第七十三話「奇遇ね、私もそんな気がするわ」
銀糸に捕らわれたロックスピルは、その束縛から逃れようと四肢を動かす。
一本一本が丸太を束ねたような太さを誇る腕が動くと、それだけで並の人間など近づくことすらできない。
「ちょこまかと面倒ね!」
そんな腕の間を巧みに駆け抜けるのは、並の人間から軽くかけ離れたララである。
銀髪を揺らし、その身一つで腕をくぐり抜ける姿は、まるで一筋の流星のようにも見える。
「到着! さあおしまいよ……『空震衝撃』!」
ドン! と硬い物を殴打する鈍い音が響く。
一瞬でロックスピルは動きを止め、ゆっくりと倒れる。
「たーおれーるぞー」
巨木を切り倒す木こりのような声を上げ、ララは巨大な魔獣の肩から飛び降りる。
崩落に巻き込まれないように避難していたイールたちの所にたどり着くのと同時に、大きな地響きを上げてロックスピルは倒れた。
「じゃ、イール先生お願いします」
「先生ってなんだよ……。っと、これでしまいだ」
とどめにイールがロックスピルの首元に剣を刺し、その命を完全に絶ちきる。
ロックスピルの目から光が失われ、物言わぬ骸と成り果てる。
「しかし、こいつらの甲殻は異常に硬いな」
刀身が歪んでいないか確認しながら、イールは戦々恐々と言った。
研いで貰ったばかりの剣も、扱いを間違えるとすぐに欠けてしまいそうなほどこの巨大なロックスピルの甲殻は強固だった。
「単純に大きいと甲殻も分厚くなるのでは?」
ツンツンと杖の先でロックスピルの甲殻をつつきながら、ロミが分析する。
しかしイールはその言葉に、懐疑的な表情である。
「なんというか、材質自体が違うような感じがするんだよ」
「材質ですか……」
「おーい、二人とも。まだあと三匹残ってるって知ってる?」
その場で考え込んでしまいそうな二人に向かって、目を三角にしたララが声を掛ける。
二人ははっとして、ばつの悪そうに頬を掻いた。
「分析は後にしてね。さて、どっちから倒しましょうか」
「普通に考えたら北の一体を道すがら倒して西に行けばいいんじゃないか?」
「そうですね。それがいいと思います」
イールの一声、すぐに計画は定まる。
三人は武器を整えると早速柵に沿って移動を開始した。
「ララ、まだエネルギーはあるのか?」
「まだ大丈夫よ。できるだけセーブしてるから」
併走しながら気に掛けるイールに、ララは頷いて答える。
今回の狩りは、エネルギーを考えたナノマシン運用の練習でもある。
常に残存を意識して、できる限り余分な浪費を避ける。
そう意識するだけで、格段に消費ペースが遅くなるのを実感していた。
「あ、あれ? ちょっと様子がおかしいです」
ロミが困惑した声を上げる。
二人が彼女に目を向けると、信じられない様子でロミは前方を指さす。
「あそこ、ロックスピルが集結してます」
「わ、ほんとだ……」
「でかいからここからでも見えるな。二匹集まってやがる」
そこには、拘束から逃れた二匹のロックスピルが一カ所に集まる光景が見られた。
二匹は密着し、互いの身体をこすり合わせているように見える。
「うーん? あれは何をやってるんだ」
怪訝な顔でイールが言う。
その不可解な行動の理由を説明することは、誰にもできなかった。
「分からないけど、もう一匹が見当たらないわ」
「そういえば、何処にも見えませんね」
三人は一瞬顔を見合わせ、速度を上げる。
すぐにでも到着し、殴ってでも阻止しなければならないと直感が告げていた。
「もうちょっと!」
柵に沿って走り、カーブを曲がる。
二匹のロックスピルを正面に捉える。
各々の武器を構える。
「先に行くわね。――『空震衝撃』!」
ララは一歩先に出ると、地面に向けて空気の衝撃を放つ。
その勢いを使い、彼女は空を飛ぶ。
足を下に向け真っ直ぐに伸びた姿勢を保ち、彼女は放物線を描く。
驚異的な速度で距離を一瞬にして詰めた彼女は、そのまま狙いを定める。
「せーーのっ!」
声を上げ、戦斧を振り下ろす。
甲高い音と共に、火花が散る。
「ッ――!? これ絶対岩の甲殻の硬さじゃないわよ!」
ジンジンとしびれる両手を必死に握りしめ、彼女は緊急離脱する。
肩に受けた衝撃で、ロックスピルは彼女のことを認識した。
ゆっくりと振り向き、小さな顔の黒い目が捉える。
「『神聖なる光の女神アルメリダの名の下、腕の使徒イワに希う。求める者に虚偽の安寧を、黒き贄に永久の拘束を』!」
ロックスピルの足下に魔方陣が展開する。
無数に伸びる腕がすがるように絡みつき、動きを阻害する。
ロミの拘束魔法が効力を持つうちに、ララは距離を取って体勢を立て直す。
「ありがとうロミ!」
「いえ。それよりもさっきまでのヤツらとは段違いに力が強いです!」
ロミは苦しそうな表情で言う。
直後に、バリバリと悲痛な音と共に腕が引きちぎられ、魔方陣が融解する。
「くっ、結構魔力は込めたはずなんですが……」
不甲斐ないとロミは肩を落とす。
「なんだか様子がおかしいわね、あの二匹」
「あたしたちのこと、あんまり意識してないみたいだな」
油断なく視線を送りつつ、冷静に状況を分析する。
ララを一瞥したロックスピルは、しかしその後反撃に出るわけでもなくすぐに視線をもう一方のロックスピルに戻した。
そうしてまたゴリゴリと身体をこすりつけ合っている。
「何がしたいんだ、あいつらは」
「分からない。けど、何故か甲殻の硬さがさっきまでとは比べものにならなかったわ」
妙だな、とイールは考え込む。
巨大ロックスピルは通常よりも多少硬かったとは言え、イールの剣でも十分切り傷を付けることはできた。
ララのハルバードなら難なく切れるだろう。
明らかに、硬度が上がっているようだった。
「なっ!?」
ロミが驚愕の声を上げる。
鳶色の瞳が震える。
「二人とも、あれを」
彼女が指さす先。
そこでは、一匹のロックスピルがもう一方の首元に歯を突き立てていた。
「なんだあれは!?」
「同族を捕食してるの?」
イールとララも驚き、呆然とする。
その間にも、ロックスピルはバリバリと仲間の身体を咀嚼していた。
捕食されている方のロックスピルに、抵抗の意思はない。
ただ従順にその身を捧げていた。
「ねぇ、消えたロックスピルって……」
「まさか、食べたのか?」
動揺が三人の間に広がる。
そのような生態を、聞いたことなどなかった。
「ちょっとこれはマズいんじゃないか?」
「奇遇ね、私もそんな気がするわ」
ララの額に一筋の汗が流れる。
彼女たちの目の前で、一匹のロックスピルが力なく地に墜ちた。
「ゴァアアアアアアアッ!!」
仲間を捕食したロックスピルは、満足げに咆哮を上げる。
今までのものよりもずっと大きく大気を、大地を揺らす咆哮だ。
ゆっくりとそれは身を反転させる。
黒い目が三人を見下ろす。
「ロミ、拘束魔法の準備を」
「はい」
「ララは主力になる。あたしが気を引いてる間になんとか首までいけ」
「りょーかい」
イールが淀みなく指示を下し、二人はそれに従う。
イールは琥珀色の瞳でその山のような巨体を睨み付ける。
「こんなデカブツは久しぶりだな」
口元に笑みを讃えながら、イールは腰を低くする。
その間にロックスピルの体中に大きな亀裂が走り、瞬時に修復される。
バキバキと砕ける音が響き、古い甲殻が剥落する。
ロックスピルは三人の目の前で、膨張するように大きくなっていった。
感情を映さない黒い瞳が、ギラリと光った。
 




