第342話「なんだ、このガキ!」
取り払った布の向こう。光源のない闇の中、それを見通すララの目に男の姿が映る。彼女がその姿をよく見ようと目を凝らしたその時、男は弾かれたように立ち上がり、懐から何かを引き抜く。
「っ!」
危険を察知したララは咄嗟に後方へ飛び退く。男の手に握られているナイフを目にして、彼女は自分の直感が正しかったことを知る。
「物騒なものを持ってるわね」
「死ねっ!」
問答無用、と男は更なる追撃を繰り出す。ララはそれを軽やかに避け、更に伸び切った男の腕を膝で蹴り上げる。
「ぐあっ!?」
骨が折れるほどの力を込めたつもりは無かったが、男は悶絶して刃物を取り落とす。ララはすかさずそれを蹴り、男から離す。
その段になって、ようやく彼の詳しい姿が明らかになった。見るからに浮浪者然とした、着古した服を纏った男だ。老人の手前といった風貌だが、伸び放題の髭が顔の大半を覆い隠し、更に目深に帽子を被っていることで実際の年齢を推し図ることは困難だった。
しかし、ナイフを繰り出した動きにはキレがあった。ララはわずかな判断材料から、彼が壮年ながらも鍛錬を積んだ戦士であることを類推する。
「一応、名前を聞いても?」
「貴様に語る名などない!」
「うわっ」
背を曲げてうずくまっていた男は、油断なく眼光をララに向ける。そして、新たなナイフを手にしてララへ飛びかかった。
手刀で男の手首を叩き、強引にナイフを取る。今度は彼女がそれを握り、男の喉元に突き付けた。
「ナイフなんて物騒なものしまいなさいよ。自分に向けられても文句は言えないわよ」
「ぐぅ……っ!」
真剣な表情でララが警告する。彼女の青い瞳を見た男も、冗談ではないことを思い知る。悔しげに唸り声をあげるが、最後にはだらりと両腕を垂らした。
「降参だ。……まったく、小娘だと思って油断した」
「心外ねぇ。こんなナイスバディのお姉さんもいないでしょ」
ララがナイフを弄びながら言うと、男は珍妙な目を向ける。髭ぐらい削いでもバチは当たらないか、とララが睨むと、彼は慌てて目を逸らす。
「友好の証として、自己紹介くらいしましょ。私はララ、旅の傭兵よ」
「……グラフだ」
グラフと名乗った男は、脱力して座り込む。もはや戦意もない彼の様子を見て、ララもようやくわずかに警戒を解いた。
「それで、グラフはどうしてこんなところに? あなたは何者?」
ララの疑問は多くある。矢継ぎ早に繰り出すと、髭面の男はげんなりとした顔で顔を反らせた。一旦彼女の質問を無視したグラフは、簡素なテントに頭を突っ込み、小ぶりなガラス瓶を取り出すと、その中身を一息に煽った。
周囲にアルコールの匂いが漂い、ララもそれの正体を察する。
「俺ぁただの見張りだよ。何日かここで寝てりゃ金と酒が貰えるってんで引き受けただけだ」
「見張りぃ? ここがどこか、知らないわけじゃないでしょ?」
胡乱な顔をするララ。
地下水路内に見張りの人間がいるなど、マレスタからも聞いていない。
そもそも、地下水道は赤銅騎士団も立ち入ることのない場所だ。警備システムとして魔導兵が徘徊している以上、彼もまた侵入者にすぎない。侵入者が侵入者がいないか目を光らせるなど、間抜けにもほどがある。
しかし、そんなララの胸中を読み取ったグラフは、ふんと鼻で笑う。
「詳しいことは知らねえが、実際に侵入者はやって来たんだ」
「それって、私のこと?」
「他に誰がいるんだよ。立派な水路に馬鹿でかい穴まで開けやがって。大胆なこった」
そう言うグラフの声には憤慨も混ざっていた。その様子から、彼が水路に多少なりとも思い入れがあることをララも察する。どうやら、彼もただの浮浪者というわけではないようだ。
「もしかして、水路に置かれてる魔導具も何か関係あるの?」
ララがそう問うと、グラフの雰囲気が変わる。彼は目を大きく見開き、彼女へ詰め寄った。
「お前、あれに触ってねぇだろうな!」
「うわっ!? さ、触ってないわよ。あれを止めるには中心に行かなきゃいけないってことで、進んでるんだから」
「止める!? やっぱりお前、敵なのか!」
「うわぁっ!?」
顔を真っ赤にしたグラフが立ち上がる。再び臨戦体勢に入る彼に、ララは驚きながら口を開く。
「私は水路を直すために来たのよ。そしたら謎の奇妙な魔導具があるもんだから、止めようと思うのも当然でしょ?」
「水路を直すだと?」
今度はグラフが胡乱な顔になる。
彼は拳を下ろしたものの、困惑の拭いきれない様子で、ざりざりと髭を掻いた。
「お前は何を言ってんだ。水路は今、直してるところだろうが」
「はぁ?」
衝撃の言葉に、ララは眉を吊り上げる。
「聞いてないわよ。私たち、マレスタに頼まれて来たんだけど!」
「マレスタって誰だよ!」
「ここを管理してる赤銅騎士団の団長よ!」
二人の間に横たわる溝が徐々に広がる。お互いがお互いに疑念を持っていた。
水路を知る者が、マレスタの名を知らないはずもない。だが、目の前に立つ男は本心から戸惑っているようだった。
「グラフ、あんたの所属と依頼主を教えなさい」
「断る。俺も悪党にゃ変わりないが、それでも矜持はあるんでな」
二人は剣呑な空気に包まれる。グラフは懐から、三本目のナイフを取り出す。対するララは徒手空拳だ。それでも、彼女は遅れを取らないと確信していた。
だが、その時。ララの背後から物音がする。瞬間的にイールたちのものではないと察したララが振り返ると、そこにはグラフと似たり寄ったりの荒れた風貌をした男たちが立っていた。
「なんだ、このガキ!」
「グラフ、何やってるんだ!」
「ちっ、厄介ね……!」
一対多数でもいつもなら問題はない。しかし今は、エネルギーも枯渇気味の極限状態だ。更に狭い水路内で、少しでも外に出れば魔導兵たちまで襲ってくる。
どうするべきか、ララが考えあぐねていたその時、再び事態が変わる。
「うおおおおおおっ!」
「ぐわーーーっ!?」
突如、新たに現れた男たちが薙ぎ倒される。
その向こうから現れた赤髪の女を見て、ララは思わず笑顔を浮かべた。
「イール、ロミ!」
「あたしもいるよ!」
現れたのは、ララの仲間たち。男たちの不意を突いたイールの奇襲はうまく決まり、ロミが素早く捕縛の魔法を使ったことで、グラフは一気に窮地に立たされる。
ナイフを構えていた彼は、四人の視線を受けて、今度こそぐったりと床に膝をついた。




