第四十二話「わっ! ねえねえ、道があるわよ」
ララがその急峻な山を目にしたのは、三日後のことである。
小高い丘を登り切ると、遙か前方にうっすらと灰色に染まる背の高い壁が見える。
「あれがハギル山脈?」
「ああ、そうだ」
ララは右手を目の上にかざして眺望する。
その雄大な霊山は、まだ随分と距離があるというのにはっきりとした存在感を誇示していた。
「ここからまだ二日くらいかかるのよね?」
「そうだな。道自体はほぼ直線の草原だから、単純に距離が長いんだ」
「まだ草原が続くのね……」
イールの言葉に、ララは思わずげんなりと肩を落とす。
彼女たちのこれまでの道程はほぼほぼ草原地帯を貫いていた。
代わり映えのしない風景に、ララは飽き飽きしていた。
「まあまあ。移動が楽なのは良いことですよ」
「それもそうなんだけどね」
いさめるロミに、ララも頷く。
草原は見晴らしが良く地面が乾いているため、魔獣の襲撃にあったとしてもすぐに対処できるのも利点だった。
現に彼女たちは今まででウサギや狼の魔獣を返り討ちにして、サクサクと解体して荷物に加えていた。
「魔獣のお肉はおいしいのが、まだ唯一の救いねぇ」
「ララが全部食べちまうから、ハギルで売る分がなくなったけどな」
「皮とか牙があるからいいじゃない」
狩った魔獣はイールが捌くのだが、その日の昼か夜にはお腹を空かせたララが食べられる分を全て食べてしまうのだ。
燃費の悪い彼女をイールは白い目で見るが、常時ナノマシンを展開して監視を担っているララは何処吹く風である。
結局、それなりの臨時収入を期待していた魔獣素材は皮と牙、骨などの食べられない部位だけしか残らなかった。
「それに、お肉なんて残してもすぐに腐るでしょう?」
「なんのための保存箱だよ」
呆れたように言って、ロッドの背中に積まれた保管箱を見るイール。
ララはようやくその存在を思い出したのか、掠れた口笛を吹いてそっぽを向いた。
「はぁ……。まあ、別にいいけどな」
保管箱の数にも限りがあるし、とイールは仕方なさそうに言う。
ララはぱっと目を輝かせ、彼女の腕に抱きついた。
「えっへへー。イールならきっとそう言ってくれると信じてたよ!」
「だー! 鬱陶しい! 暑い! 重い! 離れろ!!」
ぶんぶんと腕を振って彼女を払おうとするイールだが、そんなことで離れるほどナノマシンで強化された身体は柔ではない。
ぶらんぶらんと腕の動きに合わせて揺れるララを、ロミはくすくすと口元を隠しながら笑って見ていた。
*
「さて、ハギルの影も随分と近くなってきたわね」
それから更に二日後。
丁度イールが言ったスケジュールではハギルに到着する予定の日だ。
ララたちは単調な道を突き進み、ハギルの足下にまでやって来ていた。
背の低い草が多くを占めていた草原は次第に姿を変え、ゴツゴツとした岩と大きな木が乱立する少し密度の低い森といった様相だ。
「ねえ、イール。あそこから煙が立ってるわ」
目をこらしていたララが遠方を指さす。
ハギルの山肌と森の間、山麓のあたりから細い黒煙が何本も立ち上がっている。
「十中八九、ハギルの工房のものだろうな」
流石に五日間野宿で歩き通すのは身に応えるのか、僅かに疲労を含んだ声でイールが答える。
めっきりと口数の減ったロミも、なんとか頷いていた。
「そっか。ならあともうちょっとね!」
今日中には着けそうね、とララは弾む声で言う。
三人の中で唯一、彼女だけはあまり疲労を感じていなかった。
「ララさんの、ナノマシン……ちょっと羨ましいですね」
杖に寄りかかるようにして立っていたロミが、ララを流し見て言う。
ララが元気溌剌としているのは、当然の如くナノマシンのおかげだった。
「ナノマシンナノマシン……。もうほんとになんでもアリだな」
「その代わりに警戒も魔獣の対処も全部私がやってるじゃない」
羨望の眼差しを送る二人に、ララは取り繕う様に言う。
彼女たちの疲労の色が目に見えて分かるようになってからは、分担していた作業のうちララにもできることは全て彼女が担うようになっていた。
ララが警戒し、魔獣の襲撃の際には迎撃する。
魔獣の解体は例によってイール、時にはロミも交代で行った。
「それに、今日は柔らかいベッドでゆっくり休めるでしょ?」
「それもそうだな。……よし、あと少し歩こうか」
「ううぅ、温かいミルクが飲みたいです……」
イールを先頭に、三人はまた歩き出す。
森の中は薄暗い、湿った空気が充満していた。
深い土の匂いが鼻腔に広がる。
ざわざわと風そよぐ音に紛れ、森の獣たちの気配を感じることができた。
「わっ! ねえねえ、道があるわよ」
最初にそれを見つけたのは、ララだった。
ずっと細く続いていた土道が森との狭間を境にして綺麗に整えられた石畳に変わっている。
「ハギルの街道ですね。この道を辿っていけば、迷わず町に着くようになっているんですよ」
ロミの解説に、イールは感心して口を開く。
石畳は彼女たちが横になって歩いても十分な余裕があるほどに幅広で、ロッドも歩きやすそうな平坦な道だ。
腐葉土の不安定な地面を歩いたことで、なけなしの体力を更に削られたイールとロミも嬉しそうだ。
「それじゃあ、ここからはもう一本道なのね?」
「ああ。そういうことになるな」
イールが頷くと、ララは飛び上がって喜ぶ。
なんだかんだでここまでもほぼ一本道だったが、ちゃんとした道というものが精神に与える安心感というものは絶大なのだった。
「よーし、それじゃあとっとと進んで、町でゆっくり休みましょう!」
「おー!」
ララが拳を振り上げる。
戸惑いながらも、残りの二人も元気のない声で答えた。




