第七十五話「案外すんなり行くかもね」
所は変わり、牧場の隅にある小屋の中。
ララたちはエメンタールの案内でテーブルにつき、供されたお茶で喉の渇きを癒やしていた。
小屋で待っていたメリィは最初こそ父親と帰ってきた彼女たちに首をかしげていたが、無事にロックスピルが駆除されたことを知ると、飛び上がって喜んだ。
「おねーちゃんたちってやっぱり強いんだね!」
「ま、そうだな。ロックスピルは割と弱い方の魔獣だけど」
イールは目を輝かせるメリィの賞賛を素直に受け取る。
彼女たちにとっては取るに足らない木っ端のような魔獣でも、メリィたち一般人にとっては脅威に変わりないのだ。
「メリィ、ロックスピルもいなくなったことだし、ヒージャたちの身体を洗ってやって来てくれ」
「うん、分かった! おねーちゃんたち、本当にありがとね」
エメンタールの言葉にメリィは素直に頷くと、イール達に手を振って小屋から去った。
明るい太陽のような少女がいなくなり、つかの間の静寂がテーブルの上に広がる。
それを破ったのは、ララだった。
「ねえ、エメンタール。メリィにはジョージたちのことは言ってないの?」
エメンタールはメリィの去った方向をちらりと見て、そっと頷いた。
たしかに彼は、メリィがこの場にいる時にはジョージたちジャイアントロックスピルの存在など無いかのように振る舞っていた。
「まだ、彼女は知らない。いくら僕と彼らが友人関係にあって、彼らが彼女の好きなヒージャたちの安全を守っているといっても、所詮彼らは魔獣なんだ」
悲しそうに目を伏せて、エメンタールはきゅっと口を結んだ。
広いこの世界全体の共通認識として、魔獣とは人とはわかり合えない明確な敵なのだった。
メリィはその中から例外を見つけるほど成熟しておらず、それを受け止めるほど大人ではない。
「でも時が来たら――メリィが大人になって、自分の価値観を見つけることができた日には、僕は彼女に本当のことを教えるよ。彼女は老いた僕よりも長く生きる。僕が古老たちから授かったこの知識を、僕一代で途絶させることはできない。何も知らない無垢な少女が、一人の女性になったときには、必ず」
エメンタールの言葉には、確固たる意思が込められていた。
彼もそれほど年老いたという表現が似合う年齢ではないが、それでもメリィほどの娘を持つのは少し奇妙に映る。
無論まだまだ彼に死期を悟らせるような段階は訪れてはいないが、それでもやがて人は死ぬ。
「ロックスピルはね、精霊と近い存在だって言っただろう?」
「そんなことも言ってたわね」
「だから、寿命も無限まではいかないにしても、かなり長いんじゃないかと僕は考えてるんだ。それこそ、エルフやドワーフよりもはるかにね」
「えっと、エルフ達は大体何年くらい生きるの?」
自慢げに己の推論を語るエメンタールから視線をずらし、ララはひそひそとイールに尋ねる。
彼女は赤髪を指先で遊ばせて少し考え、大体五百年ほどだと答えた。
「そうだね、エルフやドワーフみたいな長命な種族は大体人間の十倍くらい生きるんだよ」
「へぇ……。すごいのね」
エメンタールの詳しい説明に、ララは素直に驚く。
彼女の星の技術を用いれば半永久的に若さを保つこともできるが、大体多くの人々は二百年もしないうちに死ぬ。
それらの多くが、安穏な世界に飽いたという理由だった。
「それでまあ、ロックスピルは多分その五百年よりももっと長い時間を生きると思う。でも僕の寿命は百年にも満たない。だから、僕の跡を継いでくれる誰かが必要なんだ」
娘を自分の事情に巻き込むのはあまり気が進まないけど、と付け加える。
しかし彼の死後にあの大きな岩の魔獣たちがどのような行動を取るか分からない以上、その手綱を握る人物が必要なのだ。
「まあ、その。そういうわけで、依頼を受けてくれてありがとう」
「こちらこそ、良い稼ぎになったよ」
ポリポリと白髪の混じった頭を掻くエメンタール。
イールは椅子から立ち上がり、彼と固く手を結んだ。
「それじゃあ、あたしたちは町に戻ってギルドで依頼達成の報告をしてくるよ」
「ああ。道には気をつけてね」
「ジョージたちに謝っておいてくれないかな?」
「分かった。彼らもきっと分かってくれるよ」
イールに先導されてララ達は立ち上がり、エメンタールに見送られながら外へ出る。
小屋の軒先から穏やかな笑みを浮かべて手を振る彼に手を振り返しながら、彼女たちは砂利道を歩き出す。
「しかし、軽い依頼をこなすだけの予定が随分と大事になったな」
道を歩きながら、イールがぽつりと漏らす。
ロミもその隣でしみじみと頷いていた。
今回でかなり魔力を消費したはずの彼女だが、疲弊していたのは少しの間だけで、小屋で休んでいる間に殆ど回復したようだった。
「メリィちゃん、ちゃんと受け入れられるんでしょうか」
来るべき日が来たとエメンタールが判断すれば、メリィには重い事実が知らされることになる。
いずれ来る彼女の苦悩を案じて、ロミは心配を顔に浮かべる。
「うーん、案外すんなり行くかもね」
そんな彼女の不安を軽く一蹴したのは、ハルバードを待機形態に戻して腰に差すララだった。
「え、ララさんは心配じゃないんですか?」
「まあねー。だって、ほら」
そう言って、ララは牧場の方を振り返って指を真っ直ぐ指し示す。
ロミとイールがそれを追って視線を投げる。
「あっ――」
二人の声が重なる。
荒涼とした牧場を囲む簡素な木の柵の外にメリィは立っていた。
側には忠臣のように控える、一匹の幼いヒージャの姿も見える。
彼女は自分の背丈よりも大きな岩をそっと撫でて、穏やかな慈しみを帯びた笑みを浮かべていた。




