第九十四話「わ、シアって詳しいのね」
ララとシアがギルドの長椅子に座って談笑に耽っていると、イールはなにやらほくほくとした顔で戻ってくる。
ウォーキングフィッシュが意外と高く売れたのかとララが首を傾げるが、どうもそう言うわけではなさそうだった。
彼女は空の保管箱を抱え、その上に分厚い本を載せていた。
「おまたせ」
「おかえり。その本は何?」
単刀直入にララが尋ねると、イールは自慢げに鼻を鳴らす。
そうして保管箱をララの隣に置くと、本を手に取り表紙を見せた。
「アルトレット周辺に生息する主な水棲魔獣に関する記述……? なんだか長ったらしい名前の本ね」
「内容は表題の通り、このあたりに住む水棲魔獣についての情報が纏められてる」
「へぇ、イールってそういうの読むのね」
「ま、傭兵にとって情報は命だからな。初見の魔獣に挑むときも生態から能力から徹底的に調べ上げて、予想外を無くさないといけない」
イールの言葉に、ララは目から鱗が落ちたようだった。
彼女は正直、ナノマシンの純粋なパワーによって今までの魔獣をごり押しで圧倒してきた。
確かに、こうやって調べておくのも大切かもしれない、とララは思い直す。
「ねね、そういう本ってギルドで売ってるの?」
ララの隣で座っていたシアもイールの持ち帰ってきた本に興味を持ったのか、身を寄せて首を傾げる。
イールはひとつ頷くと、カウンターの方へと視線をやった。
「ランクによって買える本は変わるんだが、カウンターで売ってくれるよ。魔獣について調査して情報を纏めて本にして、それを売るのもギルドの仕事の一つだ」
「へー、傭兵ギルドってあんまり縁がなかったけど、けっこう大変そうなことやってるのね」
傭兵の世界になじみのないシアは、驚き感心したよう声を上げる。
イールは鼻高々といった様子で、機嫌良く頷いた。
「傭兵っていうのは魔獣に関しての専門家ばっかりだからな。あたしたちみたいな腕っ節だけの奴らは依頼をこなすだけだけど、ギルド職員の中には魔獣の生態について研究してるような奴も多い」
「全員がイールみたいなどっちが魔獣か分かんないような人たちじゃないってことね」
「おう、ララ面白いこと言うじゃないか。ちょっと表に出よう」
「ちょちょちょ、冗談じゃない! 小粋なジョークって奴よ」
耳をギリギリと引っ張られたララは慌てて発言を撤回する。
ジンジンと熱を持つ赤くなった耳を手で押さえ、涙目でイールを見上げた。
「ぶー、そういうとこじゃないの」
「なんか言ったか?」
「いいえなんにも!」
そう言うわけでギルドでの用事は終わり、イールとしては思わぬ収穫もあり、彼女たちは早速ショッピングと洒落込むことにした。
イールは本を鞄の中にしまい、それを背負う。
三人はギルドを出ると、シアの案内でアルトレットで最も活気のあるという市場までやってきた。
「わわ、すごい人!」
町の通りをまるまる一つ占有する大きな市場では、人種も様々な老若男女が足下も見えないような混雑の中を歩いていた。
客引きの威勢のいい声が至る所で響きわたり、それに釣られて人々は思い思いの店に顔を見せる。
「アルトレットの中心地にして心臓部。ここが市場よ。ほんとはさっきの本にも負けないくらい長ったらしい名前があるらしいんだけど、普通にみんな市場って呼んでるわ」
「あー、まあそういうものよね。それで通じるなら尚更」
何とも不憫な市場ではあったが、その活気は本物である。
アルトレットの海で穫れた新鮮な海産物の他、ウォーキングフィッシュの切り身や加工品、それだけでなく遠方からやってきた珍しい食材も多く並んでいる。
大きな店を構えるアルトレットの商店も多いが、露店を建てて地方の特産品を売る行商人の姿もよく見られる。
「人間、獣人が多いのは普通だが、珍しい種族も沢山いるな」
人混みを眺めていたイールは興味深そうに言う。
人間も獣人も元々の数が多い種族のため、大抵はどの町でも大部分を占める。
アルトレットもその例に漏れず、多くの人間、獣人が町を闊歩していた。
ただこの町はそれだけでなく、イールも見慣れない種族も見ることができる。
「あそこにいるのは小人族。あっちはもっと小さな妖精族だ」
「わ、あの人って子供じゃなかったのね」
「歴とした大人の小人だよ。人間との違いは耳が細長く尖ってるのと、まあこれは文化的なもんだが腕に三つの輪をつけてるところだ」
ララはイールの説明を聞き、注意深く見る。
スパイスを売る露店で店主と商談している小人族は、確かに人間と比べると耳が笹の葉のように細長い。
よく見れば四肢も若干太く、右腕には青白赤という三つの腕輪をつけていた。
「あの腕輪はどういう意味なの?」
「えーっと、なんだったかな」
「青は生まれたときに自分の所の族長から貰う一族の証。白は成人の証で、赤は既婚の証だったかしらね」
イールもそこまでは知らなかったようで首を捻らせていると、周囲の露店を冷やかしていたシアが代わりに答える。
「わ、シアって詳しいのね」
「この町ってば小人族の村と近いから多いのよ。だから知らない間に覚えちゃったわ。ちなみに一族の証はその部族によって色が違うわ」
「さすがはアルトレット市民だ。勉強になる」
「うふふー、感謝なさい? 私の受講料は鱗貝の酒蒸しでいいわ」
「割とお手頃だな……」
むふんと口を緩めるシアは、案外安価で色々と教えてくれるようだった。
「ちなみに妖精族は小人と仲のいい種族よ。どっちも森に住むからかもしれなけど」
「へぇ。ちっちゃい半透明の羽で飛んでるけど、よくあれで飛べるわね」
「妖精は魔法の扱いも上手くて、あの飛行も魔法による補助があってのことみたいよ」
ララたちの頭上を機敏に飛び回る妖精族。
よく見れば可愛らしい顔をした種族なのだが、いかんせんサイズが小さい。
大きいものでもララの手のひらより少し大きいほどの背丈で、えっちらおっちらと重そうにリンゴを運んでいる。
「陽気でいたずら好きで気まぐれな気分屋っていうのがあの種族ね。仲良くなれば楽しいけど、機嫌を損ねたらエグいほどのいたずら地獄が待ってるそうよ」
「うわぁ、大変そう……」
シアの言葉にララは肩を跳ね上げ、若干イールの方へと肩を寄せる。
「さて、それじゃあぼちぼち私たちもお店巡って行きましょうか」
「了解! 色々お店があって、回るだけでも日が暮れそうね」
「ま、ある程度は私が選別するわ。中には普通に悪徳な商人もいるし」
「こういうとき現地民がいてくれると助かるな」
「うふふ、どうもどうも」
そう言うわけで、アルトレットの昼下がり。
三人は意を決して人の海へと潜り込んだ。




