第五十四話「他に何か頼むか?」
「――それで何を見せようか困っている、ということですか」
「すまない! 一緒に考えてくれないか」
待ち合わせ場所の公園で、イールはロミに向かって両手を合わせ頭を下げる。
ロミは事の顛末を聞くと困ったように眉を寄せた。
「イールさんって、実はちょっと状況に流されるというか考えなしに行動することありますよね」
「うぐっ……」
ロミの鋭い指摘に、イールは言い返すこともできない。
ただ小さく肩を縮めて濡れた子犬のようにロミを見ていた。
身長で言えばイールの方がロミよりも高いが、今はどちらかというとロミの方が大人びて見える。
「とりあえず、何か食べに行きませんか?」
お腹が空きました、と神官服の上から下腹部を撫でながらロミが提案する。
気が付けば周囲の人通りも増え、あちらこちらから食欲をそそる匂いが漂ってくる。
イールの相談事はテーブルについてから受けようとロミは考えた。
「イールさんはどこか行きたいお店とかありますか?」
「いや、特にない」
「それなら、わたしちょっと行ってみたいところがあるんです」
「そっか。ならそこに行こう」
ロミはぱっと顔を輝かせ、小さく両手を叩く。
その店は、彼女が神殿に赴いた際ハギルの神官から教えて貰ったのだという。
いつもはイールやララたちの一歩後ろを歩く控えめなロミが、今回はイールの手を引っ張って歩き出した。
「ロミは所作も言動も、あたしたちの中じゃ一番お淑やかだな」
ロミに手を引かれて往来の中を歩きながら、ふとイールがこぼす。
「ふえっ!? そ、そうでしょうか……」
「とりあえず誰に対しても敬語だし、いつも落ち着いてるだろ?」
ロミはその指摘に、顔を少し赤らめながら言葉を返す。
「敬語なのは、生まれたときから神官として教育されてたからですね。今では砕けた口調の方が違和感を感じてしまって」
「神官はみんな敬語なのか?」
「基本的には。キア・クルミナ教の神官はよっぽど地位が上がらない限り敬語は必須ですから」
「レイラくらいになればあんな口調でもいいんだな」
「……あの方は例外と思って頂いていいかと」
擬態するのは誰よりも上手いんですよ、とロミはしみじみという。
市井にお忍びで出かけるときは男勝りな口調に、イールたちと話すときは丁寧な口調に。
更に自分より地位的に上の人物との会談であったり、公の場での発言であったりすれば、まるで蝶よ花よと育てられた貴族の令嬢のように気品溢れる淑女に早変わりするのだ。
いつも淑女然としていて欲しいと思うロミの弟子心は、師匠には一切伝わっていないようだ。
「まあ、特に問題を起こしているわけではないのですけど」
それでも少し思うところはあるようで、ロミは渋い表情を浮かべる。
この様子ではさっきの報告でも何かあったのだろうとイールは察した。
「あ、ここですよ。ピザがおいしいらしいんですよ」
「ほう。確かに結構な盛況だな」
ロミが足を止めたのは、石造りの多いハギルの町では珍しい木の柱や梁の目立つ店だった。
こんがりと焼ける芳ばしい匂いが漂い、それに釣られるようにして多くの人が扉に吸い込まれている。
出てくる客も満足げに笑みを浮かべており、知らず胸が躍る。
「とりあえず入りましょうか」
「ああ、そうしよう」
うずうずとしていたロミにせかされ、二人は店の中に足を踏み入れる。
広く天井の高い店内には大きなテーブルがいくつも並び、そのどれもが人で埋まっていた。
「うわぁ、すごい……」
騒々しいほどの盛況ぶりに、ロミが目を輝かせる。
カウンターで昼間から杯を呷るドワーフや、窓際で優雅に昼餉を楽しむ老婦人、子供を見ながら談笑にふける主婦の集まりもある。
そして、それらの間を俊敏に歩き回るのは、制服を揃えた獣人族の店員たちである。
店員の一人がドアの側に立つ二人に気が付き、にこやかにやってくる。
「いらっしゃいませ。二名様でしょうか?」
ロミが頷くと、ウェイトレスの少女はピコピコと耳を動かしてすぐに二人を案内した。
揺れる尻尾を追って二人がたどり着いたのは、壁際に並んだ二人がけのテーブルの一つだ。
「メニューが決まったら、近くにいる店員を呼んでくださいね」
「はい。ありがとうございます」
ロミはぺこりと頭を下げて去って行く少女の背中を目で追う。
テーブルに備えられたメニューを取りながら、イールは小首をかしげる。
「ロミって獣人が好きなのか?」
「はい! わたしの出身の孤児院にも何人か獣人の子がいるんですけど、とっても可愛いんですよ」
にへら、と笑みを浮かべてロミは言う。
その様子はまるでどこかの銀髪の少女とそっくりだ、とイールは微笑ましく思う。
「耳はとっても柔らかくて、尻尾も……。あ、でも敏感な所なので中々触らせて貰えないんですが」
うっとりと頬に手を当てて、ロミは獣人の魅力を語る。
その獣人愛は相当な物らしく、彼女はレイラにもっと獣人の神官を増やすように進言したこともあるようだった。
「まあ、その提案は無かったことにされましたけど」
「そりゃあそうだろうな。完全に個人の趣味だ」
理解はしているようだが、それでもロミは諦めきれない様子だ。
キア・クルミナ教の神官はなろうと思えばどの種族でもなることができるが、自由な気質のある獣人にその厳格な組織構造は合わないのか、あまり多くはいないようだった。
「ま、それはそれとして何を食べる?」
話を切り替え、イールがメニューを開きながら言う。
ロミの言葉通りピザが主力らしく、その種類も豊富だ。
スタンダードな物から、他では見たことのないユニークな物まで、多く取りそろえている。
「この、『厚切りベーコンと彩り野菜のチーズピザ』というのがおいしいらしいです」
「なんか名前だけでも山盛りだな」
ロミが指さしたのは、名前の通りベーコンと野菜がたっぷりと載ったピザの絵だ。
価格も目が飛び出るほど高い物でない。
「じゃあ、ピザはこれにしよう。他に何か頼むか?」
ペラペラとページをめくりながら、イールが言う。
彼女はサイドメニューの並ぶページで不意に手を止めた。
「ロミ、この『石炭焼き』っていうのはなんなんだ?」
「『石炭焼き』ですか。……うーん、すみません心当たりがないです」
イールが見つけたのは、黒々とした石炭が籠に積まれた絵と共に並ぶ品名だった。
面白げなその名前に興味を惹かれ、結局それも合わせてオーダーすることにした。
ロミが手を振って店員を呼び、ピザと『石炭焼き』、そして二人分の水をオーダーする。
「それで、明日そのドワーフのじいさんに持っていく物のことなんだが……」
店員が立ち去ったところで、イールがおもむろに切り出す。
ロミもそれを待ち構えていたようで、小さく頷く。
「イールさんの見立てだと、すごく腕の立つ職人さんなんですよね」
「ああ。あんなに綺麗な剣を見たことがない。……管理状態は最悪だが」
しみじみと言った後、イールはボロボロの鞘を思い出して眉を寄せる。
あれほどの腕があれば、大通りにでも店を構えられるだろうとイールは思っていた。
「よくある儲けよりも自分の技術を追い求める根っからの職人肌なんでしょうね」
「だろうな。値付けはかなり適当だったよ」
ロミはイールの説明から老人の人物像を予想する。
イールもその分析に同意して、深くため息をついた。
「もったいないと思うし、剣がかわいそうだ。使われてこその道具なんだよ」
彼女はどうもあの雨ざらしにされていた剣が不憫なようだった。
口をとがらせて言う彼女の様子に、ロミは幼い孤児院の兄弟たちを重ねた。
「お待たせしました。『厚切りベーコンと彩り野菜のチーズピザ』と、『石炭焼き』です」
そのとき、両手に皿を持ったウェイトレスがテーブルにやってくる。
並べられるのは、ジュワジュワと音を立てる焼きたてのピザと、湯気の立つ真っ黒な拳ほどの物体だった。
「あの、この『石炭焼き』ってどういう料理なんですか?」
その見慣れない、メニューのイラスト通りの姿に驚きながら、ロミが尋ねる。
店員もその質問には慣れているのか、つらつらと説明する。
「ハギルの麓で作られているアボ芋という小芋を焼いた物です。皮が厚くて焦げやすいのでこんなに真っ黒ですが、中はほくほくでおいしいですよ」
「ふむふむ。ありがとうございます」
「いえ。ごゆっくりお楽しみください」
そう言って店員は一礼するとさっと奥へ戻る。
二人はテーブルに並んだ料理を見て、目を輝かせた。
「それじゃ、早速食べるか」
濡れたおしぼりで手を拭いて、イールがピザカッターを持つ。
ピザは薄い生地にたっぷりのとろけるチーズ、更に分厚いベーコンと鮮やかな野菜が載っている。
ロミが聞いた一押しというのも納得のピザだ。
その横には、籠に入った大きなアボ芋が並ぶ。
籠の載った皿にはバターとナイフも添えられている。
二人は急にお腹が動き出すのを感じた。
ちらりと顔を上げて視線を交わす。
「いただきます!」