第四十一話「あの村のチーズは、やはり最高ですね」
翌朝、まだ日の昇らない早朝に三人は荷物を纏めて部屋を出る。
薄暗い食堂のカウンターには、薄ぼんやりとしたオレンジ色の光を放つ小さなランプが一つ、ドアの隙間から吹く風に揺れていた。
「あら、三人とも早いわね」
カウンターの奥から、コンテの吃驚したような声がした。
ランプの明かりの向こう側で、彼女は帳簿の整理をしているようだった。
「コンテこそ、朝早くから大変ね」
まさか彼女が起きているとは思っていなかったララが、目を見開いて答える。
彼女たちはまだ村の寝静まる早朝のうちに、ひっそりと出立しようと考えていた。
しかし、コンテはすでにエプロンを身につけて臨戦態勢である。
一体彼女はいつ寝ているのか、ララは内心首をかしげる。
「まあわたしは慣れてるからね。それよりも、もう出発するの?」
答えになっているのかなっていないのか、曖昧な笑みと共にコンテは答える。
その後に付け加えられた質問に、彼女たちは同時に頷いた。
すると、コンテは頬に手を添えて口を開けると、少し待つように言って奥へと姿を消した。
「はいこれ、朝ごはんに食べていって」
そう言って彼女が持ってきたのは、木の皮で編んだ籠に入ったサンドウィッチだった。
みずみずしい葉野菜や、薄く焼いた卵、もちろん村の特産であるチーズもたっぷりと挟まっている。
「いいのか? こんなに」
「いいのよ。しっかり手紙を届けて貰わないといけないんだから!」
戸惑うイールの背中をぱしりと叩き、コンテは言った。
「サンドウィッチなら歩きながらでも食べられるでしょ? あ、籠はそんなに高いものでもないから、使い捨ててくれて構わないわよ」
「そっか、ありがとう。大切に食べるよ」
丁寧に籠を布でくるみ、自分のリュックに入れながらイールが言う。
コンテは「そんな大層なものじゃないわよ」と言いながらぱちぱちと彼女の背中を叩いた。
「気をつけてね」
「ええ、もちろんよ」
別れ際、コンテが心配そうに声を掛ける。
ララは少し振り返り、彼女に向かって微笑んだ。
「ララ、行くぞ」
「はいはい。今行くわ」
宿屋の裏からロッドを連れて来たイールにせかされ、ララは宿屋を出る。
ゆっくりと朝靄の立ちこめる村を出る三人を、コンテはずっと見送っていた。
*
「わっ、おいしい!」
「パンの香りもいいし、やはりチーズもおいしいですね」
「野菜も採れたてみたいだ。瑞々しくて食感が良い」
村から続く長い道。
その上を歩きながら、ララたちはコンテから貰ったサンドウィッチを頬張っていた。
彼女が手ずから作ってくれたそれは、シンプル故にごまかしのきかないおいしさだった。
長方形に切りそろえられたサンドウィッチは、白と緑と黄色の色彩も楽しい。
「あの村のチーズは、やはり最高ですね」
よほどチーズに惚れ込んだのか、ロミが頬をとろけさせながら言う。
確かにララとイールも、昨夜食べたチーズフォンデュや今回のサンドウィッチに挟まれたチーズの、濃厚で甘いチーズの味には舌を巻く。
それにしても、ロミは輪に掛けた絶賛ぶりである。
「そういえばイール、ここからハギルまではあと何日くらいかかるの?」
「そうだな、大体五日くらいか」
「うええ、やっぱり随分掛かるのね」
「まだヤルダを発ってそんなに移動してないからな」
思案顔のイールの言った日数に、ララは思わず眉をひそめる。
なんだかんだと言って、まだ旅は二日目なのだ。
それほど劇的な距離を歩いたわけでもなく、目的地まではまだまだ時間が掛かる。
「それに、ここから先は基本野宿だぞ」
「うえええ!? それは聞いてないわよ」
何気なく放たれた言葉に、ララは目を見開く。
一歩後ろを歩くロミは、突然大声を出した彼女に驚いて肩を跳ね上げた。
「仕方ないですよララさん。ここから先は村もあんまりないんです」
「そ、そんなぁ……」
慰めるロミの神官服の裾を掴み、ララは泣き崩れる。
ロミは困ったように笑いながら、彼女の銀色の髪を撫でた。
そうして、ふと気が付いたように彼女はイールの方へ向く。
「そ、そういえばイールさん」
「うん? なんだ」
少し言葉を詰まらせながら、ロミは次の言葉を続ける。
「野宿の時は、あの、……昨日みたいな格好は……」
顔を朱に染めて、たどたどしく言うロミ。
イールは一拍空けて理解できたのか、白い歯を零す。
「あはは。大丈夫だよ。ちゃんと野宿の時は服を着て寝てるさ」
昨日、ロミは初めてイールたちと寝所を共にした。
初めて出会ったときに野宿は共にしたが、ベッドのある場合での彼女の寝方は知らなかったのだ。
そのため、ロミは昨晩イールのあの独特な就寝方法をもろに見ることとなり、中々寝付くことができなかった。
「そうでしたか、ならよかったです」
ドキドキと脈を速めつつ、ロミは頷く。
あのいっそ潔いほどの姿は、まだ彼女にはいささか衝撃が強すぎた。
「私もイールの寝方には改善を要求したいんだけど」
端から会話を聞いていたララも、ロミの側に立って参戦する。
もうすでに何度か彼女と夜を共に過ごしたララでもあの姿はまだ慣れないものがある。
しかし、そんな二人の意見もイールにはどこ吹く風のようである。
「はっはっは。二人も一緒に全部脱いで寝てみれば良い。――癖になるぞ」
「そそそ、そんな痴態はいやです!」
「私だって御免被るわよ!」
大きく口を開けて笑うイールに、二人は羞恥に顔を真っ赤にして言葉を返す。
一応、言葉自体は冗談だったのかイールは特に強制させるようなことはなく、ただただおかしそうに腹を抱えて笑っていた。
耳の真横で騒がれて煩わしく思ったのか、ロッドが一度低く嘶いた。
「ぷっくく。まあ、野宿の時はそんなことは絶対しないよ。危険だし、寒いし」
「それに非常識的よ」
「ははは、まさかララに常識を語られるなんてな」
ぷっくりと頬を膨らませるララに、イールはおちょくるような語調で返す。
彼女からしてみれば、ララという存在ほどに非常識的な物はないのだ。
「まあ、それに」
イールは二人をちらりと流し見て言う。
「今晩の睡眠について考える前に、まずは次の昼のことについて考えよう」
「お昼? ごはんのこと?」
イールは一度頷く。
「肉ブロックなんかの保存食は、あくまで最後の手段。余裕があるときは何か食材を集めて料理するぞ」
「う、狩りですか……」
彼女の言葉に顔を曇らせたのは、白杖を握るロミである。
聞けば、彼女はあまり狩りが得意ではないのだという。
「そういえば、出会ったときもブラックウルフに追われてたっけな」
「うぅ。なんというか、罪悪感を感じてしまって」
涙目で吐露するロミに、ララとイールは顔を見合わせる。
そうして、にっと笑って彼女に向かって言った。
「私の故郷に伝わる言葉で、いいものがあるわ。『餅は餅屋』って言うんだけど」
「人間誰だって得意不得意はあるんだ。狩りはあたしたちに任せときな」
「うぅ……。二人とも、不甲斐ない自分を許して下さい」
優しく声を掛ける二人に、ロミは感極まって頭を下げる。
「その代わり、野草類の採取をお願いしてもいいかしら?」
「はい! それならわたしにもできます」
そうして、ロミはララの提示した代替案にすぐさま乗る。
動物ならともかく、植物を集めるのは、むしろ好きな部類にまで入るという。
「見習い神官時代は、植物園管理の補佐をしていたんですよ」
「へぇ……。神殿って植物園まであるのね」
ロミは照れくさそうに言う。
神殿に植物園が併設されているのは、そこで魔法薬の材料として有効な植物を多く育てているためだった。
医院の役割も担う神殿では、ある程度そのような薬の備蓄も必要なのである。
「それじゃあ、大体の分担も決まったか」
手綱を握りながら、イールが言う。
ララがナノマシンを使って獲物を索敵・補足、それをイールが狩猟する。
更に、ロミは肉だけではなく野菜も取らなければということで、食べられる野草の採取をする。
「それじゃあララ、周囲の警戒頼む。何か旨そうな獲物がいたら教えてよ」
「ええ、分かったわ」
イールの指示で、ララはナノマシンの探索網を広げる。
そうして三人は、燦々と太陽の光が降り注ぐ草原の真ん中を進んでいった。




