第七十九話「若さを無くした分、歴史が人を美しくさせるのよ」
「三人とも、久しぶりね」
詰め所の入り口に立っていたコンテは、変わらない柔和な笑みを浮かべている。
奇妙奇天烈な乗り物による酔いはある程度醒めたようだった。
「コンテも久しぶり。急な展開で驚かせちゃったわよね」
「うふふ。でもとっても面白かったわ。あんな乗り物に乗ったのは初めてだもの」
幸いなことに彼女はその旅を楽しんでくれていたらしく、三人は胸をなで下ろす。
その後ろで、テトルはバツが悪そうにぎこちない微笑みを浮かべている。
「それじゃあ、これからエメンタールのところに行くの?」
「ええ、そのつもりよ」
コンテは浅く頷くと、ふっと遠くを見る。
彼女は手紙の途絶えた夫の事を想い、はるばるハギルまでやってきたのだ。
当然、その間は宿を閉めざるを得ず、そう決断するには少なくない迷いもあっただろう。
「それじゃ、早速行きましょうか。テトルたちももう自由なのよね?」
ララはテトルの方へと振り向き尋ねる。
「ええ、多分。とは言っても『壁の中の花園』のメンバーは殆どをここに残していきますわ。魔導式自走車を放置しておく訳にもいきませんし、整備もしないと」
「それもそうだな。それじゃああたしたちとコンテと、あとはテトルだけか」
「そうなりますわね」
手早く話もまとまり、総勢五人でエメンタールの所へ向かうこととなった。
自警団の青年に声を掛ければ、すぐに解放の許しが下る。
「パロルド、あなたはここに残って自走車を守って下さい。整備士長は好きな人数を連れて町へ補給物資の買い出しへ、その間に残りの方々は整備箇所の点検を。士長が戻ってき次第作業を行って下さい。私はイールお姉さまに同行しますわ」
「りょーかい。こっちの事はオレに任せといてくれ」
テトルは残留するパロルドを筆頭にした『青き薔薇』の面々、そして随行していた整備士に指示を与える。
仕事モードの彼女は平時とは異なって鋭いナイフのような目をしている。
彼女の声にパロルドたちはテキパキと行動を開始する。
それを見届け、テトルはララたちへ振り返る。
「なんというか、大きい組織のリーダーだけあるわね」
その光景を見ていたララが驚いて言う。
冷静に考えればそう驚くほどのことでもないのだが、どうにもべったりと身体を預けるいつものテトルを思うと違和感が拭えない。
「うふふ。ララお姉さまに褒められて光栄ですわ」
テトルはニコニコと笑みを浮かべると、はらりと髪を揺らして頭を下げた。
ララとイールは顔を見合わせ、ぷっと小さく吹き出した。
「それじゃ、エメンタールの所へ行きましょうか」
そうして、ララを先頭にして一行はハギル山脈の麓にある牧場に向かって歩き出す。
彼女たちが町の中心部にやってくると、明け方の光の中で早起きな住民達がちらほらと歩いていた。
露店の骨組みを建てる商人や、店先の埃を払う店主。
朝の散歩を楽しむ老人や、朝食のパンを買いに向かう主婦の一団。
様々な人々が、それぞれの一日を始めようとしている。
コンテは初めて見る町の様子に興味津々で、きょろきょろと忙しなく頭を左右に振っている。
それはテトルも同じらしく、あくまで淑女然とした態度でゆっくりと歩いているが、時折見慣れない物を見つけるとぴくりと肩を反応させている。
そんな妹の初心な反応に、イールは口を覆って小さく微笑んだ。
「しかし、エメンタールさんはどう説明されるんでしょうか」
一歩後ろを歩きながら、ロミが隣のイールに話しかける。
彼女はその言葉の意味するところを測りかねて首をかしげる。
「メリィちゃんのことです。多分、コンテさんはご存じないですよね」
「あー、そうだよな。……まあ、それはあたしたちの考えることでもないんだろうけど」
「でも二人の間に深く関係してしまっていますし、もしもそれで仲がこじれてしまったら……」
ロミは声を抑え、ちらりと先を歩くコンテの小さな背中を見る。
上下に揺れるその背中から彼女の内心を推し量る事は難しく、ロミは思わず小さなため息を漏らした。
「そんなに心配することもないと思うけどね」
対照的に、イールは軽い口調だ。
表情も柔らかく、これからの出来事をあまり悲観している様子はない。
「二人とも、何か言った?」
先頭を歩くララが不意に振り返る。
それに釣られるようにコンテとテトルもまた彼女たちへと視線を向ける。
「い、いえ。ちょっとした世間話です」
三人の視線を受けて、ロミは錆びたブリキ人形のような動きで手を振った。
大通りを抜け、町を通り過ぎると、なだらかな斜面を蛇行する砂利道に入る。
ハギルの麓の寒々しい荒野の中を、五人はゆっくりと歩いて行った。
特にコンテは年齢的にも厳しいものがあるのか、整備された通りと比べると歩きにくそうだ。
ララ達は彼女の無理にならないようにいつもよりペースを落として進行する。
「ごめんなさいね、もう随分身体も衰えてしまって」
ララに肩を貸して貰いつつ、コンテは申し訳なさそうに言う。
「仕方ないわよ。これだけは誰にも止められないもの」
ララは彼女の腰を支え、軽い口調で言い飛ばす。
コンテはふっと頬を緩め、小さく頷いた。
「昔の私ならこれくらい、スキップで渡れたと思うのに。時間というものは残酷ね」
「若さを無くした分、歴史が人を美しくさせるのよ」
「あら。ララさんってば良いこと言うわね」
コンテが目を見開き、穏やかな笑みになる。
正確な話をすればララの方が何倍も年上ではあるのだが、そんなことを知らないコンテは孫娘のように彼女を見ていた。
やがて一行は葛折りの道を上りきり、緩やかな一直線に入る。
ここまでくればコンテも楽に歩けるようで、ララの助けも必要としなかった。
「ほら、あそこが牧場よ」
ララが前方を指さす。
遠方に見える広大な牧場に、コンテは知らず感嘆の声を上げていた。
彼女が初めて見る、夫の仕事場である。
心なしか、足の運びも早くなる。
それを追いかけるようにして、イールたちも歩く。
「思っていたよりも大きいわね」
「飼ってるヒージャが大きいからね」
「ヒージャ……。そうだったわ、あそこではヒージャという魔物を飼ってるのよね」
まだ手紙が届いていた頃の記憶を掘り返し、コンテは感慨深くため息をつく。
だんだんと鮮明になっていく牧場は、手紙に書いてあったとおりの姿だ。
牧場をぐるりと囲む木の柵、隅にひっそりと立つ小さな小屋、ヒージャ達の寝床となる大きな厩舎。
それら全てを彼女は手紙で知っていた。
「楽しみね、早くあの人に会いたいわ」
何歳か若返ったような、弾む声色でコンテが言う。
牧場が近づき、小屋が大きくなる。
気が付けば一行は、ドアの前に立っていた。
「多分もう起きてると思うわ」
コンテの隣に立ち、ララが言う。
直前になって緊張しているのか、コンテは取っ手を掴む勇気を持てないでいるようだった。
しばらくの間の逡巡が、空白を生み出す。
ララたちはしんと黙って彼女の手を見る。
「……」
そうしてついに、決意を固めた彼女が手を掛ける。
ゆっくりとドアが押し開けられる。
薄暗い屋内に、光が差し込む。
「いらっしゃいませー!」
カウンターから元気な少女の声が響く。
コンテは踏み出しかけた足を止めると、まじまじと奥を見る。
メリィもまた、見知らぬ婦人の姿に疑問符を浮かべていた。
「おはよう、メリィ」
「あっ、ララおねーちゃん! この人はおねーちゃんの知り合い?」
コンテの後ろからララが顔を出すと、メリィは安心したように相貌を崩す。
ララは困ったように銀髪の先をいじる。
「えーっと、とりあえずエメンタールを呼んできてくれない?」
「え? う、うん。分かったよー」
戸惑いつつもメリィは素直に頷き、小屋の奥へと引っ込む。
その間にララ達は小屋の中へと入り、コンテを椅子に案内した。
「あの子はこの牧場の従業員なのかしら?」
あんな若い子も働いているのね、とコンテは感心したように言う。
ララ達はどう説明したものかと目を交わし、結局エメンタールに丸投げすることにした。
「まあ、それも含めてエメンタールが説明してくれるわ」
「あ、いらっしゃったみたいですよ」
ロミがぱっと顔を上げて奥のドアを見る。
二人分の足音が響き、ドアが開く。
顔を覗かせたエメンタールはコンテの姿を認めると、短い髭を震わせて驚いた。




