第324話「気がついた時には、奴らは町を真っ二つにしていた」
ララたちが部屋に戻ると、少し疲れた様子のロミがソファに身を沈めていた。彼女はララたちに気がつくと慌てて背筋を伸ばし、苦笑する。
「あはは。ちょっと量が多くて、さすがに疲れちゃいまして」
「申し訳ない」
低い声で謝罪するパロに、ロミは勢いよく首を振る。
ともあれ、ロミの仕事量が普段と比べて多かったのは事実だ。砂漠の果てという辺境中の辺境に位置し、治安も劣悪と言われるディスロに好き好んでやってくる旅人は少ない。同じく、武装神官でさえもそう頻繁には訪れないのだ。それ故に、たまにやってきた武装神官の監査業務は数年単位で溜まりに溜まったものを精査するという過酷なものになる。
「お疲れ様。特に問題はなかったんでしょ?」
ソファに腰を下ろしながら、ララはロミを労う。自分はヨッタの仕事ぶりを眺めていただけだが、彼女はその間に自身の業務に専念していたのだ。
ともあれ、ロミの様子からして重大な不正が見つかったというようなことは考えにくい。そんなララの予想に、ロミもこくりと頷いた。
「パロさんがきっちりと帳簿をつけて下さっていたので、確認自体は楽でした。いくつかのミス以外は問題ありませんでしたよ」
「次からは気をつけよう」
「だ、大丈夫ですからね?」
あまりにも素直に受け止めるパロに、ロミの方が戸惑っている。大きな都市にある神殿などでは監査を嫌う神官も珍しくはなく、だからこそディスロの神殿を守るパロの誠実さが際立っていた。
今も彼は一仕事終えたヨッタたちにお茶を配って労っている。それを意外に思ってしまうのは、無自覚な差別意識があるからだろうか、とロミは内省する。
「パロさんは、ずっとこの町の神殿に?」
カップを包み込むように持ちながら、ロミは訪ねる。
砂竜人の神官は金色の目を彼女に向けて、静かに頷いた。
「もう、50年になるか」
「そんなに!?」
彼の口から飛び出した予想外に大きな数字に、ララが思わず声を上げる。
砂竜人は人間と比べれば寿命が長い。とはいえ、エルフほどぶっ飛んだものではなく、彼の年齢は砂竜人としても老いを否定できない。
若々しく見えるのは、異種族故の理解のなさからだろう。
「俺が見習いだった頃は、神殿にも数十人の神官がいたんだよ」
過去を思い起こし、パロは語る。
砂鯨狩りによって栄華を極めた、ディスロの黄金時代である。一頭で多くの富をもたらす砂鯨を毎日のように追いかける、血気盛んな漁師たちがいた。人が暮らせば、そこに祈りがある。人に好意を持った時、共に暮らすと決めた時、宝を授かった時、永遠の離別があった時、人生の折々で彼らは神に祈りを捧げる。
この町に築かれた神殿も、そんな人々の祈りを受けてきた。
しかし、砂鯨が姿を消し、町が翳りを帯びた。徐々に人々は離散し、活気が失われていく。坂を滑り落ちるような淀んだ空気のなか、熱心に祈る者もいた。しかし、結局は彼らもいなくなってしまった。
神殿は文字通り身を切りながら生きながらえてきた。
「もともと、ここは大聖堂の隣にある礼拝所だったんだ」
ヒビの目立つ石造の建物を示してパロが言う。
元々、ディスロの神殿は立派な大聖堂といくつかの礼拝所、さらに神官たちの宿舎や旅人や武装神官のための宿まで備えて広大な敷地を有していた。しかし、それらを維持し続けるには人も金も足りなくなり、少しずつ売り払っていったのだ。
今、ここにあるのは小さな礼拝堂が一つと、パロが暮らすのに必要なだけの部屋。そして、何よりも大切なキア・クルミナ教の宝だけである。
「お宝があるの?」
目を輝かせるララに、すかさずイールが脇腹を突く。うっと呻いて沈むララに苦笑しながら、パロは頷いた。
「神殿には必ず一つは宝がある。それがなければ、神殿として成立しない大切なものさ」
それが何なのか、どこに、どのように保管されているのか。それはその神殿の神殿長しか知ることができない。秘密主義の教会のなかでも、特に厳重に秘匿されている事項の一つである。
「じゃあ、教えてって言っても……」
「無理だな」
無表情に見える顔のまま頷くパロに、ララは落胆する。
とはいえ、その神殿の宝とやらが彼女の探す太陽の欠片である可能性は低い。仮にこの神殿内にそれが隠されているのだとすれば、彼女は多少なりともその気配を感じ取れる自負があった。そのため、残念には思うものの、しつこく食い下がるつもりもない。
「50年ここにいるってことは、〈錆びた歯車〉の奴らがやって来た時のことも知ってるのか?」
「ああ、そうだな」
話題を変え、イールが口を開く。この町へやって来た直後にも絡まれた、ガラの悪い輩たち、〈錆びた歯車〉の残党たちのことだ。首領であるイライザが収監されてなお、遠く離れたこの地で幅を利かせている。
パロはそんな彼らのことをあまり好意的には思っていないのだろう。表情は相変わらず窺えないが、口ぶりからそのことが察せられた。
「彼らは突然、町にやって来た。最初は辺境の外から流れ着いた難民だと思った。その頃はまだ少しは余裕があったから、住民たちは彼らを保護したんだ」
「それで?」
「しばらくは平和だったよ。彼らは町の力仕事も進んで引き受けて、施設の補修や積もった砂の掃除なんかをしてくれたからな」
イライザたち幹部と対峙し、彼女たちの悪行を目の当たりにしてきたララたちは、パロの口から語られる組織の姿に耳を疑う。彼らは村ひとつを壊滅させても顔色を変えない悪人であるはずだ。
そんなララたちの胸中を知ってか知らずか、パロは薄く力のない笑みを浮かべながら言う。
「今思えば、それが奴らの狙いだったんだ。気がついた時には、奴らは町を真っ二つにしていた」
「真っ二つに?」
「昔からこの町を仕切っていた赤銅騎士団に反旗を翻したのさ。奴らの数は町の住人と比べたら圧倒的に少なかったが、奴らに味方する住民が数多くいたんだ」
その日から、町に二つの勢力が台頭し、衝突が繰り返されるようになった。
歴史ある赤銅騎士団と、新興の錆びた歯車。長く先祖代々ディスロに根ざす住民たちは騎士団側につき、砂鯨狩りの富を求めて移り住んできた新参の住民たちは錆びた歯車についた。
「対立なんてしている余裕なんてないのにな。毎日どこかで喧嘩が起こって、工事の予定が延期されていった。どっちの縄張りにあるかなんて理由で、崩れた建物の責任を押し付けあっていた。それがなんとか近所の奴らの力で片付けられたその日から、縄張りを巡って激しい抗争が始まった」
「うわぁ……」
パロの口から語られる血生臭い出来事に、ララたちは思わず顔を顰める。
坂を滑りつつあった町は、錆びた歯車という外部からの一撃を受けて転がり始めた。余裕のあるものは逃げ出し、余裕のないものは甘んじるしかなかった。そうして、治安は悪化の螺旋に囚われ、悪名は瞬く間に砂漠中へと広がった。
「今は落ち着いてるのか?」
「お互い、無駄な争いをしてる余裕がないだけさ」
旅人も商隊も滅多に寄り付かなくなった町は、先細りしていくだけだ。余裕のある暮らしを送るものはいない。仮にそんな者がいれば、翌朝には路上で転がっているだろう。
どこにどちらの勢力の者がいるとも知れず、疑心暗鬼が蔓延していた。
「あんたらは騎士団側に着いたんだろう? だったら、奴らの縄張りから出るのはやめとくんだな」
ララたちにそのつもりはなくとも、外から見た状況がそう示している。彼女らが軽い気持ちで領域を区切る線を越えれば、その瞬間に飢えた獣が牙をむいて襲いかかる。
「恐ろしいわねぇ」
「それくらい調べてから来るべきだったな」
身震いするララに、パロは鼻を鳴らす。
彼女はそんな悪党程度に遅れをとるつもりは毛頭なかったが、それでも出歩くだけで襲われるのは厄介だ。今後、“太陽の欠片”を探す際にその不毛な争いに巻き込まれなければいいが、と儚い希望を抱くしかない。
しかし、その希望が叶うかどうかは、彼女ですらあまり信じてはいないのだった。




