第299話「ずいぶん格好いい二つ名じゃない」
本日より第8章を全面改稿の上で投稿再開します。
数日ぶりに晴れ間の見えた草原を濃緑色のモービルが駆け抜ける。深い溝の走ったタイヤが水を含んだ土を蹴り上げ、後方に弾き飛ばす。旅人の往来で禿げた街道に、二筋の轍を刻んでいく。
「雨が止むと、走り甲斐もあるな」
そんなモービルと併走しているのは、逞しい体躯の駿馬である。鞍に荷物を提げ、その上に鎧を着た長身の女性を乗せてなお、軽快に蹄を鳴らして濡れた草原を駆けている。
手綱を握った女性――イールは楽しげに赤い髪を振り乱しながら、胸元のペンダントに向かって語りかけた。
『プラティクスを出発してからここまで、あんまり天気良くなかったもんね。足下泥濘んでるけど、ロッドは大丈夫なの?』
彼女の声に反応して、ペンダントから若い少女の少しくぐもった声が響く。イールは隣を走るモービルの運転席に視線を向けて、にやりと口角を上げた。
「これくらい、ロッドなら余裕だ。むしろ久しぶりに走れて嬉しがってるよ」
彼女の声に賛同するように、ロッドは一つ嘶く。
モービルの運転席からそれを見た銀髪の少女、ララも目を細めた。彼女の視線の先で、イールは手綱を振る。乾いた音が鳴り、ロッドは更に力強く大地を蹴った。
「二人とも、楽しそうですねぇ」
ロッドを追ってララもアクセルを深く踏み込む。エンジンが唸りを上げて更に回転を加速させた。
後方へ流れていく景色を見ながら、モービルの後部座席に身を沈めたロミは眉を下げた。彼女は馬車よりも速く、快適な旅程にだらけきっており、走りの楽しさはあまり響いていない様子だった。
ララのモービルは優れた走行性能を発揮しており、泥濘みつつも大きな石の埋まった悪路も問題なく走破している。更に強力な懸架装置によって地面の凹凸は全く感じられない。まるで宙に浮いて滑るように走る車内で、ロミは優雅に飲み物を楽しむ余裕すらあった。
「きゃあっ!?」
しかし、突然車体が大きく揺れ、車輪の回転が止まる。水筒の栓を開けていたロミは、顔面に水を浴びて柔らかな金髪から水を滴らせた。
突然なモービルの挙動にララも驚いた様子で目を見開き、無残な姿になっているロミにバックミラー越しに謝った。
「ご、ごめんなさい。ブレーキは踏んでないんだけど……」
『ララ様、スピードを出し過ぎです』
戸惑うララの代わりに答えたのは、運転席の隣に据えられた銀色の球体だった。表面のランプがピコピコと小刻みに明滅している。
「ちょっとサクラ! 急ブレーキの方が危ないでしょう」
『安全装置が自動的に発動しただけです。法定速度を著しく超過していました』
「法定速度て……。そんなので取り締まる奴がどこにいるのよ」
無機質な声で戒める自立型支援AI端末に、ララは唇を尖らせて反論する。彼女の母星では整備された道路が地面を覆い、その上では速度の上限が定まっていた。しかし、ここは彼女も知らない未知の惑星だ。そのような規則が効力を発揮する理由もない。
『捕まるか、捕まらないかが問題ではありません。荷台には精密機器も積んでいるのですから』
拗ねる娘を諭す母親のようにサクラが言う。
ララがハンドルを握るモービルの荷台には、彼女が集めた宇宙船のパーツが搭載されている。モービルの車体と一体化している“精密作業工作室”は当然のこと、動力源となっている“ブルーブラストエンジン”も万が一破損すれば大惨事だ。
「ちょっとやそっとの事で壊れるほど、柔な作りはしてないわよ」
『そういう話ではありません』
『そーそー! 私たち、セーミツキカイなんだし、テーチョーに扱ってよね☆』
サクラに便乗して、また別の声が車内に響く。サクラの筐体に隣り合って置かれたキューブから光が放たれ、ワンピース姿の少女のホログラムが現れた。
それを見たララは更にげんなりとする。
「レコは結局その人格以外受け付けなくなってるし。AIなのに自我が強すぎるのよ、あんたたち」
その少女はララたちが先日まで滞在していた町で回収した、大型記録装置“情報収集保管庫”の支援AIだ。主人が他の人格モジュールをインストールしようと画策したのだが、そのことごとくを退け、未だに自由奔放かつ適当な性格を固持している。
「そもそも、レコはなんでその人格を選んだのよ」
『んー? 一番思考リソースが少なかったからかな☆』
「納得できちゃうのが悔しいわねぇ」
ララは脱力し、ハンドルに額を付ける。その危なっかしい様子を見て、サクラが操縦系統を強引に自動操縦へと切り替えた。
レコは本来、とても優秀な情報処理能力を持つAIだ。しかし、悠久の時の中で収集し続けた情報の保管のため、AI自身の能力を削減する必要があったのだろう。本来の目的のため、重要だが必要ではないと判断した機能を切り捨てる。ある面では機械的で合理的な判断だ。
『衝撃が来ます。注意してください』
「はえ? ――ほぎゃっ!?」
サクラが唐突に声を上げ、ぴったり3秒後に車輪が大きな石に乗り上げる。懸架装置でも殺しきれない強い衝撃で車内が揺れ、ぼんやりしていたロミが悲鳴を上げる。
「ちょっとサクラ! 運転代わったなら安全に気を遣いなさいよ」
自分のことは棚に上げて、ララがサクラを責める。後部座席では額を赤くしたロミが涙目で唇を噛んでいた。
『周囲の泥濘みを鑑みて、緊急回避は危険であると判断しました。衝撃の前には警告もしました』
「あんたねぇ……」
そっぽを向くようにカメラアイを窓の外へ向けるサクラ。その人間味溢れた挙動を見て、どこでそんなものを学んだのかとララは肩を落とした。
「ごめんね、ロミ」
「いいんですよ、ララさん。わたしがぼうっとしていただけです」
そう言って、ロミは大きな欠伸を漏らす。
緩やかに揺れる車内は、周囲の代わり映えのしない風景と相まって快適だ。馬上ほどの風もなく、気を抜けばすぐに睡魔が襲ってくる。
「ロミには野営の時に助けて貰ってるし、移動中くらいはゆっくり寝ててちょうだい」
「えへへ。ありがとうございます」
ロミは嬉しそうに頷きつつも、居住まいを正して話を続ける。先ほど額を強く打って、そのうえ顔に水も浴びている。本格的な眠気が来るのはまだ先だった。
「それにしても、モービルは快適ですね。次の目的地、アグラ砂漠は結構遠いと思うんですが、この分だとすぐに着いてしまいそうです」
「辺境の中でも更に辺境なんだっけ。確かに、地図を見ても端っこの方だけど……。ロミは行ったことあるの?」
ララが荷物の中から折りたたんだ地図を引っ張りだし、広げながら首を傾げる。
大陸の片隅に位置するこの辺境は、ハギル山脈とリディア森林、そして広大なアグラ砂漠によって中央から隔絶されている。山脈は高く険しい壁となって、森林は凶悪な魔獣の巣窟として、そして砂漠は過酷な環境によって人々を遠ざけている。
「流石に訪れたことはないですね。ヤルダからも離れていますし」
『あたしも初めて行く場所だ。噂は良く聞くけどな』
二人の会話にイールも“遠話の首飾り”で参加する。ロッドも落ち着き、無理のない速度でモービルと併走していた。
「噂っていうのは、ティラが言ってたようなやつ?」
ララの問いに、イールは頷く。
プラティクスの若き当主が彼女たちにこの砂漠を指し示した。そこに“叡智の鏡”と同じ古代遺失技術、もしくはララの母星由来の何かと思われる存在があるとして。
しかし、彼女は同時に三人に忠告した。辺境でも更に辺境と呼ばれるアグラ砂漠の町は、他の土地を追われた人々の駆け込み寺となっている。脛に傷持つ者は少なくなく、故に治安は悪い。度々ララたちと対峙してきた『錆びた歯車』の拠点となっている町もある。
『錆びた歯車』は各地に眠る古代遺失技術を狙い、その力を私欲のために悪用しようと画策する手段だ。首領イライザが捕縛され、幹部たちが消えてなお、その影響力は強い。
『ただまあ、アグラ砂漠はかなり遠い。この後も大きい町をいくつか通ることになるからな』
前方を見据え、イールは遠い目をして言う。
辺境の中の辺境という評判は伊達ではない。この草原が枯れ、砂の荒野に変わるまで、まだしばらく時間が必要だった。
「今日は野宿じゃないといいけど……」
「もう少し進めば、小さな村に着くはずです。今夜はベッドで眠れると思いますよ」
地図を睨んで憂うララに、ロミは後部座席から顔を覗かせて語る。彼女の白い指が地図の一点を押さえた。
「この村を抜けて更に進めば、エストルに辿り着きます」
「ふむ……。プラティクスより小さいけど、立派な町みたいね」
地図に記された都市の図は実態を伴っていないことも往々にしてある。しかし、周囲の村々よりもはっきりと強調して描かれているのを見ると、一帯でも強い存在感を示しているのは明らかだった。
『若草の芽吹く土地、エストルか』
「ずいぶん格好いい二つ名じゃないの」
呟くように言ったイールの言葉を耳聡く拾い、ララがにやりと笑う。
「エストルがちょうど、荒野と草原の境界なんですよ。砂漠側からやって来た人たちが、そう名付けたらしいですよ」
『砂漠ほど乾いてるわけじゃないが、それでも日差しは強いからな。覚悟しとけよ』
だんだんと青空の広がっていく天を煽ぎ、イールは目を細める。ロッドの蹴り上げる土は乾いていた。




