第三十七話「分かってるわよ。ちゃんと毎食、しっかり食べるわ」
朝靄の立ちこめる、ヤルダの町。
人々はまだ寝静まり、静寂が通りを闊歩している。
ララ、イール、ロミ、そして荷馬のロッドは旅装を整え、大壁に開いた門の前に立っていた。
「もう少し、休んでからでもよかったのでは?」
彼女らを見送る白衣の少女、テトルが心配そうに眉を寄せる。
ララたちがヤルダの町に戻ってきたのは、つい二日前の事である。
コパ村での一件を終え、ヤルダに戻ってきた彼女たちは神殿で飽きるほど食べ続け、倒れるように眠り、そうして一日の休養を置いてすぐに発とうとしていた。
「何日もぐだぐだ居座っていても、することもないだろう? 今後はいつでも連絡が取れるんだし」
慰めるようにテトルの肩に手を置いていうのは、革の鎧を纏ったイールである。
いつの間にか大きくなったテトルも、まだまだ彼女にとっては小さな手の掛かる妹だった。
テトルは未だ納得しきれてはいないようだったが、渋々といった様子で頷く。
「ロミも、二人に迷惑掛けないように頑張るんだよ」
テトルの後ろからのんびりと間延びした声を掛けるのは、お忍び用のラフな格好になったレイラである。
ララと初めて邂逅した時と同じようにジャケットを羽織った彼女は、とてもこの町の神殿の長の様には見えない。
特徴的な鮮やかな赤髪を雑に一纏めにし、白い歯を零す彼女は、どのように見てもただの明るい町の娘だ。
「は、はい! お二人の足を引っ張るようなことだけは……頑張って避けるように……」
緊張の面持ちで答えるのは、いつもの白杖を抱きしめるロミだ。
彼女はレイラとは違い、由緒正しい武装神官の礼装を纏っている。
白地に青のラインが入った分厚い外衣には、金糸で細やかな刺繍が施されている。
その衣の裏にほとんどの荷物を収納している彼女は、ララやイールとは違ってかなり軽装に見える。
「何かあったら、いつでも連絡しなさい」
「はい。分かりました」
慈母のような目で、レイラはロミに助言する。
ロミは鳶色の瞳に滴を溜めて、何度も頷いた。
「ヤルダの町は、俺が守っといてやるからな」
そういうのは、変わらず銀のアクセサリーを山のように身につけたパロルドである。
彼はテトルを守るようにその背後に立ち、旅立つ三人を見送っていた。
「よろしく頼むよ、隊長殿」
「ああ。任された」
冗談めかして言うイールに、パロルドはニヒルな笑みで応える。
「ララも、気をつけろよ」
「分かってるわよ。ちゃんと毎食、しっかり食べるわ」
胸を張って答える銀髪の少女に、思わず見送りの三人は頭を抱える。
「うーん、まあ、確かにそれもそうなのですが……」
「神殿の食料庫空っぽにしちゃったから、そっちは当分大丈夫なんじゃないの?」
微妙な表情になって言うテトルとレイラに、ララはきょとんとして首をかしげる。
「まぁ、そのなんだ。……達者でな」
「ええ。もちろんよ」
パロルドの言葉に、ララは深く頷く。
この世界はまだまだ広く、彼女にとってその全てが未知だ。
まだまだ、野垂れ死ぬ予定などなかった。
「それじゃあ、そろそろ行くよ」
ロッドの手綱を引きながら、イールが言う。
ララとロミもそれに続くように歩き出す。
「それじゃあね」
「い、行ってきます!」
ゆっくりとした足取りで、三人は門の外へと向かう。
いつの間にか、朝日がその頭頂を覗かせ、溶けるような光が差し込む。
光の中に飛び込むようにして進む彼女たちを、見送りの三人はいつまでも見つめていた。
*
「ねえイール」
ヤルダの町を発ってそれほど歩かないうちに、ララはおもむろにイールに顔を向けた。
「どうした?」
首をかしげながら、イールは忘れ物という言葉を脳裏に浮かべる。
あれだけしんみりと別れたというのに、格好が付かないにも程があるだろう。
「いや。まだ次の目的地を聞いてなかったなって思って」
「ああ。そういうことか」
ほっと胸をなで下ろし、イールは答える。
「次に向かうのは、ドワーフの鉱床さ」
「ドワーフの鉱床?」
ロミを首をかしげ、イールの言葉を復唱する。
「この前、ララが言ってただろう? 山に行きたいって」
「そういえば……。色々ありすぎてすっかり忘れてたわ」
ヤルダにたどり着く前、そんなことを言ったような気がしないでもない。
そんな些末な言葉を覚えていたのかと、ララは密かに驚いた。
「案外イールってマメよね」
「マメって……。ララが言ったんだろう」
感心したように言うララに、イールは呆れた表情を浮かべる。
「でもまあ、ありがとう。うれしいわ」
彼女の顔をのぞき込み、ララは花のような笑顔を浮かべる。
イールは琥珀の目を見開き、一瞬、立ち止まる。
「……イール? おーい」
突然動きを止めたイールを不審がり、ララが彼女の前で手を振る。
はっと正気に戻ったイールは、ぷるぷると頭を振ると、歩調を速めて歩き出した。
「ちょ、イール! 早くない!?」
「うるさい。早く行くぞ」
「うえええ!?」
「ちょ、二人とも、待って下さいよ~」
朝日の光だけではない赤みを頬に浮かべ、肩を切って進むイール。
ララとロミは、そんな彼女に首をかしげつつ必死に追いかけた。
進む先はドワーフたちの山である。




