第五十一話「ほんとに親子みたいねぇ」
「そうか……コンテから……」
焦燥した様子のエメンタールは、絞り出すようにようやくそれだけの言葉を漏らした。
落ち着き無く視線を動かし、忙しなく両手の指を組む。
明らかに動揺しながらも、彼は逃げることも無く、小さく唸っていた。
「色々聞きたいけど、そこまでは私たちの領分じゃないからね。とりあえず、手紙を受け取ってちょうだい」
「あ、ああ。そうだな。……ありがとう」
エメンタールは手紙をおずおずと受け取り、宛先や差出人を見る。
そうして、自分の名とコンテの名が書かれていることを見つけて頷いた。
「これで私たちの仕事は終わりね。手紙はしっかり渡したわよ」
一仕事終え、ララは力を抜いてほっと息をつく。
何はともあれ、これで彼女たちがするべき事は終わったのだ。
後は野となれ山となれということで、彼女は話題を切り替えた。
「それよりエメンタールさん。一つ聞きたいことがあるんだけど」
「え? ああ、なんだい?」
手紙をぼーっと見ていたエメンタールはララの声にはっと顔を上げる。
「この牧場って、ヒージャしか育ててないの? 他の動物――具体的には鶏とかいないかしら?」
「へ? に、鶏かい? この牧場にはいないね。ここはヒージャを家畜化するための研究所という側面もあるから」
「そっか……、残念」
エメンタールの返答に、ララががっくりと肩を落とす。
ここで卵を入手できればスムーズに事が進むと思っていたのだが、そうは問屋が卸さないらしい。
そんな彼女の様子を不思議そうに見ていたエメンタールは、ふむ、と顎に手を当てて頷く。
「お嬢ちゃん、卵が欲しいのかい?」
「ええ。ちょっとした料理を作りたくて」
「数個で良ければ、うちのをあげるよ」
「いいの!?」
「手紙を持ってきてくれたお礼だよ。ちょっと待っててね」
そう言うと、エメンタールは奥の部屋へと消える。
ララは瞳を輝かせ、後ろに立っていた二人に振り向く。
「やったわよ! 卵ゲットよ!」
「どんだけ温泉卵が食べたいんだよ」
「ララさんって食欲だけには忠実というか、素直ですよね」
驚喜するララとは反して、二人は冷めた目で彼女を見る。
どこまでも食事を追求する彼女の姿勢には、ある種狂気が含まれてるな、とイールは思った。
「生きるためにも食事は必須よ。元気に楽しく、美しく! ついでに身長も高く!」
「ま、その意見には同意だけどな。わざわざひもじい食事を選ぶ道理もない」
「それもそうですね」
拳を握り力説するララの持論に、二人も一応納得はしていた。
ただ、その熱量が圧倒的なのだった。
「お待たせ。これくらいあれば足りるかな?」
そう言って、エメンタールが籠を抱えて戻ってくる。
中には十個ほどの卵が布に包まれて並んでいた。
「わぁ、こんなに沢山! ほんとにいいの?」
「ああ。是非持って行っておくれ」
「ありがとう。助かるわ」
にこやかに差し出されたそれを、ララは喜んで受け取る。
つやつやとした白い卵は、新鮮でとても大振りだ。
「しかし、どうして卵が欲しいんだい?」
エメンタールはカウンターに背を託し、ララに尋ねる。
ただの卵にこれだけ驚き喜ぶ彼女に興味が湧くのも当然だろう。
ララがこの卵の使い道を教えると、エメンタールは興味深そうに頷いた。
「温泉卵か……。普通のゆで卵とは違うんだよね?」
「ええ。低い温度でゆっくりと固まるから、白身がとろとろなの」
「それはおいしそうだ!」
「もし上手くできたからここにも持ってくるわ」
「そりゃありがたいよ!」
エメンタールは丸顔に笑みを浮かべる。
体型から察することができるように、彼もまた食欲の忠実な僕なのだろう。
妙に話の弾んでいる二人を、イールとロミは呆れたように見守っていた。
「お待たせ! 終わったぜ」
そんなことを繰り広げているうちに、クッカが大きなリュックをぱんぱんに詰めて戻ってきた。
傍らにはメリィも立って、彼のシャツの裾をつまんでいる。
「おお、メリィ。おはよう」
「おはよう、お父さん」
エメンタールはメリィの姿に気が付くと、穏やかな顔で話しかける。
その横顔は娘の事を想う父親そのものだ。
「ほんとに親子みたいねぇ」
そんな二人を遠目に見つつ、ララが言う。
隣に立っていた二人も、ゆっくりと頷き同意した。
「それじゃ、また明日なー」
「うん。ばいばい」
クッカとメリィが手を振って別れる。
エメンタールは目をかすかに伏せて、ララたちに向かって少しだけ頭を下げた。
そうして、ララたちは来た道を戻り、翡翠屋への帰路についた。
「けど、結構広い牧場だったわね」
砂利道を歩きながらララが言う。
「ヒージャも大人しそうだし、エメンタールさんって結構すごい人?」
「ま、そうなんだろうな。外部の人間なのに、これだけ現地の人から信頼されてるんだし」
「エメンタールさんはいい人だよ。ヒージャを家畜化したのもすごいけど、とっても親切なんだ」
先頭を歩くクッカが顔だけを向けて言う。
エメンタールはここへやって来て以来、地元の人々とも密に関わり、何か行事ごとがある時には積極的に参加していたという。
「ハギルの人って、結構よそ者には厳しいというか冷たいんだよ。でも、エメンタールさんはみんなすぐに住人として認めてた」
「へえ。人格者だったのね」
翡翠屋が無事に営業を開始できたのも、エメンタールの力添えが大きいようだった。
彼は安い値段で毎日ヒージャの肉を提供する事を約束したのだ。
「まだ翡翠屋は小さい宿だけど、オレの代にはもっと大きくしてハギルといえば翡翠屋って言わせるようにするんだ!」
目をキラキラと輝かせ、クッカはそんな夢を語る。
彼もまた宿屋の一人息子として、その小さな胸に夢と責任と野望を抱いているのだろう。
「そういや姉ちゃんたち、もう用事は終わったのか?」
「ええ。エメンタールに手紙も渡せたしね」
「なら、もう出発するの?」
クッカの問いに、三人は顔を見合わせる。
「いや。もう少し泊まるよ。ハギルの見物もしたいからね」
イールの言葉に、クッカはぱっと顔を明るくする。
なんとも分かりやすい子だ、と三人はその様子を微笑ましく思った。
「それに、温泉卵も試さないといけないしね」
卵の並んだ籠を見て、ララが言葉を重ねる。
「あ、わたしもハギルの神殿に少し顔を出さないといけませんね」
ロミも思い出したように言う。
彼女も武装神官として活動するため、一定の義務があるのだという。
三者三様の理由があり、一行はもう少しだけハギルに留まることとなった。
「じゃあ、決まりだな。クッカ、悪いがもうしばらく泊めて貰えるか?」
「もちろん! 何日でも泊まってっていいからな」
クッカは白い歯を覗かせて、にっと笑った。