第303話「ロミも一緒に戦うわよ」
物資を補充し、装備を砂漠に適した物へと変えたララたち。諸々の準備が全て完了したと判断し、三人はいよいよエストルを発つこととなった。
「じゃあ、ロッドをよろしく頼む」
武具店の親父が目を三角にして脅すほど過酷な砂漠に、ロッドを連れて行くことはできない。イールは当初の予定通り、彼女を宿に預けることにした。
ロッドは主人とのしばしの別れを惜しむように、イールの腹に鼻先を擦りつける。その逞しい首筋を優しく撫でて、イールも決意を固める。
「お気を付けて」
宿屋の主人に見送られ、三人は出発する。町を囲む防壁の門をくぐり抜け、荒涼とした荒野をしばらく歩く。草原側とは異なり、砂漠に面した門の出入りは極端にひとけが少なかった。
「こっちは本当に誰も来ないのね」
「これからどんどん過酷になるって話だからな。あたしたちみたいな変わり者はそう居ないんだろ」
先日までの曇天は嘘のように、天は高く青空は広い。ジリジリと照りつける日射が土を焼き、地面には薄く疎らにしか緑はなかった。それでも、道を示すキア・クルミナ教の聖柱は点々と連なり、彼女たちもそれを頼りに歩くことができる。
しばらく徒歩で進み、町も小さくなった頃。ララはようやく立ち止まり、周囲を見渡しながら声を上げた。
「もう出てきて良いわよ」
彼女の呼びかけに応じて、道から外れた荒野の風景にノイズが走る。イールとロミも慣れた様子で、透明なヴェールに隠されていた濃緑の車体を出迎えた。
『一日ぶりですね、ララ様』
「久しぶりってほどでもないでしょ。車体の状態は大丈夫?」
『もちろんです。既に砂漠環境に合わせてタイヤ形状の調整、車体重量の最適化、及び計器類のキャリブレーションを済ませています。エネルギー、装甲、その他設備類も異常なし。いつでもトップスピードで走れますよ』
サクラの自慢げな声と共に、モービルの四枚のドアが一斉に開く。助手席に座ったサクラとレコの筐体が仲良くライトを点滅させていた。
「さあ乗っちゃって。ここからは飛ばすわよ」
ララは早速運転席に乗り込み、イールとロミも車内に誘う。
ロッドを宿に預けたのは、砂漠が彼女には辛い環境であることも理由の一つではあったが、それとは別にモービルで一気に距離を稼ぐという算段もあったからだ。車体後部に彼女を乗せることもできるが、その状態で不整地を飛ばすのは少々不安があった。
「ほら、イールさん。シートベルトを締めて下さい」
おっかなびっくり車内に入り込むイールとは対照的に、ロミは慣れたものだ。早速シートに腰を落ち着けると、手早くシートベルトで体を固定する。
「シートベルトっていうのは、どれのことだ?」
「これですよ。ここをこう、しゅっとやって……。かちっとやればぴしっとなるので」
計器類の確認をしているララに代わって、ロミがイールに乗り方をレクチャーする。普段、イールはロッドに跨がってモービルと併走しているため、ふかふかしたシートも何もかもが初めての体験だった。
「クーラーつけるからドア閉めるわよ。指挟まないでね」
「お、おう」
ララが運転席から操作してドアを閉じる。すぐに空調装置が動き出し、冷気が車内に満ちていく。
「ふわぁ。やっぱりモービルは快適ですね」
「こんな柔らかい椅子に座って、しかも気温まで変えて。砂漠の旅だってのに快適だなぁ」
早速とろけるロミと困惑と感心の入り交じった表情で車内を見渡すイール。二人の姿をバックミラー越しに覗き込んで、ララは得意げにほくそ笑んだ。
「ようし、それじゃあ出発!」
ララがアクセルを踏み込む。砂漠地帯に向けてゴツゴツとしたトレッドパターンに変わったタイヤが地面に食い込み、勢いよく車体が動き出した。
乾いた大地を軽快に進むモービルは、時折路傍の石を蹴る。しかし、驚くほどに車内に伝わる振動は少なく、イールはそのことに目を見張った。
「ロッドの鞍上とか、普通の馬車とは大違いだな」
「ふふん。そうでしょう、そうでしょう。わたしも初めて乗った時は感動しました」
透明な車窓から果てしなく広がる荒野を眺望し、イールが感嘆の声を漏らす。すると、ハンドルを握るララではなくロミが自分のことのようにしきりに頷いた。
「サクラ、ナビゲーションお願いね。魔獣も人も極力避けて行くから」
『了解しました。周辺探査の結果をマップとリンクさせます』
モービル各所に取り付けられたセンサー類を元に、サクラがルートを選定する。ララはそれを頼りに広い荒野を進んでいく。
「順調だな。もう一日分の距離は稼いだんじゃないか?」
徒歩であれば一日掛けて進む距離を、モービルはものの数刻で駆け抜ける。後部座席で地図を広げていたイールは、目印となるオアシスや砂漠の村落を流し見てにんまりと笑った。
速度もさることながら、これが座っているだけで進むのだから、旅人にとってこれほど良いものはない。容赦の無い日射に晒され、不安定な砂の上を歩き続ければ、今頃足が棒になっていたことだろう。しかし、彼女たちは欠片も疲労を感じていないし、風景を楽しむ余裕すらある。
「最初に予定を知った時は驚きましたけど、これなら余裕で行けそうですね。今日はこのオアシスに泊まるんでしたっけ」
イールの隣からロミが地図を覗き込み、広大な砂漠の中央に指先を落とす。
アグラ砂漠には点々と湧き水のオアシスが散在しており、そこを起点として小さいながらも集落が営まれていた。モービルは移動には快適だが、食事や寝泊まりには少々手狭だ。
それに、どうせなら現地ならではのものを食べて、ゆっくりと足を伸ばして体を休めたいというのが三人の総意だった。
「モービルも快適は快適だけど、ずっと座ってるとお尻が痛くなってくるのよねぇ」
「贅沢な悩みだなぁ」
モービルは本格的に砂に覆われた荒原へと入る。車輪は軽快に回り、砂埃がもうもうと立ち上がる。
邪魔するものが何もない広い大地を、ララの繰る濃緑色の車は軽快に駆けていく。
「ふわぁ。なんだか眠たくなってきますねぇ」
「ロミは、すごいな……」
優秀な懸架装置のおかげで揺れがかなり軽減されているとはいえ、それでも不整地を走る車体は揺れている。そんな中で暢気に欠伸を漏らしてみせるロミを、イールは感心したような呆れたような、複雑な顔で見ていた。
ララは時折水分を補給し、干し肉を噛みながら運転を続ける。障害物のない砂漠を走るのは爽快だが、距離感が徐々に麻痺してくるのが困りものだ。
イールと言葉を交わして気を紛らせつつ、サクラのナビゲーションを頼りにハンドルを切る。
「砂漠は魔獣が多いって話だったけど、あんまり見ないわね」
「見ないというか、見えないってところだな。砂色の鱗や皮をしていたり、そもそも砂の下に潜ってたりしてるんだろ」
「なるほど?」
ララの目には何の変化もないただの砂原だ。しかし、そこには確かに生命が息づいている。
「ロミの奴、本格的に寝たな……」
イールは肩にもたれ掛かってきたロミの頭を押し退けながら、口をへの字に曲げる。過酷な旅の途中だというのに、彼女は穏やかな寝息を立てていた。
「ま、それだけ私の運転技術が高いってことでしょ。イールも寝ちゃっていいのよ?」
「あたしは眠たくなってないからな。砂蜥蜴の尻尾でも数えてるよ」
「えっ。そんなのあるの? どこ?」
イールの視線が向く先には、砂の中から突き出した細い尻尾が見えている。それは直射日光を避けて休んでいる大柄な蜥蜴の魔獣のものだ。彼らは尻尾の先を僅かに砂の上に出すことで、周囲の様子を把握しているのだという。
上手く隠れていて見つけるのにも苦労するが、目が慣れてくればいくつか並んでいる様子も分かるようになる。
そういったことを、イールはエストルのギルドで購入した図鑑片手に解説した。
「砂蜥蜴ねぇ。砂漠で狩りをする傭兵は、他とは違う専門技術も沢山持ってそうね」
「だろうな。ま、それはどの土地に行ったって似たようなもんだ」
イールのように各地を遍歴する傭兵もいれば、一定の土地に根ざして活動する傭兵もいる。前者はどのような場所でもある程度の働きができる応用力が求められるが、後者はより専門的な能力が必要だ。
「なんの変哲も無い風景に見えるのは、自分に知識がないからってだけさ」
イールの含蓄のある言葉は、ララの胸に染みこむ。ハンドルを握りなおした彼女は、少し注意深く周囲を観察しながら進むことにした。
その直後だった。
『ララ様!』
「うきゃああ!?」
突然、モービルが直下から強い衝撃を受ける。砂の下から突き上げられた車体は、その重量にも関わらず高く宙に浮き上がる。
「ふわああっ!? な、何事ですか!」
「よく分からんが非常事態だ!」
すやすやと寝ていたロミも飛び起き、イールも剣を掴む。二人ともしっかりとシートベルトを締めていたため、負傷はしていない。
『スタビライザー正常。車体姿勢安定。着地ショック来ます!』
サクラの声。ほぼ同時にモービルが着地し、殺しきれなかった衝撃が車内にも伝わった。
「いったい何が――」
「あれが原因みたいね……」
困惑するロミを余所に、イールとララは車窓から周囲を見渡す。そうして、二人は同時に見つけた。
砂の中から太い首を伸ばした、大樹のように巨大な蛇。モービルは突如として現れたそれの硬い頭突きによって吹き飛ばされたのだ。
「ま、ずっと座りっぱなしってのも体が鈍るからな」
「たまには運動した方がいいわよね」
ドアが勢いよく開け放たれ、イールとララが飛び出す。イールは砂漠の魔獣と戦えることに喜びを滲ませているが、ララは大切な車両に不意打ちを受けたことに怒りを覚えていた。
「ロミも一緒に戦うわよ」
「わ、分かってますよう」
寝起きのロミもあたふたとしながらモービルから出て杖を構える。そうして、三人の砂漠で初めての戦いが始まった。




