第301話「わたし、そんなの食べてません」
「――と、いうわけで装備を整えたいと思うのよ」
エストルにある宿の一室。清潔なベッドに腰掛けたララが話を切り出す。
神殿の訪問を終え、二人と合流したロミはきょとんとして首を傾げた。イールが砂漠と金属鎧の相性について説明すると、彼女も事情を理解する。
「確かにここからどんどん日差しも強くなりますからね。服は工夫した方が良さそうです」
「ロミはその神官服で大丈夫なの?」
「はい。温度調節の魔法が付与されてますからね」
ララの問いにロミは胸を張って答える。
彼女の着用する白い厚手の神官服は、一見すると熱の籠もりやすそうなものだ。実際、防御力も加味して作られた特殊な生地で、何もしなければとても暑い。
しかし、天下のキア・クルミナ教が作った神官服は特別製だ。外部からの魔法に対する抵抗力を高める魔法、重量を軽くする魔法、汚れを弾く魔法、そして内部の温度を快適に維持する魔法など、高度な魔法がいくつも付与されている。
「見ただけでも暑苦しいんだけどな」
「あはは。そう言われましても、おいそれと脱げる代物でもなくて」
眉を寄せるイールに対し、ロミも困り顔で答えるしかない。
そもそも、なぜ神官服にそこまで高度な魔法が掛けられているかといえば、武装神官が常にそれ着用することが求められているからだ。
神官服は身を守る防具であると同時に、それを着る者の身分を示す証でもあった。
「この先はもっと治安が悪くなるんでしょう? 神官服なんて着てると目を付けられない?」
ララは不安を顔に浮かべる。
実際、彼女も宿に辿り着くまで何度か柄の悪い輩に絡まれた。そのたびに微弱な雷撃で追い払っているが、今後更にこれが増えるとなるとなかなか煩わしい。
「逆ですよ。わざわざ神官を狙う者はそうそう居ません」
「それもそうね。キア・クルミナ教ってしつこそうだし」
「なんですかその言い方は」
ララが率直な感想を漏らすと、ロミはぷっくりと頬を膨らせる。
キア・クルミナ教は辺境のみならず、大陸で広く信じられている一大宗教だ。大抵の集落には必ずと言って良いほど教会があり、そこに聖職者が一人は住んでいる。更に彼らは厳格な情報統制の下でいくつもの古代遺失技術を保有しており、戦力的にも屈強な神殿騎士の軍勢を抱えている。
堅固で緻密なネットワークと絶大な影響力、圧倒的な力を持つ彼らを敵に回せば、地の果てまで追いかけられるのは火を見るよりも明らかだった。
「それじゃあ明日は、私とイールの装備探しね。他の雑事は終わらせたし、それさえできればすぐにでも出発できるわ」
予定を固め、ララはベッドに身を沈める。少し奮発して高い宿を選んだ甲斐あって、寝具は柔らかく清潔だ。これなら、連日の野宿で草臥れた体もすっかり癒えるだろう。
「ギルドには行ったんですか? 砂漠には強い魔獣も多いみたいですけど」
「それも明日だな。まあ、依頼を受けるかどうかは分からんが」
ロミが神殿に属しているように、ララとイールは傭兵ギルドに属している。使った分の金を稼ぐためにもギルドで依頼を受けて仕事をする必要はあるが、焦って下手な依頼書を掴むほど懐が逼迫しているわけでもない。
そもそも、今回三人が砂漠を目指している理由は古代遺失技術かララの船のパーツと思わしき“太陽の欠片”とやらを探すためだ。そちらが一段落するまでは、積極的に仕事を受ける必要もないだろうと、財布の紐を握ったイールも考えていた。
「依頼を受けないにしても、砂漠での歩き方なんかはギルドで教わった方が手っ取り早い。なんなら、装備を買う店もそこで教えて貰うつもりだ」
「なるほど。そういうことはギルドが一番詳しいですもんね」
傭兵ギルドもまた、辺境だけでなく大陸全土に強いネットワークを持つ組織だ。魔獣という脅威に対抗するため、強い傭兵を管理し、斡旋する。そのための情報をやりとりすることも業務の一つだ。
そして、ギルドの支部がある町には大抵、ギルドと連携する武具や道具を取り揃えた店もある。少ないとはいえ、砂漠へ向かう傭兵もいる。そんな彼らのために装備を提供する店も必ずあるものだ。
「とりあえず、初日は恙なく終えられて良かったわ」
ベッドに寝転んだまま、ララが気楽な調子で言う。
ティラから受け取った家門入りのペンダントのおかげで門もすんなりと通ることができ、こうして安全な宿も確保できた。治安が悪いと聞いて身構えていたが、自衛でなんとかなる範囲だった。
むしろ、ララが住んでいた故郷よりよほど平和である。
「それじゃあ、わたしはレイラ様に連絡を取りますね」
話が一段落したのを見て、ロミは立ち上がる。彼女は懐から取り出したチョークで床に細やかな模様の魔法陣を描き出した。
「あたしもたまにはテトルに連絡するかな……」
億劫そうな顔をしながらもイールは首元のペンダントを手繰る。
彼女の妹であるテトルは、遠いヤルダの町で評議会直下の秘密組織“壁の中の花園”を指揮している。ララたちの持つ“遠話の首飾り”も彼女が開発したものだ。
イールはそんな妹から、こまめに連絡を取るように強く強く懇願されていた。
「それじゃ、私もサクラたちと話そうっと」
二人が壁の方を向いたのを見て、ララも起き上がる。彼女が通信するのは、町の外に置いてきたモービルを守るAIたちだ。ララが信号を送ると、すぐに聞き慣れた声が彼女の耳元で囁かれた。
『こんばんは、ララ様。どうかなさいましたか?』
「落ち着いたから連絡しただけよ。そっちの調子はどう? 見つかってない?」
『こちらは正常です。光学迷彩、妨害電波は問題なしですので、そうそう見つかることはないでしょう。定期的な隠密環境探査波にも異常はありません。周囲にしかけたトラップ、センサー類も同様です』
淀みなく告げられた状況報告に、ララは満足げに頷く。街道から外れれば、それだけで人の目は一気に薄くなる。その上で光学迷彩などでしっかりと隠蔽措置を図れば、見つかる可能性はぐっと低くなる。
「そう? なら安心ね。レコの方はどう?」
『こっちも問題ないよー☆ ちゃんと砂漠の情報も集めてるからね♪ 魔獣の種類がちょっと変わってるみたいだから、そのあたりの情報を纏めて送るね!』
「はいはい。……働きっぷりは優秀なんだけどなぁ」
耳がキンキンと痛くなるような声に、ララは思わず眉間に皺を寄せる。
そんな主人を意にも介さず、レコは収集・分析した情報を彼女に送った。エストルの詳細な地図や周辺の地形、更に生息している動植物、特に魔獣に関する情報だ。
「……うん? これは?」
膨大な情報をざっと洗い、ララは首を傾げる。必要な情報に混じって、地域の特産品や珍味に関するデータがある。
『お土産、期待してるからね♪』
「あなた……。観光じゃないんだからね? ていうか、あなた達は味覚無いでしょう」
底抜けに明るいレコの声に、ララがかっくりと肩を落とす。昔は求めた情報だけを的確に出してくれる優秀なAIだったのに、すっかり変わってしまった。
『ララ様が感じた味覚データは、レコも全て収集していますので』
『そゆこと☆ できるだけいろんな物を食べてくれると、私も楽しいんだよー♪』
サクラも平坦な声だがどこかそわそわとしている。そんな二人に呆れつつも、ララは頷いた。
「まあいいわよ。どうせ美味しい物は探す予定だったし」
彼女にとっても、旅の楽しみの大部分を食事が占めている。レコ達に頼まれずとも美味しい物は探す腹づもりだった。
とはいえ、どこか釈然とせず首を傾げるララ。そんな彼女を、テトルとの通話を終えたイールが笑いを堪えて見ていた。
「それじゃあね。しっかり隠れてるのよ!」
『了解です』
『ラジャー!』
気恥ずかしくなったララは多少強引に通信を切る。その瞬間に、イールは堪えきれず吹き出した。
「もー! なによ、イールまで」
ぷんぷんと憤るララに、イールは肩を震わせながら謝る。しかし、なかなか落ち着かない様子でその後もしばらく腹を抱えていた。
「いやぁ、食い意地が張ってるのはあいつらも同じなんだな。主人に似るってやつか?」
「もー!」
なおもくつくつと笑うイールに、ララは拳を振り上げる。
「事実じゃないか。双頭魚も美味かったろ」
「それはそうだけど……。むぅ」
もちもちとした頬を膨らせるララ。そんな彼女の肩を、いつの間にか結界を解いて話を聞いていたロミが叩いた。
「ララさん、双頭魚ってなんですか?」
「露店で売ってた魚よ。とっても美味しくて――。あっ」
ララがしまったと口を塞ぐが、時既に遅し。ロミは満面の笑みを浮かべて彼女に迫った。
「わたし、そんなの食べてません」
「うぐっ」
食い意地で言えば、ロミだって良い勝負ではないか。そんな感想がララの脳裏を過ったが、それを口に出すほどの勇気はなかった。
「ま、今から夕食だし、美味いものを食べたらいいじゃないか」
イールが二人の間に割って入り諫める。
そんな彼女も双頭魚の串焼きを楽しんだはずだが、それを指摘すれば話は余計にこじれてしまう。ララは素直に頷いて、食事に出掛ける準備を始めた。




