第五十七話「なんというか、遠距離恋愛って大変ね」
エメンタールはロビーにあるテーブルの一つに案内され、そこに座る。
それと対面するようにララたちも席に着くと、彼はそわそわと落ち着かないようにあたりを見回した。
「私たちはいない方がいいかも知れないわね」
「……」
リルは気を利かせると、デルも無言で頷く。
クッカも機敏に空気を感じ取ったのか、裏庭で夕飯に使う芋の皮を向いてくると言って走って行った。
「それじゃあ私たちは厨房にいるから。何かあったら呼んで頂戴ね」
「ええ。ありがとう」
「すみません。なんだか、気を遣わせてしまって」
エメンタールがへこへこと頭を下げると、リルは気にしなくていいよ、と軽く手を振った。
そうして二人も店の奥に姿を消し、その場にはエメンタールとララとイールとロミだけが残った。
しかしエメンタールは中々話を切り出せないのか、しきりに膝をこすっている。
「そうだ。よかったらこれ食べてちょうだい。あなたから貰った卵で作った温泉卵よ」
見かねたララが固い雰囲気をほぐす為に温泉卵を一つエメンタールに手渡す。
彼は一瞬目を丸くしていたが、すぐに今朝の卵だと気が付いたようだった。
「おお、これが言っていた……。見た目はゆで卵みたいだね」
「割って中を見てみれば分かるわ。あ、そっとよ」
イールの言葉に従い、エメンタールはそっと卵をテーブルに打ち付ける。
綺麗にひびの入った殻は、横一線に走る亀裂を挟んで二つに割れた。
その中に現れるとろりとした白身に、エメンタールは思わず声を上げた。
「火が十分に通っていない……、訳ではなさそうだね。不思議な卵だ」
「岩塩をちょっとかけて食べるとおいしいわよ」
そう言って、ララは岩塩の袋からひとつまみを振りかける。
彼女の両隣に座るイールとロミは、エメンタールの予想通りの反応が面白いのか、かすかに肩を震わせている。
岩塩を振りかけられいっそう煌めきを纏う温泉卵を指の先で持ち、エメンタールは黒い瞳を見開いた。
「た、食べても良いのかい?」
「もちろんよ」
ララが頷くや否や、彼は卵を口に運ぶ。
半分ほどを食べてしきりに頷く。
「おいしい……。面白い料理だね」
「ありがとう。これからは翡翠屋で食べられるようになると思うわ」
「そうなのかい。それは通ってしまうかも知れないな」
ララの言葉を受けて、エメンタールは丸い身体を震わせて喜ぶ。
まるで卵が震えてるみたいだ、などという邪な考えをララはそっと胸の奥に閉まった。
エメンタールは二口で全て食べ終え、名残惜しそうに殻を見ている。
随分と気に入ってくれたようだと、ララは満足げに息を吐いた。
「それで、わざわざ訪ねてきた用事はなんなんだ?」
そろそろ頃合いだろうと、イールが本題に切り込む。
途端にエメンタールは先ほどまでのにこやかな顔を消して、またそわそわとし始める。
彼はちらりとイールを見て怖い笑顔の彼女に怯えた後、岩から滲みる水のように話し始めた。
「受け取った直後は中々踏ん切りが付かなかったんだが、ついさっき手紙を読んだんだ」
そう言って、彼はオーバーオールのポケットから白い便箋を出す。
読んだときに動揺していたのだろう、端には指で強く押さえた皺が付いていた。
「その内容って、私たちも聞いて良いのかしら」
「ああ。……少し恥ずかしいが、そのために来たんだ」
エメンタールは頷き、話を続ける。
「コンテは……、彼女は賢い女性だ。これほど離れているというのに、彼女はまるで見ていたかのように僕の様子を殆ど当てていた。ただ、一点を除いて」
「その一点が問題なのね」
「ああ……。彼女は僕が牧場を開いていて帰るに帰れないことは分かっているようだ。そして家族がいることも。だけど、一つ違うのは僕がここで新しい妻を迎えたわけじゃないっていうことだ」
コンテがそこまで考えるのも当然だとララは思った。
三年経っても中々帰ってこない夫を縛り付けるのは、仕事か家族、あるいはその両方しかない。
「それで、どうにかしてコンテさんの誤解を解きたい訳ね」
その言葉に、エメンタールは短い髭を揺らして頷く。
「メリィからは一年前に孤児院から引き取ったって聞いたけど、どういう経緯なんだ?」
話を聞いていたイールが首をかしげて言う。
他の土地からやって来たエメンタールは、いわば部外者だ。
しかも役目を終えれば故郷に帰らなければならない男に、何故孤児院は幼い少女を預けたのだろうか。
その質問を彼も予想していたようで、特に悩むことも無く返す。
「メリィは、つまるところ楔なんだよ。僕を、ヒージャの飼育ができる人間をここに繋ぐための」
「……少し予想はしてましたが」
ロミが苦々しげに言う。
彼女も孤児院出身というだけに、少し思うところがあるのだろう。
「メリィは何も知らない。ただ、ある日突然孤児院の偉い人に引き取り手が見つかったから行きなさいと言われて、翌日の朝僕の小屋のドアを叩いただけだ。……彼女は知る必要もない」
エメンタールは実の娘のようにメリィを想っていた。
だからこそ楔はより太く強固に彼をこの地に繋ぐのだ。
この町でそのような事が行われた事実に、三人は一様に驚いていた。
「孤児院の名前は分かりますか?」
「ヘイルバッハ孤児院という所だ」
「……キア・クルミナ教の孤児院ではありませんね。おそらくは裕福な商人がやっているのでしょう」
ロミの分析は当たっているようで、エメンタールは小さく頷いた。
「それで、私たちは何をすればいいのかしら」
「すぐにでもコンテと連絡が取りたい。……もしよければ、また手紙を預かってくれないか?」
おおよそ予想していた通りの台詞だった。
だからこそイールは、間を置かずに首を振った。
「すまないが、あたしたちは当分あの村には行かない予定なんだ」
「ごめんなさいね」
「そ、そんな……。なんで……」
申し訳なさそうに眉を下げる三人に、エメンタールは狼狽える。
三人を順に見て、嘘ではないと感じ取ったのだろう、彼はぐったりと背もたれに身体を預けた。
ララたちはハギルに着く前に今後のおおまかな道筋を立てていた。
それはハギルの後は山脈を伝って移動し、リディア森林を抜けて新天地を目指すというものだ。
そのため、彼女たちはもう当分、テトルのいる村には戻らない。
「でも、ある程度手助けはできると思う」
すっかり意気消沈してしまったエメンタールに向かって、イールが口を開く。
その言葉にぴくりと耳を震わせて、彼はゆっくりと頭を上げる。
縋るような目で、彼はイールを見た。
「あたしたちは、ヤルダにいる仲間と連絡が取れる。それを使えば、あんたも奥さんと直に話し合えるさ」
「そんなことが……」
エメンタールは信じられない、と眉間に皺を寄せる。
イールが言っているのは、彼女の妹であるテトルが開発した遠話のペンダントだった。
まだ広く一般には普及していない、ただ六つだけしか存在しない魔導具である。
それを通せば、たとえどれだけ離れた土地にいようとも、文字では無く直接言葉を交わすことができる。
「ただ、ヤルダから村まで移動する時間は欲しい。ここから手紙を送るよりは早いだろう?」
ヤルダからテトルの村までは徒歩で半日という距離だ。
ハギルから手紙を送るよりも遙かに早い。
「今日の夜にでも仲間に連絡して取り合ってみる。……だから、今は何を話すかちゃんと考えておけ」
「ああ……。ありがとう」
頼もしい笑みを浮かべたイールに、エメンタールは口を震わせる。
そして蹲るように頭を下げて、三人に礼を言った。
「私たちはただあなたとコンテさんをつなげるだけよ。どうやって誤解を解くかは、あなた次第」
「大丈夫。それはよく分かってる。……一晩しっかり考えるよ」
エメンタールはしっかりと頷き、立ち上がる。
「ありがとう。三人に相談できてよかった」
「どういたしまして。それじゃ、詳しいことはまた明日連絡する」
エメンタールはもう一度頭を下げて、翡翠屋を出る。
それを見送り、三人は顔を見合わせた。
「なんというか、遠距離恋愛って大変ね」
「遠距離恋愛といっていいのか分かりませんが……。まあ言葉が交わせないだけで人はすれ違いますから」
「このペンダントが普及すれば、それもなくなるのかね」
「あー、どうだろ……」
首から提げたペンダントを見て言うイールの言葉に、ララは微妙な表情になった。