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第四十七話「温泉卵が食べたいわね」

 翡翠屋は、ハギルの山脈の麓にある。

 ゴツゴツとした硬い岩肌が地表に現れたなだらかな傾斜になっている土地の中に、猫の額ほどの小さな平地を見つけて建っていた。

 そんな殺風景な場所に、わざわざ翡翠屋が建てられた理由は、ひとえに温泉という貴重な観光資源があるからだった。

 固い岩盤を突き破り、ドワーフの石工によって整えられた湯船の中に貯まる乳白色の湯は、少し熱い程度のほどよい水温を維持し、一定の水量で山の下方に向かって流れていく。

 湯船は男と女、二つに分かれており、ララたちはそのうちの片方の湯に肩まで浸かって長旅の疲れを癒やしていた。


「あ゛あ゛あ゛~~~」


 以前も聞いたことのあるような、およそ年若い少女が出すべきではなさそうな声を漏らすのは、白髪の上に折りたたんだタオルを載せたララである。

 じんわりと骨身に沁みる温かな温泉は、久しく湯に浸かっていなかった彼女の硬く緊張した四肢をゆっくりと溶かしていく。


「年寄りくさい声をだすな。まったく」


 呆れたように言うのは、しっとりと湿った赤髪を湯船に浸けないように纏めたイール。

 普段とは違うすっきりと纏まったヘアスタイルのおかげか、首や肩がほっそりと見える。

 彼女は隣でくったりと湯船の縁に頭を乗せて口を開けるララを、冷めた目で見ていた。


「ここの温泉、疲労回復や筋肉痛の治癒に効果があるみたいですよ」


 イールと共にララを挟む形で湯に浸かるロミが、白い湯を両手で掬いながら言った。

 彼女もまたイールと同様に長い金髪を纏めた上に、更に濡らしたタオルで覆っていた。


「美肌効果とかはないんでしょうか?」


 彼女は若干の期待を込めた目で湯船を流れる湯を見る。

 こっちもこっちで残念な台詞だ、とイールは頭が痛そうに抱えた。


「しかし、エトナ村の時も思ったが……」


 ふとイールは温泉の水面から覗くロミの肩を見て言う。


「な、なんでしょうか」


 ロミはきゅっと身体を抱きしめて顔を赤くする。

 そんな彼女を見ながら、イールはむふんと笑みを浮かべた。


「ロミってしっかりした体つきなんだな」


 いつもは分厚い神官服によってシルエットも見えない彼女は、イールの予想よりも随分と発育が良いようだった。

 以前、エトナ村で湯船を共にしたときに、彼女は太らない体質と言っていたが、それには日頃の彼女の運動量も影響しているようだ。


「あ、あまり見ないで下さい……」

「太っているというか、適度に脂肪が付いてるって感じだな。全体的に」


 イールの言葉通り、彼女の身体には贅肉と呼ばれるような物は殆どなかった。

 曲がりなりにも武装神官として長く歩くため、不要な脂肪は付く余地がないのだ。


「でも最近、このあたりがぷにっとなってしまって」


 ロミは困ったように眉を寄せて、二の腕をつまむ。

 湯気に湿った絹のようなしっとりとした肌は、白く真珠のような輝きである。


「剣を振ってれば、そのあたりも締まると思うぞ?」

「うっ、剣は苦手で……」


 ロミは気まずそうに視線を逸らす。

 武装神官の地位を魔法の才能でもぎとった彼女は、肉弾戦はあまり得意としていなかった。

 イールは少し残念そうな顔で頷く。


「……」


 そんな二人に挟まれ、冷めた目でブクブクと泡を立てるのはララである。

 成熟した艶やかな肉体をまざまざと見せつける二人の間に沈む彼女は、なんの起伏もない平坦なシルエットだ。


「神様は不公平だわ」


 ちらりとイールの方を見て、思わず彼女はそんな言葉を漏らす。

 巨大な二つの球体が、気持ちよさそうに揺れていた。

 自分の胸元を見下ろす。

 激しく波の打ち付ける断崖が、そこにはあった。


「……チッ」


 いっそこの崖から身投げしてやろうか、等と黒い感情がふつふつとわき上がる。

 どうにもならない厳しい現実がそこには広がっていた。


「あの、ララさん?」


 不穏な空気を感じ取ったロミが、心配そうにララをのぞき込む。

 少し怯えも混じった彼女の目を見て、ララは慌てて手を振った。


「あ、あはは。大丈夫よ。ちょっと悲しい現実に打ちのめされてただけだから!」

「ええ、それって大丈夫なんですか」

「大丈夫だって。……それに私もあと数年すれば膨らむ予定なのよ」

「予定は未定じゃなければいいけどな」


 ロミの耳に届かない程度の小声で呟かれた言葉を拾い、イールがララを見下ろして言った。

 ララはぷくりと頬を膨らませ、イールの引き締まった二の腕を指先でつまむ。


「せいっ!」

「いてっ!? 何するんだ!」

「失礼な事言う人には当然の報いよ!」

「あ、あの二人とも、仲良く……」


 眉間に皺を寄せ対峙する二人の間にロミは割り込んで、おろおろと両手を上げる。

 そんな彼女の姿に毒気を抜かれ、二人はぺたりと座り込んだ。


「……そんなこというロミもいいもの持ってるわよね」


 ジロリとララが見定めるような視線をロミの胸元に向ける。

 一瞬呆けていたロミはその視線と言葉の意味に気付き、慌てて両手で隠した。


「あわわ、そんな見ないで下さいっ」

「見ないでと言われたら見てしまうのが自然の摂理なんですよ、奥さん」

「誰が奥さんですか!?」


 面白いほどに楽しいロミの反応に、ララは舌舐めずりしてずいずいと水を割って近づく。

 ロミはひっと小さく悲鳴を上げて後ろへ下がるが、すぐに湯船の縁に背中があたる。


「ひっひっひ。もう逃げ場はありませんよ奥さぁん」


 わきわきと両手を動かし、黒い笑みを浮かべ、獲物を追い詰めた猫のような瞳でララはゆっくりとにじり寄る。

 ロミの肌は直接日の光に当たらないためか、透き通るような白さだ。

 張りもあり、艶も光る玉のような肌は、同性であるララもうらやむ。


「ひっひっひ……いたっ!?」


 笑みを浮かべて近づくララの後頭部を、突如鋭い衝撃が襲う。

 彼女が頭を押さえて振り向けば、仁王立ちで笑みを浮かべるイールがいた。


「ひっ――」

「いじめるのも大概にしとけ?」

「……はい」


 流石は歴戦の傭兵という威圧感を醸しながら、なお笑顔でイールが言う。

 ララは一転してしゅんと縮こまり、小さく頷いた。

 そうして、危機の去ったロミはほっと胸をなで下ろした。


「そういえば、神殿にはお風呂ってないの?」


 白い湯を肩に掛けながら、ララがロミに問いかける。


「ありましたよ。ただ毎日入れるのはレイラ様のような地位の高い方々だけで、わたしは三日に一度でした」


 ヤルダの神殿には、巨大で豪華な浴室があった。

 何十人もの神官が一度に身を清めることのできる大がかりなもので、ロミもそれを気に入っていたらしい。


「ただ、そのお風呂の湯を準備する人たちはすごく大変そうでした。ていうか、見習い神官時代にわたしもしましたが、あれは地獄です……」


 遠い目をしてロミは言う。

 巨大な釜のような設備で湯を沸かす為、絶えずごうごうと燃える火の側で空気を送り続けなければならないのだ。

 その上燃料となる薪を延々と運ぶ為、湯船に溶かされた疲労の全てを吸い取る程に疲弊する。

 まさに聖域の中の地獄だったと、彼女はしみじみと零した。


「大変だったのね……」


 そんな彼女を、ララは優しく肩を叩いてねぎらう。

 彼女の元いた星では、スイッチを一度押すだけで楽しめた潤沢な湯が、ここではとても貴重だった。


「しかし温泉に入ったんだったら温泉卵が食べたいわね」


 話題を変えて、ララはそんな事をいう。


「温泉卵ってなんだ?」


 イールが聞き慣れない言葉に首をかしげた。

 ロミもまたあまり想像が付かないのかきょとんとした表情だ。

 そんな二人の様子に、温泉卵というものが存在していないことを察知してララは愕然とする。


「温泉卵っていうのは、温泉のお湯で温めた卵のことよ。低温でゆっくり温めるから黄身が固まって白身がとろっとしてるの」

「ほう。聞いたことも見たことも無いな」

「でもおいしそうです」


 ララの説明に、イールとロミは興味深そうに目を瞬かせる。

 卵自体は、ハギルでもそう珍しいものではない。

 ララとしてはこちらの卵が自分の知っている物とどれほど違うのかが気になるところだったが、おそらく大丈夫だろうと楽観的に考える。


「明日にでも、リルに頼んで卵温めて見ようよ」


 ララの言葉に、二人はすぐに頷いた。

 彼女たちもララの語る未知の料理に興味があった。

 ララもまた懐かしい味が楽しめるのは望むところであるし、もしハギルの新たな特産物になればそれもいいだろうと考えていた。


「ま、とりあえずそれは明日考える事ね。今日はもうゆっくり休みましょ」


 気が付けば随分と時間も経っている。

 ララは湯を纏って立ち上がった。

 明日はまず、クッカの案内の下ヒージャの牧場まで行かなければならない。


「そうだな。のぼせる前にあがろうか」

「ふぅ、いいお湯でした」


 ララに続き二人も立ち上がり、温泉を出る。

 上気した肌に艶を増し、三人は満足げな明るい顔で部屋に戻った。

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