第七十話「のんきだな、まったく」
ララたちは小屋の前で分かれ、それぞれの場所へ散開する。
イールは剣を、ロミは杖を、そしてララはハルバードを装備し、ロックスピルの姿を探す。
荒涼とした斜面には大小様々な岩が至る所に転がっているため、ララは慎重にナノマシンを起動する。
「『環境探査』」
光環が白い輝きを放ちながら拡散する。
岩と土の間を走り抜け、そられを調べ上げる。
「お、結構いるわね」
そうして彼女に反ってきた周囲の情報によると、ロックスピルは彼女の予想よりも多く存在しているようだった。
いかに上手く周囲の岩に擬態したロックスピルであろうと、生きている限りララの捕捉からは逃げられない。
「それじゃープチプチ潰していきましょうか」
ララは白銀のハルバードを構えると、早速手近な目標を見定めて歩き出した。
*
ロミは牧場の西にやってくると、早速杖を構えた。
銀の石突きを地面に立てて、視線の高さに杖の先端を合わせる。
「『神聖なる光の女神アルメリダの名の下、瞳の使徒イェジに希う。遍く邪気を見渡す第三の眼を開け』」
神秘の力の籠もった言葉を紡ぐと、彼女の柔らかい金髪が揺れて鳶色の瞳に青い光が宿る。
群青に染まった視界では、邪悪な力――魔物の存在を感知することができる。
ただの岩には何も反応を示さないが、魔物の擬態した岩を見れば、それがうっすらと赤黒い炎を纏っているのが一目で分かる。
「む、いますね」
彼女はぐるりと四方を見渡して言う。
ヒージャたちがのんきに草を食む牧場の内部には、幸いまだロックスピルらしき反応はない。
しかし一度柵の外へ目を向ければ、ポツポツとそれらしき炎が見て取れる。
「これもお仕事です。アルメリダの愛があらんことを」
カン、と杖を打ち鳴らす。
ロミは第三の目を維持したまま、更に言葉を紡いだ。
「『神聖なる光の女神アルメリダの名の下、爪の使徒トゼに希う。揺るぎなき正義の心を具現し不壊の矢を放て』」
杖を軸として大小様々な光の魔方陣が展開される。
ロミは杖を持ち上げ、先端を近くのロックスピルへ向ける。
複雑な記号のようにも見える魔方陣に描かれた文字の羅列は、その魔法を制御するために杖が補助するものだ。
魔方陣の回転と共に、杖は発光する。
白い杖を薄い膜のように、青い光が包む。
それは魔方陣の回転と共に強く、眩しくなる。
充分に発光し、魔力を蓄えたと判断すると、ロミは最後の言葉を放つ。
「『解放』」
言葉が彼女の喉を震わせ、腕を伝い、白杖に繋がる。
杖は共鳴し、内に蓄えた力を解放する。
それは光る一条の矢となって、先端から放出される。
一瞬で目標へと到達した矢は、ロックスピルの固い甲殻に突き刺さる。
それでも、矢は勢いをそがれること無く、深く貫く。
強固な殻を抉り、うねり、更に奥の柔らかい肉を断つ。
「ふぅ、まずは一匹目ですね」
魔法の矢がロックスピルを貫き、それから赤黒い炎が消えたことを確認すると、ロミはほっと息をつく。
ひとまず彼女の魔法はロックスピルに有効だった。
とはいえ、これは奇襲が成功しただけだ。
ロミが視線を周囲に向けると、ガタガタと揺れる岩がいくつも見える。
「――ここからが本番ですね」
油断なく杖を構え、ロミは腰を低く落とす。
同胞の命を絶った金髪の神官を、ロックスピルたちは脅威と判断した。
彼らはロミを標的と捉え、猛然と突進する。
「くっ、『神聖なる光の女神アルメリダの名の下、腕の使徒イワに希う。求める者に虚偽の安寧を、黒き贄に永久の拘束を』」
転がるロックスピルの前方に魔方陣が展開する。
その上をゴロゴロと転がる巨石の魔獣が通過しようとすると、一瞬でそれは動きを硬直させる。
半透明の細い腕が何本も、魔方陣からあふれ出るようにして伸び、ロックスピルの動きを拘束していた。
「流石に拘束魔法の同時展開は大変ですね」
額に汗を流し、ロミはぐるりと首を回す。
彼女を起点とした円上に、魔方陣は三つ展開されている。
それらは今もがっしりとロックスピルを捉えて離さないが、その腕が力を込めるたびにロミの魔力は消耗していく。
「手早くやってしまいましょう。『神聖なる光の女神アルメリダの名の下、爪の使徒トゼに希う。罪深き者どもに女神の愛を、溢れんばかりの無限の慈愛を。永久の安念を願う優しき刃の抱擁を』」
ロミは杖を地面に立てる。
多重に陣を展開させながら、彼女はガンと杖を打ち付ける。
すると、ロックスピルを捉えていた拘束魔法の魔方陣と重なるようにして一回り大きな陣が現れる。
それらは一度強い閃光を放ち、八本の鋭い両刃の剣を生やす。
彼女がもう一度杖を突く。
ロックスピルを取り囲んだ八つの刃は、彼らを拘束する腕ごと固い甲殻を切りつける。
硬質な音が響き、甲殻と刃が拮抗する。
「む、流石に固いですね」
ロミは少し驚きの表情を浮かべ、更に杖を突く。
剣は輝きを増し、力を強める。
拮抗し、擦れ合っていた両者の均衡は破れ、天秤は刃へと傾く。
ヒビの走る音と共に、ロックスピルの甲殻に亀裂が入る。
そうして、八本の刃に全方位から切りつけられ、三匹のロックスピルはグシャリと潰れた。
「ふぅ、こんなものですか」
割れたロックスピルの残骸から赤黒い炎が見えないことを確認し、ロミは杖を抱き寄せる。
周囲に他のロックスピルの姿は見えず、ひとまずは索敵に出なければならないだろう。
ロミは効力の切れ始めた第三の目を更新し、荒野の中を歩き出した。
*
「さてと、それじゃあとっとと片付けるか」
剣の柄に手を添えて、イールは油断なく周囲を警戒する。
ナノマシンを持つララや魔法によって感知できるロミと違い、彼女には一目でロックスピルとただの岩を見分ける術は持たない。
しかし、彼女には長年傭兵に身を置いて鍛えた超人的な観察眼がある。
膨大な経験と野生の勘による神業とも言えるその能力を使い、彼女は敵を探す。
「このあたりはある程度草も生えてるんだな」
イールの受け持った牧場の東は、他の二人の向かった場所とは違って背の低い雑草が斜面を覆っていた。
それは柵を越えて牧場の内部にも広がり、ヒージャたちの食卓になっているようだった。
柔らかい草に囲まれ、昼下がりの陽気な日差しを浴びて、ヒージャはその巨体を横にしている。
戯れに草の先を食みながら、ヒージャはのんびりと頭を揺らしていた。
「のんきだな、まったく」
野生を捨てきり、一切の危機感を見せない巨大な山羊の魔獣に、イールは苦笑する。
彼女がこれからすることは、彼らを害する存在の排除だ。
少しくらい応援してくれてもいいんだぞ、と彼女は心の中で言葉を送る。
当然、そんなものがヒージャに通じるはずもないのだが。
「っと、早速一匹目だな」
索敵しつつ歩いていたイールは、やがて一匹のロックスピルを見つける。
一見すればただの岩と区別の付かないその魔物も、イールが注意深く観察すればその正体を看破できる。
いくら岩と似ているといっても、魔物である以上生物であり、動物なのだ。
上手く収納し隠した太く短い腕が見える。
たまの微かな身じろぎも、イールの鋭い目は逃さない。
形状、動き、そして気配。
様々な視点から分析し、イールはその正体を看破する。
「さあ、やるか」
イールは剣を引き抜く。
アルノーの研いで貰ったばかりの、光り輝く剣だ。
これから切りつけるのは固い甲殻を持つロックスピルだが、その美しい刃を欠けさせることのない自信と技術を、イールは持っている。
「ふっ――!」
短く息を吐き出し、イールは疾駆する。
長い足を存分に活かし、彼女は一瞬で間合いを詰める。
赤髪の尾を引いて現れた傭兵の存在に、ロックスピルは反応できない。
「はぁっ!」
いくら甲殻が固かろうが、ロックスピルが生物であり動物である以上、動かなければならない。
甲殻と腹の間、彼らにとっては急所とも言える箇所を捉え、イールは一閃する。
言語化されない魔獣の絶叫が響く。
堅牢な甲殻に依存した彼らの腹は驚くほどに柔らかい。
イールの鋭い剣先がつつと撫でるだけで、黒い血が飛沫を上げる。
「ははっ! もっと深く!」
三日月のように口に弧を描き、イールは剣を深く差し込む。
柔らかな体内を冷たい銀が掻き乱す。
「ぉぉぉらっ!」
高く突き上げた剣を勢いよく振り下ろす。
遠心力に従ってロックスピルは剣から抜ける。
それは彼女の異形の腕の力も合わさり、猛烈な衝撃を伴って草地に激突する。
起き上がることもできず、ぐったりと弛緩するロックスピルの喉笛を、イールはサクリと剣で刺す。
断末魔をあげることも無く、ロックスピルは絶命した。
「うん。順調順調」
剣を濡らす血を飛ばし、イールは次の獲物を求めて周囲を見渡した。




