第二百八十四話「それじゃ、また明日ね!」
第二百八十四話「それじゃ、また明日ね!」
一行はティラに連れられ、市長の住む館に場所を移した。
「私の家族は、ずっとここに住んでいるんです」
そう彼女が説明したように、広大な敷地を擁するその館は長い歴史を感じさせた。
青々とした生け垣がぐるりと敷地を囲み、左右に立ち並ぶ他の貴族の館と明確な区別を付けている。
ゲートをくぐってからもしばらく歩き、ようやく彼女たちは重厚な面構えの玄関に到着した。
「流石のお屋敷ね」
「大きいだけです。両親が亡くなってからは、あまり調度品の類いも購入していませんから」
思わず口を突いて出たララの言葉は、儚く微笑みを浮かべたティラに返される。
「ララさんは浴場にご案内しますね」
玄関を通ってすぐの広間で、ティラは立ち止まる。
彼女の指示を受けて、壁際に控えていた侍女の一人がララを連れて行く。
「皆さんはこちらへ」
ララを見送り、イール達は客間に通される。
新たに調度品は購入していないとティラは言っていたが、品の良い落ち着いた雰囲気の壺が一つ飾られている。
革張りのソファに二人を促し、ティラは一枚板のテーブルを挟んで腰を下ろす。
部屋の一面には大きくガラス張りの窓が開かれ、そこからは四季折々の花が咲くという庭園を眺望することができた。
「市長ともなれば、これくらいの屋敷は必要なんだな」
「それは、まあ、市政の要人も頻繁にいらっしゃいますから」
イールの言葉に、ティラは恥ずかしそうにはにかむ。
「もっとも、今は主人よりも長く暮らしている使用人の方が多いのですが」
「そうか……」
重苦しい空気が、広々とした客間に居座る。
それを打破したのはティーセットを運んできた侍女だった。
温かい飲み物を口に入れて、三人はようやく落ち着きを取り戻す。
「ふぅ、さっぱりしたわ」
そこへ丁度ララも帰ってくる。
べっとりと付いた血も綺麗に洗い流され、純白の髪が窓から差し込む光を反射している。
「帰ってきたな。それじゃあ話を始めようか」
「そうね。……まず、ティラはあの男に見覚えとかあるの?」
ララはイールの隣に座り、単刀直入に話を切り出す。
ティラはカップで唇を湿らせると、少しうつむいて首を横に振った。
「あの方に関しては、存じ上げません」
「あの方に関しては、ねえ」
彼女はカップをソーサーに置いて、呼吸を整える。
「恐らくは、私が市長を務めることを快く思わない方々でしょう。やはり私では年齢が若すぎますから、そういった声は就任する以前から少なくありませんでした」
「やっぱりか」
予想できていた事実に、三人は一様に頷く。
「ティラが市長の席に座ることに反対している人っていうのは、議会にもいるの?」
「はい。特に軍部関係の議員の中に多いです」
「それはティラさんの立場に依るものなんでしょうか」
「そうですね。私は、軍備拡充にあまり賛同していませんでしたから」
敵は明確ではあったが、確固たる証拠はなかった。
襲撃者は自爆を敢行したため、肉片以外の証拠はない。
「ティラは、どうしたいの?」
ララが尋ねる。
ティラは少しの間詰まり、思案の末に答えた。
「ひとまずは、竜闘祭を無事に終わらせたいですね」
「そうは言っても、さっきの騒ぎはもう噂として広がってるんじゃ?」
「ジェイクを通じて沈静化を図ります。それくらいの力は、市長として持っていますので」
「心強いわね……」
当然、と言われた言葉にララは感心する。
恐らくは秘密組織のようなものがあるのだろう。
「それじゃあ、根っこを叩いてこれ以上の襲撃をなくさないといけないんだな」
「結論はそうなりますね」
全員が思案する。
言うだけならば容易いが、実際に行うとなれば途方もなく難しい。
特に今は情報が足りなさすぎた。
「反対派閥のアジトでも分かればいいんだけどね。平民がいるってことは貴族の館以外に拠点もあるんだろうし」
「アジト、ですか」
ティラは困ったように眉を寄せる。
彼女がそのあたりの情報を仕入れられていないのも、納得であるが。
みすみす政敵に情報を漏洩してしまうような間抜けな反対派もいないだろう。
「とりあえず、お祭りの期間中は今まで通りわたし達が護衛をするしかないでしょうか」
「そうねぇ。今のところは私もそれしか思いつかないわ」
「ご迷惑をおかけします……」
「いいんだよ。そういう契約だしな」
しゅんと肩を縮める少女に向けて、イールは快活に笑い飛ばす。
今後も襲撃が予想される以上、彼女にはこの館のような安全を確保された場所にいてもらうことが最も合理的ではあるが、理想的ではない。
閉じ籠もってしまえば、それこそ敵の思う壺ということも考えられた。
「ティラ、この館は絶対安全?」
「ジェイクが指揮を執る近衛の皆さんが常に警備してくれていますから、安全だと思いますが……」
「そっか。もし良かったら私達も夜をここで過ごしたいと思ったんだけど」
「良いのですか!?」
ララの申し出を受けて、ティラが驚く。
しかし直後に部屋の壁際で控えていた侍女の一人が彼女に耳打ちする。
「まあ、私達はあくまで第三者だから、寝首を掻かない保証もないんだけどね」
「……そう、ですね」
侍女からも概ね同じようなことを進言されたのだろう。
ティラがその表情を曇らせる。
「ララ、流石にそこまでは出しゃばりすぎだろ」
「そうですね。少し立ち入りすぎです」
「うぐ、ごめんなさい」
二人にも諫められ、ララは肩を竦める。
一応護衛の依頼を出されているとはいえ、根本的に三人は第三者だ。
「それじゃあ、夜中に何かあった時は教会に連絡入れてちょうだい。すぐに駆けつけるわ」
「そうですね。それなら……」
ティラもそれには頷き、侍女たちも納得した様子だった。
「それじゃあ、この後はどうする? まだ日が暮れるには早いけど」
窓の外を見ながらララが言う。
ティラは残念そうに小さく息を吐く。
「残念ながら、あのような事件が起きてしまった以上やるべきことが沢山できてしまいました。お三方には、また明日よろしくお願いします」
その返答は、三人もよく分かった。
彼女たちは立ち上がると、客間を出る。
ティラは玄関まで彼女たちを見送り、その背中に声を掛ける。
「本当に、今日はありがとうございました。おかげで、助かりました」
ララがくるりと身を翻し、太陽を背に破顔する。
「いいのよ。私も楽しかったもの!」
ティラは虚を突かれた様子でしばらく呆けていたが、ララの屈託のない笑みに釣られるようにして笑顔を浮かべた。
「それじゃ、また明日ね!」
ララが大きく手を振る。
「はい。また明日」
ティラもそれに応え、彼女たちはまるで小さな子供のようにして別れた。
 




