第四十九話「ま、入ってから考えましょうか」
「牧場までは大体30分くらいだよ。宿屋よりも山の上の方にあるんだ」
岩道を軽い足取りで進みながらクッカが言う。
いつの間にか拾っていた棒きれを振って、背負った大きなリュックサックも苦にせずにすいすいと進んでいる。
「へえ、こんな急な斜面に牧場なんてできるの?」
「ヒージャは斜面が好きな動物らしいんだよ」
その言葉に、ララはひとまず頷く。
彼女の知る山羊も、どうやって登ったのかと言いたくなるような場所にのっそりと登っていたような覚えがある。
「しかし、魔獣を家畜化するなんて、突飛なことを考えるよな」
「最初はみんな驚いてたよ。反対する大人もいたぜ」
「でも、牧場があるってことは成功したんですよね?」
「うん。牧場主さんが言うには、ヒージャは他の魔物よりずっとおとなしいかららしいよ」
以前ララは、イールに教えて貰った魔獣と普通の獣の違いを思い出していた。
魔法が使えるか、使えないか。
結局は違いはその程度なのだろう。
「この辺はヒージャ以外に魔物はいないの?」
「少しはいるけど、殆ど山の上の方に住んでるからあんまり知らないよ」
「ふぅん。結構住み分けできてるってことかしら」
「上の方に住んでるドワーフはそういう魔獣を狩って食べて暮らしてるって聞くよ」
「そういえば、山の上にもドワーフは住んでるんだっけね」
ララはふと遙か上空にまでそびえる山頂に視線を向ける。
先端の霞むほどの巨山の頂上に住むドワーフとは、どれほど逞しいのだろうか。
「あ、見えてきた。あれがヒージャを飼ってるパプラ牧場だよ」
先頭を進んでいたクッカが目を見開き、棒で方向を示す。
ララがそれに従って視線を向けると、確かに遠方に建物がある。
「パプラ牧場っていうのね」
「なんだか、案外小さいというか」
「建物はあの牧場に住んでる人が生活するだけのものらしいからなー。ヒージャは外で生活してる」
「随分とタフだな」
四人は斜面を登り、牧場に近づく。
建物のすぐ裏には木の柵でぐるりと囲われた広い土地が広がっている。
「ねえ、あれがヒージャかな?」
「そうそう。でっかいだろ?」
ぼんやりと風景を見ていたララが気付く。
それは巨大な山羊だった。
ララの身長よりも背の高い、黄色い瞳の山羊。
もっさりと白い長毛で身体を包み、のんびりと草を食んでいる。
「でかいなんてもんじゃないな。普通の山羊の五倍くらいはあるだろ」
「あれ、ほんとに家畜なんですか?」
二人も唖然としてそれを見る。
彼女たちの常識の範疇にないその巨大な山羊は、牧場内の至る所で思い思いに過ごしているようだった。
「へへ。すごいだろ?」
クッカは得意げに鼻を鳴らす。
そうして、牧場へ続く道を進み始めた。
「あら、牧場の建物はドワーフ基準じゃないのね」
牧場に着き、開口一番ララはそんな言葉を放った。
たしかに、全てがドワーフ基準で一回り小さかった翡翠屋とは違って、牧場の建物は彼女たちにも使いやすいごく普通の大きさのドアや窓をしていた。
「オレは見たこと無いけど、牧場主が人間らしいよ。まあ、さっさと中に入ろうぜ」
「牧場主が人間、ね。ま、入ってから考えましょうか」
クッカが背伸びしてドアを開け、中に入る。
ランタンの灯の灯る屋内からは、牧場特有の獣の匂いが漂ってきた。
「う、予想はしてたけどやっぱりクるわね」
「なんだ? 獣の臭いは苦手か」
「まあ、あんまり好きっていう人はいない気がしますが……」
そんな言葉を交わしつつ、三人もドアをくぐる。
そこは、カウンターが備えられたロビーのようだった。
クッカはそのカウンターに付き、そこに立っていたドワーフの少女と話していた。
「よ、メリィ。きょ、今日も仕入れに来たぜ!」
「あ、クッカくん。おはよー」
メリィと呼ばれた少女は、明るい茶髪に黒い瞳、頬にそばかすを散らしたオーバーオールの似合う可愛らしいドワーフだった。
親しげに話すクッカから察するに、彼女たちは同世代なのだろう。
「しかし、クッカ……」
「楽しげに話してますねぇ」
クッカはぱっと華の咲いたように顔を明るくし、そわそわと視線を動かしながらメリィと話す。
分かりやすい彼の態度の変わりように、後方の三人は微笑ましく見守っていた。
「あれ? 後ろの三人はどなた?」
「え? あ、うちの宿屋のお客さんでさ、人捜しをしてるみたいなんだ」
「お客さん、いたんだねー」
「いくら翡翠屋が儲かってないからって多少はいるよ!? ……多少は」
案外メリィという少女は歯に衣着せぬ言い方をする少女らしかった。
ララはそんな彼女に近づいて、話しかける。
「おはよう。私はララよ」
「おはよー。わたしはメリィって言うの。お姉さんたち人を探してるの?」
「そうよ。エメンタールさんって言うんだけど」
ララの放った名前に、メリィは少し驚いたように目を見開いた。
「ああ。エメンタールは、わたしのお父さんだよ」
彼女の口からするりと飛び出した言葉は、三人を凍り付かせるのに十分な威力を持っていた。




