ララの故郷って、すごい発展してるの?」
「まあ、そうかもしれないね」
「一度行ってみたいわねぇ」
「うーん、それはちょっと難しいかもね」
キラキラと目を輝かせて言うシアに、ララは思わず苦笑する。
果たして自分が故郷に戻れる日がくることはあるのだろうかと、彼女は内心で思った。
「そういえば、シアは生まれも育ちもアルトレットなのか?」
話の流れから、イールがシアに尋ねる。
シアはきょとんと目を瞬かせ、すぐに首を振った。
「生まれはアルトレットの近くの小さな村よ。そこはなーんにもないから、成人してすぐにこっちに移り住んだの。アルトレットは田舎だけど、腐っても都市だから村よりはとっても豊かね」
シアはコーヒーカップの縁を指先でなでながら、落ち着いた声色で言う。
そこに後悔の色は含まれていない。
「イールもララも、故郷を捨てて旅にでているんでしょう? 私はそこまでは、まだ無理みたいね」
たまに村に顔を出しているというシアは、少しうらやましそうにそう言った。




