第335話「これは開けたとは言わないんじゃない?」
「さて、と。それじゃあサクラ、とりあえず偵察行ってらっしゃい」
『かしこまりました!』
ロミがヨッタを落ち着かせている間、早速ララが行動を起こす。とはいっても、彼女自身は無理なエネルギー消費によってほとんど体も動かせないほどの消耗してしまっている。彼女はサクラに指示を出し、現状の把握から始めた。
高度な科学技術の産物であるサクラは反重力制御によって浮遊している。人間ではまず登れない滑らかな壁も無視して、縦穴を隅々まで観察することができるのだ。
「やっぱり、天井は閉まってるみたいね」
サクラと視界を共有したララが落胆して言う。彼女たちが落ちてきた床の穴は、再び隙間なく閉じられてしまっていた。これでは、例え壁を登ることができたとしても復帰することはできない。
「ロミの魔法で壊せない?」
「やってできないことはないと思いますが……。瓦礫が降ってきて危ないですよ?」
「それもそうよね」
しれっと言ってのけるロミに感心しつつも、ララは再び考え込む。この地下水道を構成する石材自体には、これといって目立った特徴はなさそうだ。おそらくメンテナンス性を考慮して、あえてシンプルな石材で纏めているのだろう。
耐久力はないため、イールの腕やロミの魔法で十分に破壊可能だ。
「メシができたぞ」
「やったー!」
ララが思考を巡らせている間に、イールが部屋の隅で熾した焚き火で簡単な料理を作っていた。持ってきた荷物から作った、干し肉と乾パンの粥である。憔悴したヨッタとエネルギーの少ないララに配慮してか、いつもより具材が豪勢だ。
「いいのか、こんなに食べて」
「こう言う時こそ食べないと、頭も体も動かないからな」
そう言って、イールは戸惑うヨッタに粥を盛った皿を押し付ける。ララもゴロゴロと具材の入った粥を受け取り、早速食べる。無数の人骨が山を成す真横とロケーションは最悪だが、今更その程度でどうこう言うほど繊細でもない。
「うまー!」
ララは一口口に運び、ぱっと目を開いて歓喜に震えた。
暗くじめっとしたカビ臭い密室だからこそ、温かい料理が身に染みる。水も貴重な物資だが、イールはあえて思い切った使い方をしている。
「いただきます」
もぐもぐと勢いよく食べ始めたララに倣い、ヨッタもスプーンを掴む。一口、二口と食べるほどに彼女も空腹を自覚していき、そのペースも加速していった。
「それで、どうしましょうか」
焚き火を囲み、食事を楽しみつつもロミは話を進める。
「上に戻れないってことは、横かね」
「横も壁しかないわよ?」
ララたちが閉じ込められた縦穴の底は全方位にわたって頑丈な壁が並んでいる。どこか外に出られるような穴や扉といったものは見つからない。
しかしイールは問題ないと首を振り、ついでにスプーンを振った。
「こうやって火が熾せてるだろ」
「それはそうだけど……。ああ、酸素か!」
穏やかに燃える火を見て、ララが手を叩く。イールは「酸素?」と首を捻るが、すぐに頷く。元素の概念こそないものの、彼女たちもなぜ火が燃えるのかという理屈は知っていた。
「とにかく、風が入ってきてる。てことは、壁のどっかに穴でもあって、外に続いてるってことだ」
穴の底には多くの人骨が積み上がっている。それらの死因の多くは落下死だろうが、中には幸か不幸か落下を生き延びたものもいる。それらはしばらく生きた後、出血か空腹によって死んでいるようだった。
ララたちが落ちてきた時も、空気は澱んでいなかった。これだけの死体がありながら腐臭もない。空気が外部と循環していることの証左だ。
「サクラ、環境探査で壁の内側を調べてちょうだい」
『かしこまりました!』
まだエネルギー回復中のララに変わって、サクラがくるくるとよく働く。彼女はカメラアイから白い光を放ち、壁内部の構造を透視する。更に周囲の気体の流れをモニターし、どこから流れこみ、どこから流れだしているのかを探す。
高精度な観測機器の集合体でもあるサクラは、ものの数秒で結論を出した。
『あそこから空気が流れ込んでいますね』
「なるほど」
サクラがレーザーポインタで示したのは、一見すると何の変哲もない石積みの壁である。しかし、イールが間近で舐めるように観察すると、石と石の隙間に小さな穴がいくつか穿たれていることに気が付いた。
「よしよし。とりあえず、この部屋の外には出られそうだぞ」
「問題は地下水道に復帰できるかなんだけど……」
「できるだろ。ここも魔導兵の修復範囲内だろうしな」
イールは確信を持って答えた。この縦穴も長い年月にさらされて風化している。しかし、壁は傷ひとつ見当たらず、滑らかな表面だ。これだけの人が死んでいながら、その痕跡がないというのも不可解だ。
この状況から導き出される結論は、この縦穴もまた定期的に魔導兵が修繕をしているというものである。
「それで、壁はどうやって突破するの?」
私はまだ力が出ないわよ、とララが言う。具沢山の粥を三杯平らげたとはいえ、カロリーをエネルギーに変換すると少々心許ない。景気良くナノマシンの力を使っていたら、またすぐにガス欠になってしまう。
だがイールはそんな彼女に笑みを浮かべ、左手を握りしめた。
「この程度なら、ララの力を借りなくてもいいさ」
力強く拳を作ったイールの腕――“邪気の醜腕”が隆起する。筋肉が膨れ上がり、太い血管が浮き出る。籠手を繋ぐ革のベルトが外され、更に一回り大きく、禍々しくなった腕が露わになる。
「うわぁっ!?」
それを見たヨッタが驚きの声を上げる。
イールが拳を構え、壁を真正面に据えて息を吐く。
「ヨッタ、開かない扉はこうやって開ければいいんだよ」
そう言って。
――ドゴンッ!
勢いよく突き出された拳が、砂糖菓子でも割るかのように分厚い石を砕く。イールは何ら力んだ様子もなく、ただ拳を前に移動させただけのようにすら見えた。その行動と結果のミスマッチな光景に、ヨッタが唖然とする。
ガラガラと勢いよく音を上げて崩れる瓦礫。その向こうに、細い通路が伸びていた。
「これは開けたとは言わないんじゃない?」
無惨な姿と成り果てた壁を見て、ララが肩を竦める。




