第四十六話「食べ過ぎちゃったかしら?」
ゆさゆさと肩を揺すられ、ララはゆっくりと瞼を開ける。
どうやら少し横になるだけと思っていたのが、本格的に眠ってしまっていたようだった。
思った以上に疲れが溜まっていたようだ、と彼女はくしくしと目をこすりながら思う。
「ふあ……。ごめんなさい、完全に寝ちゃってたわ」
「やっと起きたか。随分ぐっすりだったから起こしていいのか悩んだくらいだぞ」
ララを起こしてくれたのは、イールだった。
彼女は腰に手を当てて唇をとがらせる。
ララはえへへ、と笑いながら頭のうしろを掻いた。
「そろそろ良い時間だ。ヒージャ料理をごちそうになろう」
そんなイールの言葉を聞いたとたん、ララの腹部がくぅと可愛らしい音を立てた。
素直すぎる本能にララは顔を赤くして俯き、イールは吹き出して笑った。
「くはは、随分と腹も減ってるみたいじゃないか」
「し、しかたないでしょ! ずっと歩きっぱなしだったんだから」
先ほどからかわれた仕返しとばかりにいじるイールに、ララは頬を膨らませて反論する。
「あのー、二人とも……。そういうのはご飯を頂いてからでもいいと思います」
そんな二人に、ドアのそばで待っていたロミが声をかける。
彼女も空腹らしく、いちゃいちゃと絡む二人を冷め切った目で見ていた。
ララとイールは彼女の凍てつく視線にしゅんと肩を落とし、すごすごと歩き出した。
「お、来たわね。準備はもうできてるわよ」
三人がロビーに入ると、カウンターに立っていたリルが出迎える。
クッカは宿の外で作業をしているらしく、姿は見えない。
「本当にごちそうになっていいんでしょうか」
唯一当事者ではないロミが、リルに確認する。
彼女はきょとんとした顔をしたあと、大きく笑みを浮かべた。
「もちろんよ。ドワーフ族に二言はないわ」
そう言って、彼女はぽんと胸を叩く。
見た目が幼いために、どこか愛らしい雰囲気であるが、これでも立派な大人の婦人である。
「とは言っても、料理を作るのは旦那のデルなんだけどね」
茶目っ気をのぞかせる瞳でウィンクして、リルはそう重ねた。
彼女の夫であるデルは、この宿屋の食事全般を担当している料理上手なドワーフだ。
「あの人、すごく人見知りするから接客業にはてんで向いてないのよ」
からからと笑いながら、リルはそう言った。
宿の裏にあるという厨房は、本人立っての希望でどう頑張っても外から内部が覗かれないようになっていた。
「料理上手なドワーフっていうのも中々珍しいな」
「そうかしら? まあドワーフなんてみんな鍛冶か宝石細工に精を出してるような種族だからね。でもデルはその凝り性を料理に向けてるのよ」
「ああ、そう考えるとそこまでおかしくもないのかもな」
「ゴンド爺みたいなドワーフばっかりじゃないのねぇ」
「まあ、人間だって十人いれば趣味趣向も全部違いますからね」
そんな会話を交わしながら、三人はテーブルにつく。
円形に切り出された木のテーブルは、やはりドワーフ用に作られているせいか少し低い。
「なんだか、おままごとでもしてるみたいね」
「あー……。昔テトルに付き合わされてやったよ……」
イールは昔を思い出しているのか、少し口元に笑みを浮かべて言った。
まるで遊んであげたような物言いだが、傭兵になる前の彼女の性格を考えてみればそれなりに楽しんではいたのだろう。
「ロミはそういうことしなかったのか?」
「飽きるほどしましたよ。孤児院には小さい子がたくさんいるので、たまに帰ったら女の子たちと一緒に」
「ロミならいいお母さん役になれるでしょうね」
「ふぇ!? おお、お母さんですか……」
何気なく相づち打って言ったララの言葉に、ロミはぼふんと顔を赤くする。
ララとしては彼女の纏う母性を形容して言ったつもりだったが、なにか怒らせてしまったかと慌てる。
「ごご、ごめんなさい。気に障ったかしら」
「い、いえ。そうではなくて、なんというか、予想外だったので」
のぞき込んで上目遣いで言うララに、ロミはぷいっと目をそらしながら答える。
そんな二人を、イールは面白そうな目で見ていた。
「はーい。おまちどうさま! ヒージャの腸詰めスープにチョップステーキよ」
三人のテーブルに、どんと大皿が置かれる。
その上に載っていたのは、扇状に並べられた骨付きの大きな肉だ。
こんがりと火の通ったそれは果物を煮込んだソースをかけて、彩色鮮やかな葉野菜の上に並んでいる。
更に、三人の前には腸詰めと芋と根菜の煮込んだスープが置かれた。
「パンは上等なものじゃないけど、たっぷりあるからね。おかわりも気軽に言って頂戴」
「うわあああ……! とっても美味しそう!」
ララは目の前の料理に青い目を輝かせ腰を浮かせる。
見ればララだけでなく、ロミやイールも口を小さく開けて感嘆の声を漏らしていた。
「うふふ。貴女たち気持ちのいい反応してくれるからうれしいわ。それじゃあ私は奥にいるからいつでも呼んでね」
「ありがとう。こんなにしてもらって」
「大切に頂きますね」
リルが去り、三人はテーブルの中央に向き直る。
そうして、ララがまずスープを傾ける。
「~~~!! 美味しいっ! お肉のうまみがぎゅっと詰まってて、濃厚なスープね」
きゅっと目を瞑り、感極まって声を漏らすララ。
それに感応され、二人もさっと手を伸ばした。
「うん。これはいいな。腸詰めもしっかり味が出てる」
「お野菜も柔らかく煮込まれていて、ほっこりしますね」
イールとロミは互いに顔を見合わせ、綻ばせる。
初めて食べるヒージの肉は、彼女たちの予想を超える味だった。
「それじゃ、メインディッシュにいきましょっか」
そう言ってララは中央の大皿に手を伸ばす。
肋骨をつかみ、噛みつく。
「これも美味しいわ! 少し獣のクセがあるけど、果物のソースを引き立ててくれてる」
「脂が少ないのか、あんまりしつこい味じゃないな」
「お野菜を巻いて食べるのもおいしいですよ」
口々に賞賛しながら、三人は料理を楽しむ。
共に供されたパンも柔らかいものではないが、雑穀が練り込んであるのか豊かな風味がヒージャの肉を包み込む。
あまり調味料を使わない、素朴な自然体の味付けは、ドワーフ料理特有のものだという。
古くから山岳地帯で暮らしてきた彼らは、ありのままの食材を扱うことに長けていた。
「ふぅ、結局沢山食べちゃったわね」
数十分後、そこには満足そうに下腹をさするララの姿があった。
彼女はその旺盛な食欲を遺憾なく発揮し、パンを三個、大皿を追加で一枚、スープを五杯お代わりしていた。
ロミとイールは彼女がリルに声を掛けるたびに身体を縮めて申し訳なさそうにしていたが、当のリルや調理担当のデルは、気持ちよい食べっぷりの彼女を気に入ったのか、どんどんと快く料理を作ってもてなしていた。
そうしてララが満足そうに温かい息をつくころには、リルもまた優しい笑みを浮かべてカウンターに肘を突いていた。
「クッカも随分食べるようになってきたと思ったけど、ララの食べっぷりには敵わないわね」
「ごめんなさい。食べ過ぎちゃったかしら?」
「あはは。大丈夫よ。貴女たち以外に今日はお客さんもいないし、食材はいつも余り気味なのよ」
リルの言葉に、イールは周囲を眺める。
そういえば、確かに彼女は自分たち以外の宿泊客を見たことが無かった。
「大体のお客さんは温泉が目当てで、泊まりに来る人は殆どいないのよ。それでも用意はしておかないといけないから、食材はいつも仕入れてるんだけどね」
少し悲しそうに眉を八の字に寄せ、リルは吐露する。
まだまだこの翡翠屋は開業したばかり、ハギルの外まではまだ情報も行き渡っておらず、旅人たちがやってくることは希だった。
「そっか、この宿は温泉があるんだっけ」
「そうよ。宿の裏に大浴場があるわ。お腹が落ち着いたら是非行ってみて」
思い出したように手を打って声を上げるララに、リルは微笑んで言う。
「もちろん! あー、温泉なんて久しぶりね」
「コパ村からヤルダに行く途中で一回入ったっきりだったか」
「そうね。そこでも温泉じゃ無くてお風呂だったけど」
ララはそのときの記憶を掘り起こし、うっとりと顔を惚けさせる。
食後のゆったりとした雰囲気の中、穏やかな時間が流れていた。




